『カール・マルクスの歴史理論:その擁護』
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「ジェラルド・コーエン」の記事における「『カール・マルクスの歴史理論:その擁護』」の解説
コーエンの1978年の著作『カール・マルクスの歴史理論:その擁護』は、マルクス主義の学説である史的唯物論のラディカルな再解釈である。コーエンは現代の分析哲学の技法を用いて、リベラル派や「ブルジョアジー」の社会理論の言葉で、マルクスの歴史理論を構築した。この著作は、英米の分析哲学や社会科学をツールとして用いて、マルクス主義を調査し再構築しようとする学派、後に「分析的マルクス主義」として知られるようになった潮流の始まりであったと考えられている。 コーエンの理論は、結論はマルクス主義の議論としては極めてオーソドクスなものであったが、彼が用いた用語や前提や方法は、マルクス主義の批判者たちのものだった。コーエンの理論は、現在哲学で用いられる論理分析や言語分析を使うとともに、現在の社会科学でよく知られている方法論的個人主義とホモ・エコノミクスに見られるような諸個人の客観的合理性(objective rationality)、あるいは完全合理性(unbounded rationality)を、議論の前提やツールとして用いている。 分析的マルクス主義は時に「合理選択マルクス主義」(Rational Choice Marxism)とも呼ばれるが、これに対しては次のような反論を行う者がいる。 合理選択マルクス主義が意味するところは、すべての経済的政治的行動と理論は、どんな個人の行動によって説明されなければならないというのみならず、ある良く知られた「個人」、つまり自己の利害に基づき効用を最大化するホモ・エコノミクスという個人の行動によって説明されなければならない、ということである。ホモ・エコノミクスは「次善の策」としてしか集合行動をとることができない。したがって、この方法でマルクス主義を再構築することはほぼ間違いなく不可能である。 実のところ、分析的マルクス主義者は上記の通りのアプローチを採用しているのである。分析的マルクス主義と多くのそれ以前の「マルクス主義」を真に隔てるものは、マルクス主義に残る「弁証法的」あるいは「全体論的」方法を拒絶するか否かという点にある。つまり、分析的マルクス主義者は、階級や他のどんな存在も、そうした存在を作り出したのは個人の行動の結果であるとして考えるべきであって、階級やその他の存在自体が行動すると受け取るべきでないと考える。分析的マルクス主義者は、合理的人間/ホモ・エコノミクスという新古典派経済学の前提に同意していないが(彼らが時にはこの前提をツールとして用いることはあっても、現実を描写するのには用いない)、にもかかわらず主流派の方法論には同意する傾向がある。こうした技法を用いる人たちが説明のために用いる、人間の本性についての方法論的仮説と、人間の本質についての理論そのものとを区別することを怠れば、混乱してしまうだろう。 分析的マルクス主義や合理選択マルクス主義は、(かつてマルクスが同時代の理論に対してそうしたのと同じように)ブルジョアジーの理論に対して、ブルジョワジー理論それ自体の用語を用いて挑戦する。人間の合理性は、資本主義を批判する際に、とてもよい出発点を与えてくれる可能性があるが、社会的公正の概念を考え直すにも足場を与えてくれる。多くの分析的マルクス主義者と同様、コーエンもまた最近の著作で、公正の概念について論じている。
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