『カルビンとホッブス』、成功へ
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「ビル・ワターソン」の記事における「『カルビンとホッブス』、成功へ」の解説
ユナイテッド・フィーチャー・シンジケート(英語版)に送ったコミック・ストリップの一つが編集者の目に留まり、脇役だった男の子とそのぬいぐるみを中心として改作するようオファーを受けた。しかし同時に、ユナイテッドが権利を持つロボットマンというキャラクターを登場させるのが条件だった。他人の創作物を描くのを嫌ったワターソンはユナイテッドでのデビューを断念し、改作したコミックをユニバーサル・プレス・シンジケート(英語版)(UPS)に送った。これが『カルビンとホッブス』である。初めて紙上に載ったのは1985年11月18日であった。掲載紙はすぐに数10紙に拡大し、後に最高で2400紙に達した。 『テンス・アニバーサリー・ブック』 によれば、チャールズ・シュルツ(『ピーナッツ』)、ウォルト・ケリー(『ポゴ』)、 ジョージ・ヘリマン(『クレイジー・カット』)に影響を受けた作品だという。ほかにもワターソンのスタイルにはウィンザー・マッケイの『夢の国のリトル・ニモ』からの影響もうかがえる。 多くの漫画家と同様に、ワターソンは自身の身の上や関心事、信条、価値観を作品に反映させている。具体的には趣味の自転車、「人格の陶冶」についての父の説教、商品化主義や企業主義に対する意見などが挙げられる。また、ホッブス(虎)の性格と外見は多くの部分を飼い猫スプライトから取っている。 ワターソンは一種の芸術至上主義者であり、自分の充足のために作品を創っていると述べたことがある。1990年にケニオン大学の卒業生に向けて行ったスピーチでは「ただ自分のためだけにはたらくとき、君たちはびっくりするくらい仕事に専心することができる」と語った。ワターソンはキャリアの少なからぬ期間を費やして新聞漫画のあり方を変えようとした。彼によれば、コミックの芸術的価値は劣化の一途をたどっており、近視眼的な新聞社の気まぐれによって紙面上のスペースは減らされ続けていた。さらにワターソンは、芸術はその表現媒体によって評価されるべきではないという意見を持っていた(すなわち、ハイアートやロウアートというものはなく、すべてが単にアートである)。
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