『カリガリからヒトラーへ』と反論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 03:13 UTC 版)
「カリガリ博士」の記事における「『カリガリからヒトラーへ』と反論」の解説
本作品を、自らの意思を持たない眠り男と、彼を僕とし巧みに操り、殺人を犯させる精神異常のカリガリ博士の関係性を取り上げ、その後のアドルフ・ヒトラーによる政権掌握とプロパガンダによる大衆操作、そして国民の盲従的なヒトラー崇拝と、第二次世界大戦やユダヤ人迫害をはじめとした国民の破滅的行為への加担を象徴化した作品であると見る映画研究者も多い。その代表的なもので、かつ多大な影響を与えたのが、ジークフリート・クラカウアーの『カリガリからヒトラーヘ』(1947年)である。 クラカウアーは『カリガリからヒトラーヘ』で、本作品を第一次世界大戦から第二次世界大戦へ至る、戦間期ドイツの社会情勢に対する寓話と解釈することが可能であると述べている。クラカウアーの主張では、カリガリ博士は専制的な人物像を象徴しており、こうした専制的な政治家にとっては、社会を混乱に陥れることだけが、唯一の代替策であり、専制政治(眠り男の支配=プロパガンダによる市民支配)か混乱(殺人事件=世界大戦)かの二者択一を迫る。しかし、このクラカウアーの命題は、近年では、多くの映画学者から否定されている。
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