『ぼくたちは戦場で育った』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 07:59 UTC 版)
「子ども戦争博物館」の記事における「『ぼくたちは戦場で育った』」の解説
本博物館の館長となるヤスミンコ・ハリロビッチは、4歳から8歳にかけて包囲下で子供時代をすごした。ハリロビッチは当時を振り返り、普通に暮らすことが戦争に対する抵抗だったと語っている。 ハリロビッチは2010年にサラエヴォをテーマにしたブログを始めて書籍化され、同じくサラエヴォを撮影した写真付きエッセイも発表した。ハリロビッチは戦争に巻き込まれた子供をテーマにしてできることを考え、サラエヴォ包囲当時に子供だった人々の声を集めることにした。募集は2010年6月から始め、最もあざやかに覚えていることを160文字以内で送ってくれるように頼んだ。呼びかけによって、1974年から1992年生まれの人々から1500以上のメッセージが集まった。紛争をきっかけに国外に移った人々も多く、投稿の約20%は国外からだった。投稿に多く含まれていた言葉には、ランチパック(39%)、パン(33%)、友情(33%)、つるむ(24%)、米(20%)、愛(18%)、死(17%)、迫撃弾や砲撃(13%)、地下室(10.4%)、遊びに関する語(9.8%)、恐怖(9.2%)などがあった。このプロジェクトは『ぼくたちは戦場で育った』という題名で書籍化された。この書籍の日本語版は、作家の角田光代が翻訳を行い、サラエヴォ出身で元サッカー日本代表監督であるイビツァ・オシムが解説を寄稿した。
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