『ぼくの伯父さん』
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「ジャック・タチ」の記事における「『ぼくの伯父さん』」の解説
長編第3作は『ぼくの伯父さん(Mon Oncle)』(1958年)。日本ではこちらの方が早く公開されたが、『ぼくの伯父さんの休暇』と直接の関係はない。パリの古い下町に住む「ぼくの伯父さん」ことユロ氏が、自動化されアメリカナイズされたモダンな住宅やプラスチック工場で悪戦苦闘するコメディである。この作品ではそのモダンな住宅のセットも話題になり、タチのモダニスト的な資質も注目された。 1959年、『ぼくの伯父さん』は米国第31回アカデミー賞外国語映画賞を受賞する。授賞式出席のため訪米する際、映画会社の人間から「(当時人気絶頂だった)ジェリー・ルイスとお会いになるおつもりがあるならば、(会談を)セットしますよ」と言われたが、タチは「ジェリー・ルイスと会う必要は感じません。もし会えるなら私はむしろマック・セネットと会いたいです」と返答した。当時、養老院で最晩年を送っていたマック・セネットはこれを聞いて大いに喜び、タチが深く愛したサイレント喜劇映画時代の仲間を呼び集め、タチを迎えて親しく歓談したという。その席に招かれた無声喜劇映画の巨星たちとは、すなわちバスター・キートン、ハロルド・ロイド、そしてスタン・ローレル(オリヴァー・ハーディは1957年に死去)のことである。 アカデミー賞受賞時には、これら無声喜劇映画のスターたちを念頭に「If Hollywood had not done so many funny pictures, I would not be here tonight. For all those great comedians, I am not the uncle, but the nephew.(もしハリウッドがあれほどたくさん面白い映画を作っていなかったら、今夜私はここにいないでしょう。あの偉大なコメディアン諸氏に対して、私は「伯父さん」ではないのです。私は彼らの甥っ子なのです)」とのスピーチを残している。
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