『ぼくの伯父さん』とは? わかりやすく解説

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『ぼくの伯父さん』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 05:29 UTC 版)

ジャック・タチ」の記事における「『ぼくの伯父さん』」の解説

長編第3作は『ぼくの伯父さんMon Oncle)』(1958年)。日本ではこちらの方が早く公開されたが、『ぼくの伯父さんの休暇』直接の関係はない。パリの古い下町に住む「ぼくの伯父さん」ことユロ氏が、自動化されアメリカナイズされたモダンな住宅プラスチック工場悪戦苦闘するコメディである。この作品ではそのモダンな住宅セット話題になり、タチモダニスト的な資質注目された。 1959年、『ぼくの伯父さん』は米国第31回アカデミー賞外国語映画賞受賞する授賞式出席のため訪米する際、映画会社人間から「(当時人気絶頂だった)ジェリー・ルイスとお会いになるおつもりがあるならば、(会談を)セットしますよ」と言われたが、タチは「ジェリー・ルイスと会う必要は感じません。もし会えるなら私はむしろマック・セネット会いたいです」と返答した当時養老院最晩年送っていたマック・セネットはこれを聞いて大い喜びタチ深く愛したサイレント喜劇映画時代仲間呼び集めタチ迎えて親しく歓談したという。その席に招かれ無声喜劇映画巨星たちとは、すなわちバスター・キートンハロルド・ロイド、そしてスタン・ローレルオリヴァー・ハーディ1957年死去)のことである。 アカデミー賞受賞時には、これら無声喜劇映画スターたち念頭に「If Hollywood had not done so many funny pictures, I would not be here tonight. For all those great comedians, I am not the uncle, but the nephew.(もしハリウッドあれほどたくさん面白映画作ってなかったら今夜私はここにいないでしょう。あの偉大なコメディアン諸氏に対して、私は「伯父さん」ではないのです。私は彼らの甥っ子なのです)」とのスピーチ残している。

※この「『ぼくの伯父さん』」の解説は、「ジャック・タチ」の解説の一部です。
「『ぼくの伯父さん』」を含む「ジャック・タチ」の記事については、「ジャック・タチ」の概要を参照ください。

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