「遺骨」の鑑定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 04:47 UTC 版)
北朝鮮側は、松木薫の「墓」は洪水で流されたものの、「遺骨」を発見しており、2度火葬したという。松木の弟が会見の席に臨んだ約1週間後の2002年10月8日、日本政府によって松木薫がようやく「拉致認定」された。10月15日、5人の拉致被害者が政府専用機で帰国した。姉たちは「予定変更」があってもう一人一緒に帰ってくることを夢想したが、来なかった。空港の控室に戻るバスのなかで、姉たちは大声を上げて泣いた。その夜、姉のうちの次女は体調をくずして緊急入院し、長女も激しい頭痛と吐き気を覚えて外務省の医師に薬を処方してもらった。 この日からほぼ1か月後、調査団が持ち帰った遺骨の鑑定結果が出た。記者会見で弟は「DNA鑑定を行うと聞いています」とのみ説明し、骨相鑑定も行うことは公表しなかった。2度火葬したうえでの「遺骨」なので、北朝鮮側はそれで安心して渡したと思われるが、東京歯科大学の橋本正次(法人類学)による骨相鑑定の結果は、60歳くらいの女性の骨であるというものであり、「遺骨」は松木薫のものではないことが判明した。本人がもし本当に死亡しているのならその骨を出してくればよいのだから、これはある意味、松木が生存していることの証拠といえるものである。 松木薫は、「死亡」とされた8人のうち、唯一、独身とされた拉致被害者で、彼だけが43歳まで生き、一番最近の1996年まで生きていたとされ、交通事故で死んだとされた。彼が他の被害者と異なるのは、唯一「遺骨」が提供された点であり、北朝鮮も一人くらいは遺骨を出さなければならないだろうと考えており、それにふさわしい人物が唯一独身とされた彼であったろうと推測される。2度「火葬」したのは、鑑定不能に持ち込むための細工であったろうと考えられるが、複数人の骨が混じっていたという。朝鮮半島の伝統的な葬送は土葬であり、その点でも疑問ののこる「遺骨」である。
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