「那覇空軍・海軍補助施設」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 05:23 UTC 版)
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沖縄戦の占領から継続使用され、さらに1953年にさらなる強制接収で、閑静な将校や下士官・軍属などの住宅地として幼稚園、遊園地、ゴルフ場、PX、銀行等が作られた。1965年から十数回に分け返還が行われた。西側は航空自衛隊那覇基地へ移管され、東側は住宅地として、また瀬長島はショッピングモールや市営球場として開発された。 1972年の返還協定時の状態 場所: 那覇市宮城・赤嶺・田原・金城・高良・具志・字当間・字安次嶺・字鏡水・豊見城市字瀬長 面積: 約 3,623 千㎡ 施設: 管理事務所、住宅、弾薬庫を含む
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