米軍基地「那覇空軍・海軍補助施設」
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「瀬長島」の記事における「米軍基地「那覇空軍・海軍補助施設」」の解説
1946年(昭和21年)に米軍に接収され、米軍基地「那覇空軍・海軍補助施設」の一部となった際、弾薬庫などの施設が置かれ、住民は対岸の沖縄島へ移住を余儀なくされた。同時に、島内の拝所や井泉なども本島に移転し、対岸の「アカサチ森」に「瀬長拝所」として集合移設された。また対岸のアサカチ森、および米軍那覇空港とをつなぐ2本の海中道路が建設された。戦前まで島には、瀬長グスク、子宝岩、瀬長ノ嶽など多くの遺跡や拝所、井泉 (ガー) が存在し、神の島として本島からも参拝者が訪れていたが、戦後は米軍基地として立入が禁止され、遺構の多くが破壊され、島の地形も変貌した。瀬長島対岸アサカチ森の集落は、1951年(昭和26年)に直撃したルース台風により、多数の死傷者を出したため、さらに内陸部へ集落を移動した。またアサカチ森に移転された拝所は、老朽化のため1975年に瀬長拝所として現在の場所に再建立された。
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