「邪悪なるメルカトル」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/02/19 13:38 UTC 版)
「ジョン・ポール・グード」の記事における「「邪悪なるメルカトル」」の解説
1908年、ボルティモアで開催されたアメリカ地理学会の集会で、グードは「邪悪なるメルカトル(Evil Mercator)」に代わる世界地図図法の創出について講演した(Hass and Ward 244)。メルカトル図法は、両極に近づくほど大きく歪み、特に北半球の高緯度地域の表現に問題が生じやすい。グードは、いずれも正積図法であるホモログラフ図法(モルワイデ図法)と正弦曲線図法(サンソン図法)を、南北の40度44分11.8秒の緯線で接合し、ホモロサイン図法(グード図法)を作った (Stienwand 1)。「ホモロサイン」は、「ホモロ」を「ホモログラフ」、「サイン」を「サイナソイド=正弦曲線」からとった造語である。グードは、ふたつの等積図法において、緯線の長さが等しく表現される緯度を算出し、そこで両図法を接続した。南北の40度44分11.8秒より極に近い範囲では、ホモログラフ図法が用いられ、境界となる南北の緯度線の間、赤道を中心とする部分には、正弦曲線図法が挿入された。さらに、海洋部に断裂を入れた断裂ホモロサイン投影図法は、擬円筒図法による正積図法になっている。当初、グードのホモロサイン投影図法は広く受け入れられなかった。また、アメリカ合衆国を地図の中心に置かない描き方は、当時の地図文化に挑戦するものであった(Schulten 187)。
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