「母」の不在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 04:59 UTC 版)
中島敦の文学の形成には、幼い時の生母との別れや、2人の継母との良好でなかった母子関係が少なからず影を落とし、中島文学に執拗に現れている「存在の不確かさ」へのこだわりや「己れ」を追求し彷徨する底には、そうした存在基盤としての「母なるもの」(無条件に安心し寄りかかれるもの)の欠如感も関係しているのではないかとされている。 形而上学的な不安をテーマにした『狼疾記』の元草稿の『北方行』の方には、「母親を知らぬ少年」「継母」を持つ少年、「僕あ、オフクロを知らないんでね」という記述や、「彼に、ある一つのもの、一つの根元的なものが欠けてゐるのは明らかなんだ」という記述があるが、それを突き詰めようとしないところで中絶してしまっている。また、小説として完成していたにもかかわらず発表しなかった習作『プウルの傍で』でも、自身の投影である悩める三造は生母を知らず、そのことが深く影を落としている作品となっている。 山下真史は、それらの習作では、生母を知らないということが、世界に対する不信感を募らせて「存在の不確かさ」の観念を生じさせたことが暗示されながらも、それを十全に告白できないもどかしさの上に成り立っているとしている。そうした、生母のことを真正面から語ることを禁忌として作家的出発をした中島の傾向は、芥川龍之介が狂気の母を語ることを自ら禁じて作家的出発をしたことと共通するものが見られるとされる。
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