「孤高の牛飼い」と呼ばれた平田五美
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「竹の谷蔓」の記事における「「孤高の牛飼い」と呼ばれた平田五美」の解説
平田五美は岡山県新見市に住む牛生産者(牛飼い)である。1980年頃、「日本最古の蔓牛」として名高い、竹の谷蔓の維持・再現を開始した。それはかつて、難波元助・千代平親子が実践した手法を、完全に踏襲するものである。 2021年11月時点で、平田五美のもとには、7頭の雌牛を残すのみとなっている。 平田五美の生産する牛郡は希少系統であり、黒毛和種の基礎をなす純粋種である。遺伝学的解析の結果、他集団とは明確に区別される固有の遺伝的特徴を持つことが明らかとなった。松坂牛や神戸ビーフなど日本の名だたるブランド和牛は、ほぼ田尻(兵庫)、藤良(岡山)、気高(鳥取)の3系統の交配によって成り立っている。それらは現状、近親化が進み、様々な弊害が報告されるようになってきた。難産、流産、生後間もなくの死亡などである。 上記の研究に長年携わってきた米田一裕博士は報道番組に対し以下のように発言している。 「今、ここ以外に飼われている牛というのは、やはり、どんどん同じような血縁関係になってきている、というところから考えると、もし、何かが起こった場合には、ダメになってしまう。日本にいる牛がダメになってしまう可能性がある。新たな血を入れることが(和牛を)救う道の一つなんですよね。だからそういうことでも、こういう(竹の谷の)血統は残しておくべきだし・・・」(括弧内は番組内テロップによる補記) ー米田一裕、メッセージ RSK地域スペシャル 2017年6月28日放送より しかしながら、平田五美の竹の谷蔓系統牛が、千屋牛振興(2006年発表『千屋牛1,000頭増頭戦略』)に重点を置く新見市による補助金の対象になることは無きに等しい。また同市には、希少系統として別途保護する政策も無い。県行政においても同様である。これらは、霜降り肉の生産を奨励しているためである。 2011年以降、新見市は「A級グルメ」と称して千屋牛を認定し、「A級グルメフェア」(2011年第一回開催)を開催するなど、その振興に努めてきた。「日本最古の蔓牛 千屋牛」と歌う、ローカルアイドルグループによる宣伝が発信され続けているのも、その一環である。 一方、平田五美の生産牛は、『黒毛和牛が消える日』(日経ビジネス、2011年2月21日配信)を皮切りに、幾度となく報道メディアで特集され全国的な注目が集まっていたが、2007年6月以降、2018年6月に至るまで、新見市市議会定例会においても一切言及されていない。未だ、市の肉牛政策からは孤立した状態におかれている。 そのような公的支援環境のもと、40年以上にわたり系統の維持に尽力し続けてきた。「孤高の牛飼い」と称されるに至った所以である。 平田五美は報道番組に対して以下ように発言している。 「いくら『おかゆ』に『砂』混ぜて食べても、絶対に行政には屈しないという、そういう信念のもとに始めたことだから、辞められない。」 ー平田五美、RSKイブニングニュース 2021年11月17日放送より そうした平田氏の信念を支えたものを、客観的に記述することは出来ない。しかしながら、残された竹の谷蔓系統牛は、危機が囁かれる黒毛和種に対し、唯一、遥か別系統の遺伝子資源として、そして和牛の未来を救う道として、今後の活躍を期待されているものである。
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