「サークル村」と水俣病への出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 09:11 UTC 版)
「石牟礼道子」の記事における「「サークル村」と水俣病への出会い」の解説
「水俣病」も参照 1956年短歌研究五十首詠(後の短歌研究新人賞)に入選。1958年に谷川雁の「サークル村」に参加、詩歌を中心に文学活動を開始した。 この頃、長男が入院した病院で「奇病」の存在を知り、強い衝撃を受けている。その後、熊本大学研究班が出した報告書に衝撃を受け、1968年、日吉フミコらとともに水俣病患者を支援する水俣病対策市民会議を立ち上げた。1969年には、「苦海浄土 わが水俣病」を発表し、大きな反響を得た。この著作は熊日文学賞や第1回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたが、いずれも受賞を辞退している。 1986年5月には穴井太(俳人)の世話により句集「天」(天籟俳句会)を刊行。 1993年、週刊金曜日の創刊に参画。編集委員を務めたが手伝いをしただけである事を理由に2年で辞任している。 2002年7月、新作能「不知火」を発表。同年東京上演、2003年熊本上演、2004年8月には水俣上演が行われた。 2018年2月10日午前3時14分、息子の道生、妹の紗子、姪のひとみ、道子の介護歴のある大津円が見守る中、パーキンソン病による急性増悪のため、熊本市の介護施設で死去。90歳だった。4月15日には送る会が開かれ、上皇后も参列し、「日本の宝を失いました」と道生に述べた。
※この「「サークル村」と水俣病への出会い」の解説は、「石牟礼道子」の解説の一部です。
「「サークル村」と水俣病への出会い」を含む「石牟礼道子」の記事については、「石牟礼道子」の概要を参照ください。
- 「サークル村」と水俣病への出会いのページへのリンク