「りんかんサンライン」の愛称について
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「南海高野線」の記事における「「りんかんサンライン」の愛称について」の解説
1995年から2008年まで難波駅 - 橋本駅間には「りんかんサンライン」の愛称が付けられていた。「りんかん」は、澄んだ空気と豊かな自然とが調和するさわやかな街並みのイメージ、「サンライン」は太陽 (Sun) の明るさと暖かさ、さんさんと降り注ぐ陽光の輝きを意味している。 1994年12月14日、当時の社長川勝泰司が「田舎臭いイメージを変えたい」と発言したのがきっかけで岸里玉出駅 - 橋本駅間の名称を社内公募で選定し、1995年9月1日のダイヤ改正時から使用したいと発表。社長案として「南海山の手線」を提唱した。川勝社長は会見で「名称がいま風、都会風になれば、当社の住宅分譲などにも効果がでるだろうし、利用客が増えるかもしれない。それには山手線がいい」とコメントした。しかし、高野山の所在する高野町がそれに反発し、当時の町長と高野山真言宗金剛峯寺宗務総長が路線名存続の要望を出したことから路線名変更を断念して愛称を募集することとし、「りんかんサンライン」に決定した。当初は難波駅 - 橋本駅間を「りんかんサンライン」、橋本駅 - 極楽橋駅間を「高野線」と路線図上では区別していたが、後に「高野線りんかんサンライン」と両名併記して案内されるようになった。車内放送では、南海本線側からの乗換案内などで「高野線りんかんサンラインはお乗り換えです」と案内されていた。 なお「山手線」の名称は、南海電気鉄道の前身である南海鉄道が1940年に統合した阪和電気鉄道の路線、すなわち後に西日本旅客鉄道(JR西日本)阪和線となる路線の呼称として、戦時買収によって同線が国有化される1944年まで用いていたことがあった。 しかし、沿線住民の間では「高野線」の名称で定着しており、「りんかんサンライン」と呼ぶ人はさほど多くなかった。2008年の高野線ダイヤ変更より案内上でもほとんど「りんかんサンライン」の愛称が使われなくなり、2009年3月20日の阪神なんば線の開業とともに、車内路線図から「りんかんサンライン」の表示が消去され、車内自動放送の乗換案内においても「りんかんサンライン」とは案内されなくなった。また公式ホームページにおいても現在は「りんかんサンライン」の案内はなくなっている。愛称使用終了前に印刷された駅配布の時刻表などもそのまま配布されていたが、2013年10月に行われたダイヤ改正時に発行された時刻表および駅掲出の時刻表には記載されていない。 なお、愛称使用終了後も泉北高速鉄道5000系の車内案内表示器には中百舌鳥駅到着時に表示される乗換案内に「りんかんサンライン」の表示が残っていたが、同形式は2020年2月にリニューアル工事を終えたためその表示はなくなった。その後は岸里玉出駅6番線ホームの乗換案内放送に「高野線りんかんサンラインはお乗り換えです」の案内が唯一残るのみとなっていたが、その放送も2021年5月に更新されたため「りんかんサンライン」の名は消滅した。 2022年時点では、北野田駅高野山方面ホーム(1・2番線)のLED発車案内の上部に「りんかんサンライン」の表記が残存している。
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