「ももクロ」初期
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2008年5月に結成されたももいろクローバー(後のももいろクローバーZ)に、同年11月23日加入。同日に行われた飯田橋ラムラでのライブ中に、早見あかり・柏幸奈とともに新メンバーとして登場した。 キャッチフレーズは「ちょっぴりセクシーでおちゃめな、ももクロのアイドル」。加入当時は、“変顔”を見せることにも抵抗を示すほどであり、振付でコマネチを強要され、「やりたくない」と号泣したこともある。最終的に、ももクロはそういったこともするグループであることを理解し克服した。 箱入り娘として育てられたため、母親から色々なことを禁止されていた時期がある。このエピソードは『あーりんは反抗期!』というソロ曲の歌詞にも反映されている。 2012年に、坂崎幸之助(THE ALFEE)が主宰するフォーク音楽のイベントにグループとして参加し、初めてソロでアコースティック楽器とのセッションに挑戦。山口百恵の『秋桜』(コスモス)をカバーするも、大きく音を外すなどして歌いこなすことができなかった。本人は翌日のブログで謝るなど重く受け止め、後日インタビューでは「一曲しかない中で、いままで歌ったことのないジャンル、それも大先輩の歌を歌わせていただく、ということをもっと真剣に考えなくちゃいけなかった」と述べた。 その3ヶ月後に佐々木のリベンジの機会も兼ね、グループ初となるアコースティックライブが開催される(ももいろ夜ばなし第一夜「白秋」)。これに際して『秋桜』の歌詞を読み込み、登場人物の設定や物語の解釈を熟考。曲との距離感を縮め、歌詞とコード進行の関係性も頭に入れてからボイストレーニングに臨み、万全のパフォーマンスとなった。 すると翌年には、『秋桜』の作者であるさだまさしのコンサートに、ゲストとして招待されることに。ステージ上で同曲をデュエットし、さだの通算4000回となる区切りのコンサートに花を添えた。 後日のインタビューでは最初の失敗を振り返り、「歌に対しての意識も変わったし、パフォーマンスに対する意識もあの日を境にあがりました」「力が足りてないから理想のレベルを落とすんじゃなくて、揺るがない理想に向かって、進んでいかなくちゃいけない」と述べた。
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