「あじあ」の速度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 09:36 UTC 版)
「あじあ (列車)」の記事における「「あじあ」の速度」の解説
「あじあ」は1934年(昭和9年)11月の運転開始当初、大連 - 新京間701.4 kmを8時間30分で走破し、表定速度は82.5 km/hに達した。これは当時日本の鉄道省で最速の特急列車だった「燕」(最高速度95 km/h、表定速度69.55 km/h)を大きく凌ぎ、戦前の日本における表定速度の最高記録である阪和電気鉄道(現・JR西日本阪和線)の超特急(表定速度81.6 km/h、狭軌での電車による運行)をも超える高速運転であった。 1935年(昭和10年)9月には運転区間が大連 - ハルビン間に延長されるが、京浜線(新京 - ハルビン間)は軌道の状態が悪いことに加え、軸重が重い「パシナ」は入線できないことから京浜線区間(走行距離242 km)の所要時間は4時間42分(大連行き)で表定速度は51.5 km/hにとどまり、大連 - ハルビン間全体(走行距離943.4 km、所要時間13時間30分)の表定速度は69.9 km/hとなった(大連 - 新京間の所要時間はハルビン延長前と同じく8時間30分)。 1936年(昭和11年)10月のダイヤ改正では大連 - 新京間の所要時間が10分、新京 - ハルビン間の所要時間が50分短縮され、「あじあ」運行期間中で最速のダイヤとなる。大連 - 新京間は所要時間8時間20分で表定速度84.2km/h、新京 - ハルビン間は所要時間4時間で表定速度60.5km/h、大連 - ハルビン間は所要時間12時間30分で表定速度75.5km/hとなった。その後、時刻の変更はあったものの、各駅間の所要時間は1939年(昭和14年)11月のダイヤ改正で停車駅に鞍山駅が追加され、大連 - 新京間の所要時間が5分延びるまで維持された。 「あじあ」は「戦前の日本が開発した世界レベルの高速列車」として紹介されることがあり、事実「あじあ」は戦前に日本が開発した列車の中では最速であった。しかし、「あじあ」が運転されていた時期に欧米では表定速度100 km/hを超える列車も多く存在し、それらに比べると劣っていた。満鉄の標準軌・平坦線という好条件を考慮すると、速度の面では世界的に見て特筆すべきものではなく、当時の鉄道先進国の中では標準並でしかなかったことも確かである。
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