2号機 (本務機)
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「東洋活性白土」の記事における「 2号機 (本務機)」の解説
1956年、協三工業製軌間610mmのB型サイドタンク6トン機(→写真)。産業用の規格設計型で、実際には名目より数年以前に作られたメーカーのストック品の可能性が高い。軌間762mm用の機関車として設計されていたので、車体幅は軌間610mmの機関車としては広めである。愛称は「くろひめ号」。本機は水の消費量が少ないため、社員が角型の石油缶を使用して本機のタンクに給水していた。ある年の1月、雪中での運行の無理が重なって本機のクランクピンが折損する事故が発生した。本機の車検がその年の2月に切れるので、これを機にディーゼル機関車を購入しようという話が社内で出たが、本機を見学にくるファンのために国鉄長野工場で修理した。本機が毎年2月の定期点検や故障で稼働できないときは予備機(1号機)による鉄道輸送は行わなかった。このような場合は工場の炉の燃料用重油の搬入はせず、製品(活性白土)は運送会社に依頼したトラックで輸送した。本機は日本で最後の実用蒸気機関車となった専用鉄道廃線後、本機は東洋活性白土から糸魚川市へ譲渡され、1987年から糸魚川小学校の校庭で展示(静態保存)された。所蔵元は糸魚川市教育委員会である。2007年に江戸東京博物館で開催された特別展『大鉄道博覧会 - 昭和への旅は列車に乗って』(2007年7月10日 - 9月9日)に出展されたが、糸魚川市は江戸東京博物館から貸し出しの要請を受け、糸魚川市の広報に益になる機会であることから貸し出しに応じた。『大鉄道博覧会』後、本機は糸魚川市にあるフォッサマグナミュージアムに展示される。1号機は羅須地人鉄道協会により動態保存へ向けての活動が行われているが、本機の所有者である糸魚川市は、2007年7月時点では動態保存を考えていない。本機を稼働させるための整備には多額の費用が必要であり、また、本機を走行させる軌道の敷設や本機の動態状態での維持にも費用がかかるためである。観光鉄道として運営したとしても採算が合わないと糸魚川市は判断している。2020年10月には、糸魚川駅内の複合型交流施設「糸魚川ジオステーション ジオパル」に移設されている。
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