論理実証主義 論理実証主義の概要

論理実証主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/08 20:48 UTC 版)

概要

経験主義―数学的構成物と論理言語学的な構成物とを融合させた知識を伴う種類の合理主義には実験に基づいた証拠が必要だとする考えと、認識論の成果を結合したものである。論理実証主義は分析哲学の一種だと考えられるかもしれない[1]

論理実証主義は、一般的な意味では、20世紀初期にウィーンのCafé Centralに集まり、最初ウィーン学団として知られた集団の討論から始まった。第一次世界大戦後、初期の集団の一人のハンス・ハーンモーリッツ・シュリックのウィーン来訪を手助けした。シュリックのウィーン学団は、ハンス・ライヘンバッハベルリン学派英語版とともに1920年代から1930年代にかけて新しい思想を盛んに喧伝した。オットー・ノイラートの唱道こそがこの派を自覚せしめるとともにより広く知らしめた。ノイラート、ハーン、ルドルフ・カルナップが書いた1929年のパンフレットには当時のウィーン学団の教義が要約されている。そこに要約された教義では形而上学、特に存在論と偽のアプリオリな命題に対する攻撃が述べられている。あらゆる知識は、唯一の科学的な標準言語によって明文化可能であるという考えである。また、合理的再構成の計画の中でも、通常の言語の概念がそれに相当する標準言語のより精密な概念に置き換えられる。

しかし1930年代初期のナチス台頭と政治的騒乱の影が彼らにも忍び寄ることとなり、最終的にはハンスの病没とシュリックの暗殺、さらにドイツのオーストリア併合によってウィーン学団は散り散りとなってしまった。論理実証主義の著名な支持者は大多数がイギリスアメリカ合衆国へ移住し、アメリカの哲学に少なからぬ影響を与えた。1950年代までには、論理実証主義は科学哲学の主導的な学派となった。その時期に、カルナップは論理実証主義の初期の教義に代えて自身の「言語の論理的統語論」を提唱した。この強調点の変化と、ライヘンバッハらの幾分の意見の相違によって、結果的に1930年代からアメリカに亡命して人々の間で共有された教義の名称を「論理経験主義」とするべきだという合意が形成された。

歴史

解説

1920年代後半のウィーンエルンスト・マッハ経験主義哲学の薫陶を受けたモーリッツ・シュリックを中心に結成したウィーン学団が提唱した。

経験論の手法を現代に適合させ、形而上学を否定し、諸科学の統一を目的に、オットー・ノイラートルドルフ・カルナップなどのメンバーで活動したウィーンを中心とした運動である。その特徴は、哲学を数学論理学を基礎とした確固たる方法論を基盤に実験や言語分析に科学的な厳正さを求める点にあり、その後の認識論及び科学論に重大な影響を与えた[2]

この思想ないし運動には、イギリスアルフレッド・ノース・ホワイトヘッド及びバートランド・ラッセルの『プリンキピア・マテマティカ(数学原理)』とオーストリア生まれのルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の影響が大きい。『論理哲学論考』にあるように、形而上学は問題化できないもの(神、世界の限界、自由)を問題化していると規定する。なお、本書は、論理実証主義の聖書のような扱いを受けていた。その本の最後に掲げられた命題「語りえぬものについては沈黙しなければならない」(: "Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.": "Whereof one cannot speak, thereof one must be silent.")の言葉はあまりに有名である。

ナチスの台頭で学団のメンバーがアメリカに亡命した影響でその主張は英米で発展した。カルナップのアメリカでの弟子ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインは「経験主義の二つのドグマ」において、論理実証主義が念頭に置いていた分析命題と総合命題のはっきりとした区別を否定し、還元主義を攻撃し、ホーリズムを唱えた。

ドイツの論理実証主義

ドイツにおける実証主義はドイツで著名であったヘーゲル学派新ヘーゲル学派に対する応答として発展したと考えられている[3]フランシス・ハーバート・ブラッドリーのようなヘーゲル主義の継承者は現実性を経験的な基盤を持たない形而上学的な実体を仮定することで説明しようとした[3]。論理実証主義者はそれに対して、形而上学的実体を説明に用いることを止めるように求めた。

もう一つの、論理実証主義を鼓舞したあまり知られていない方の要因は、新しい科学の発展によって起こってきた新しい哲学的問題を解決したいという催促であった。モーリッツ・シュリックの影響下でウィーン学団は、そしてハンス・ライヘンバッハの影響下でベルリン学派は科学者、数学者、科学者から転向した哲学者よりなっていて、科学哲学における新しい問題を解決するという共同の目的を共有していた。

基本的な教義

論理実証主義者たちは多くの問題に対して様々な観点を持っていたものの、彼らは皆科学に関心を持ち、神学形而上学に対しては懐疑的であった。初期には、大多数の論理実証主義者が、全ての知識は経験的事実に基づいた単純な「プロトコル命題」からの論理的推論によるものであると主張していた。多くの論理実証主義者は唯物論形而上学的自然主義英語版経験論の形式を支持していた[4]

論理実証主義は、意味の検証可能性の基準、つまり検証主義英語版に集約される。その初期の強い定式化の一つでは、これは、命題は確証的にその真偽を決定する有限回の手続きが存在する場合にのみ「認識論的に意味がある」という教義である[5]カール・ヘンペルは次のように定式化した[6]

ある命題が経験的意味をもつための必要十分条件は、その命題が分析的ではなく、かつ観察命題の無矛盾な有限集合から論理的に導出されることである。

この意見の初期の結果として、多くの論理実証主義者にとって[要出典]、形而上学的、神学的、倫理的言明はこの基準に合格せず、そのため認識論的に有意味でないことになる[7]。彼らは認識論的な有意味性と別種の、多様な有意味性(例えば、感情的な、表現的な、比喩的ななど)とを区別した。そして多くの著述家は、哲学史上の非認識論的言明は何らかの別の種類の有意味性を持つことを認めた。認識論的有意味性の実証的な特徴づけは著述家によって異なる。それは真理値を持つという特性、可能な情勢に一致すること、条件を提示すること、あるいは科学的言明が理解可能であるのと同じ意味で理解可能であることというように記述される[8]

論理実証主義のもう一つの特徴的な形質は、統一科学への傾倒である。つまり、全ての科学的陳述がなされ得る共通言語、あるいはノイラートの言い回しでは「普遍的俗語」の発展である[9]。そういった言語を提起することの妥当さ、あるいはそういった言語を提起することの断片の妥当さは、しばしば特殊科学の言葉をもう一つの、より根源的だと推定される科学の言葉に様々に還元、もしくはより根源的だと推定される科学の言葉で様々に説明することに基づいて断言される。そういった還元はいくつかの論理的・基本的概念の集合論的操作からなることもある[10]。そういった還元は申し立てによると分析的かもしくはアプリオリに演繹的な関係からなることもある[11]。30年の間に出版されたものの多くはこの概念を明瞭にしようとしていた。


  1. ^ See, e.g.,  : "Vienna Circle" in Stanford Encyclopedia of Philosophy.
  2. ^ 中山 (2008, p. 26)
  3. ^ a b c Suppe, Frederick, The Positivist Model of Scientific Theories, in: Scientific Inquiry, Robert Klee editor, New York, USA: Oxford University Press, 1999, pp. 16–24.
  4. ^ Ladyman, James (2002). Understanding Philosophy of Science. New York: Routledge. p. 147. ISBN 978-0415221566 
  5. ^ For a classic survey of other versions of verificationism, see Hempel, Carl. "Problems and Changes in the Empiricist Criterion of Meaning". Revue Internationale de Philosophie 41 (1950), pp. 41–63.
  6. ^ a b 野家 (1998, p. 98)
  7. ^ For the classic expression of this view, see Carnap, op. cit. Moritz Schlick, a major logical positivist, did not consider ethical (or aesthetic) sentences to be cognitively meaningless. See Schlick, Moritz. "The Future Of Philosophy". The Linguistic Turn. Ed. Richard Rorty. Chicago: University of Chicago Press, 1992. pp. 43–53.
  8. ^ Examples of these different views can be found in Scheffler's Anatomy of Inquiry, Ayer's Language, Truth, and Logic, Schlick's "Positivism and Realism" (rpt. in Sarkar (1996) and Ayer (1959)), and Carnap's Philosophy and Logical Syntax.
  9. ^ For a thorough consideration of what the thesis of the unity of science amounts to, see Frost-Arnold, Gregory, "The Large-Scale Structure of Logical Empiricism: Unity of Science and the Rejection of Metaphysics" at [1]
  10. ^ Carnap, Rudolf (1928). Der Logische Aufbau der Welt. Leipzig: Meiner Verlag. p. 147. ISBN 978-0415221566 
  11. ^ Carnap, Rudolf (1936). “Testability and meaning”. Philosophy of Science 3 (4): 419-471. 
  12. ^ Okasha, Samir, Philosophy of Science: A Very Short Introduction, New York: Oxford University Press, 2002, p. 23. ISBN 978-0-19-280283-5
  13. ^ Putnam, Hilary, Problems with the Observational/Theoretical Distinction, in: Scientific Inquiry, Robert Klee editor, New York, USA: Oxford University Press, 1999, pp. 25–29.
  14. ^ Quine, Willard van Orman (1960). Word and Object. Cambridge, Mass: MIT Press 
  15. ^ Kuhn, Thomas Samuel (1962). The Structure of Scientific Revolutions. Chicago: The University of Chicago Press 
  16. ^ Neurath, Otto (1921). Anti-Spengler. München: G.D.W. Callwey 
  17. ^ a b Hanfling, Oswald (2003). “Logical Positivism”. Routledge History of Philosophy. Routledge. p. 193f 


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