ヒラリー・パトナムの反論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 14:19 UTC 版)
「論理実証主義」の記事における「ヒラリー・パトナムの反論」の解説
かつてハンス・ライヘルバッハ及びルドルフ・カルナップの弟子であったヒラリー・パトナムによれば、観察的/理論的区別は無意味であるという。「理論の受け入れられた観点」は「観察的な術語は独特の現象や現象の特性に言及していて、理論的術語に対してなされる解釈だけが調和規則によって与えられる明確な定義である」という「調和規則」を実行する。パトナムは、観察的術語と理論的術語の区別を導入することは「どちらから始めるか」という問題を引き起こすと主張する。パトナムは4つの反論とともに、このことを実演してみせた。 何かが「観察的」だと言われるのは、それが私たちの感覚によって直接的に観察できるときである。そして観察的術語は観察できないものに適用できない。この場合、観察的術語は存在しない。 カルナップの分類で、いくつかの観察不可能な術語は理論的でもなく、観察的術語にも理論的術語にも属さない。いくつかの理論的術語は主に観察的術語に言及している。 観察的術語の報告はしばしば理論的術語を含んでいる。 科学的理論は理論的術語を含むことができない(例えばダーウィンのオリジナルな進化論)。
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