国鉄201系電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 15:44 UTC 版)
形式
本系列は電動車にMM'ユニット方式を採用しており、モハもしくはクモハの201形と200形に主要機器を分散搭載して、電動車2両を1単位としている。形式解説順序は過去からの慣例に準じて記述する。車両の方向は東海道本線基準で奇数向きは東京寄り、偶数向きは神戸寄りを表す。
- クモハ200形 (M'c)
- モハ201形とユニットを組む制御電動車で、電動発電機や空気圧縮機などの補助的な機器を中心に搭載する。偶数向き専用。試作車のみ存在する。
- モハ201形 (M)
- クモハ200形またはモハ200形とユニットを組む中間電動車で、パンタグラフや主制御器などの主回路を構成する機器群を中心に搭載する。
- モハ200形 (M')
- モハ201形とユニットを組む中間電動車で、クモハ200形と同様に電動発電機と空気圧縮機を搭載する。
- クハ201形 (Tc)
- 奇数向き専用の制御車。
- クハ200形 (T'c)
- 偶数向き専用の制御車で、試作車には存在しない。
- サハ201形 (T)
- 運転台のない付随車で、試作車落成時には存在しなかった。
番台別概説
900番台(量産先行車)
国鉄初の電機子チョッパ制御を採用した新系列車両の先行試作車として、昭和52年度第2次債務で1979年に5両編成2本の10両が製造された[34]。車両番号は900番台に区分され、クハ201-901ほか5両編成が東急車輛製造製、クハ201-902ほか5両編成が日本車輌製造製となっている[35]。当初の配置は三鷹電車区(現・三鷹車両センター)であった。
1979年より試運転が開始されるとともに、同年5月13日には原宿駅の宮廷ホームで展示会が行われた[24]。1979年8月20日に中央快速線で営業運転が開始され、正面には「省エネ201」のヘッドマークも掲出された[24]。運用途中に三鷹駅で車両交換を行うことで、営業運転を開始した[1]。初日は「新型省エネルギー電車(201系)運転記念」と題した出発式が行われた[1]。
編成は中央快速線での営業運転開始前に当時の101系・103系と同じ3両+7両編成に組成変更され、1983年の量産化改造で当時の201系量産車と同じ6両+4両編成に組成変更された[34]。
車体は外板材質は熱間圧延軟鋼板 SPHC を引き続き採用し、塩化ビニール製絶縁屋根布を張り付けている[36]。客用窓は下段上昇・上段下降式の外はめ式ユニット窓が採用され、上段窓にバランサーが取付られた[注 9]。客用扉窓、戸袋窓など固定窓のガラス支持は、Hゴムを廃して押え金方式を採用している[28]。車両番号標記は特急形車両と同様のステンレス製切り抜き文字が採用された[14]。
車内は冷房装置搭載を前提として構成の見直しが行われ、天井構造は平天井となった。外部屋根のカーブ形状も見直され、103系[37]と比較して緩いものとされた[28]。
冷房装置は集中式のAU75系が採用され、当時落成していた103系用と同型のAU75B形を1基搭載する。冷気は平屋根構造の車内風洞を介して車内に送り込み、三菱電機製「ラインデリア」(横流補助送風機)によって扇風機なしでもまんべんなく車内に行き渡る構造とした。換気用通風器はグローブ形に代わり、FRP製の角形押し込み式が採用されている[28]。
台車はダイレクトマウント(車体直結)式の空気ばね台車で、東急製の901編成にDT46X・TR231Xが、日車製の902編成にDT46Y・TR231Yが採用された[24]。
回生ブレーキ時の離線対策も考慮して、試作車ではPS21形パンタグラフが各電動車1ユニット(2両)につき2基ずつ搭載された[24]。
1983年に量産化改造が行われ、組成変更や電装解除などが行われた(後述)。国鉄末期には中央快速線から中央・総武緩行線に転用された。
1990年より首都圏各線区でATS-Pが本格導入され、201系にも関連機器の設置改造が行われたが、試作車はクモハ200形の床下の空きスペースが小さく、クハも含めてATS-Pの搭載は見送られた[38]。試作車は量産車編成の中間に組み込まれ、営業線では先頭に立たなくなった[38]。
中央・総武緩行線からの撤退後は京葉線に転用されたが、老朽化のため2005年11月に廃車となった[34]。
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号車 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
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形式 | クハ201 -901 (Tc) |
◇ モハ201 -901 (M) |
モハ200 -901 (M') |
◇ モハ201 -902 (M) |
クモハ200 -901 (Mc') |
クハ201 -902 (Tc) |
◇ モハ201 -903 (M) |
モハ200 -902 (M') |
◇ モハ201 -904 (M) |
クモハ200 -902 (Mc') |
0番台(量産車)
900番台の実績を基に改良を行った量産車として、1981年8月より中央快速線に投入が開始された[39]。ブレーキの回生率の向上、メンテナンスフリー化やコストダウンを図った設計変更が加えられている[24]。中央快速線のほか中央・総武緩行線、京阪神緩行線にも投入された[40]。
車体構体は外板材質を2.3 mm厚の高耐候性圧延鋼材 (SPA) に変更し[41]、構造から見直すことで構体重量で約1.3 tの軽量化を実現した[42]。機器などを含めた全体では、各車両約2.1 - 2.8 tの軽量化である[15]。屋根部分はビニール布張りを廃止して、約20年の耐久性を持つ塗り屋根方式に変更した[43]。
台枠と側板の接合部は、スポット溶接から連続溶接に変更された[44]。同時に接合点はそれまでの台枠側面全体の要所でかがり縫いのように何点かで点接合したものから台枠上面近くの横一直線のみになり、そこから下は台枠の鋼材がそのまま外部に露出、水の侵入箇所自体を封じた[45]。103系で深刻な問題となっていた雨水の浸入による台枠の腐食がほぼ解決している。同様に腐食対策から、客用ドア枠周囲のスポット溶接を全周溶接に変更、車体側面戸袋部の風道(主電動機・チョッパ装置冷却用ダクト)はステンレス製とした[41]。
試作車では運転台付き車両のみ乗務員扉の開閉角度改善を図って車体長を19.7 mと中間車より0.2 m長くしたが、量産車では19.5 mに統一された[46]。乗務員室の寸法は変わらず、仕切りが客室側に0.2 m分寄せられたため、乗務員扉直後の戸袋窓が廃止された[46]。この車体長の変更は分割・併合編成で中間に運転台付き車両が入る場合に整列乗車時の扉位置ずれの原因となることが指摘されたためである。
前面は量産車でもブラックフェイスが採用された[46]。ヘッドマーク掛けの大型化、運行番号表示器周りが黒色になるなど、細かな変更点も見られる[46]。側面の窓構造は試作車と同様であるが、側面見付の統一感を図る見地から、戸袋窓を客用扉の窓の高さに合わせて小型化した[47]。
試作車では「車内の天井高さが低く感じられる」との評が多かったことから屋根と天井の高さが見直され、量産車では室内天井高さが75 mm広がった[48]。座席そで仕切の形状が単純な一枚板状のものとなった[15]。車内荷棚の金網は、アルミニウム製から耐久性の高いステンレス製に変更された[15]。戸閉機械(ドアエンジン)は試作車の鴨居部(ドア上部)設置の直動式TK201形から、座席下収納式TK4AJ形に変更した[15]。
冷房装置はAU75D形[注 10]およびAU75G形[注 11]が搭載された。横流ファン(ラインデリア)は台数を半減させ、扉付近の4ヶ所のみとした[43]。
台車は試作車のダイレクトマウント方式が取りやめとなり、大径心皿を用いたインダイレクトマウント構造として軸ばね部シリンダのシーリングを省略したDT46形・TR231形に変更された[25]。重量軽減のため、ジャーナル径(軸受径)は130 mmから120 mmに変更した[15]。
なお、昭和56年度第3次債務落成分からはチョッパ制御機がCH1-G2に、昭和57年度本予算落成分からはチョッパ制御器がCH1Bに変更されている。
軽装車
国鉄の財政状況は極めて厳しくなったため、コストダウンのための設計変更が行われた増備車が1984年より投入された[40]。このグループは通称「軽装車」と呼ばれ、それ以前の量産車と区別されている[49]。
前面は黒色部の仕上げ方法が変更され、ジンカート処理鋼板から電解二次着色アルミニウム板となった[50][注 12]。側面窓は従来の上段下降・下段上昇式に代わり、バランサーのない2段上昇式に変更された[50][51]。これに伴って構体設計が大幅に変更された。
車両番号標記はステンレス切り抜き文字を取りやめ、一般の通勤形電車と同様の転写式に変更した[40]。車内荷棚の金網は、ステンレス製からアルミニウム製に変更された[51]。
通風器は、FRP製から安価な鋼製[注 13]に変更された[51]。台車は軸ばねをエリゴばねとしたDT46B形・TR231A形に変更、主電動機は端子台を廃止し、形式がMT60A形に変更された[51]。床下機器は、ブレーキ制御装置などのカバーが省略された[50]。
中央快速線への201系の投入は完了しており、京阪神緩行線に7両編成の9編成63両が、中央・総武緩行線に分割10両編成の6編成60両が投入された[40]。201系の増備は1985年をもって終了となった。
改造
試作車の量産化改造
1981年の量産車の登場により、試作車は量産車と共通運用するための量産化改造が施工されることとなり、1983年(昭和58年)9月に大井工場(現・東京総合車両センター)で全般検査と合わせて施工された[52][53]。編成は8M2Tで3両+7両の10両編成から、量産車と同じ6M4Tで4両+6両の10両編成に変更された[52]。電動車ユニットの1組2両が電装解除されており、サハ201形900番台が登場している[54]。
電装解除による形式と車両番号の変更は以下の通り[52]。
- モハ201-903 → サハ201-901
- モハ200-902 → サハ201-902
- 車体
外観では前面窓の下部に大形の手すりを設置した[53]。ジャンパ連結器は量産車と同等品に交換され、外観では運行番号表示器周辺の着色が量産車との識別点となった[53]。先頭車の車内に設けられていたスタンションポールは撤去された[54]。客用ドアを量産車と同等品に取り替え、座席横の袖仕切り内側の布地をやめ、化粧板仕上げに変更[53]。座席を3 - 1 - 3分割から4 - 3分割に変更[55]。
- 電気機器
運転台計器類、マスコンハンドル・ブレーキ装置などを量産車と同等品に取り替え[53][55]。
戸閉回路(鍵回路・選択戸閉回路)、室内灯回路を変更し、車掌スイッチを取り替え[53][55]。戸閉機械(ドアエンジン)は鴨居部(ドア上部)設置の直動式TK201形から、量産車と同じ座席下収納式TK4AJ形に取り替え[55]。電動発電機故障時の電源誘導機能は、自動から手動式に変更した[55]。行先表示器(方向幕)は70コマから99コマ品に取り替え[55]。24V蓄電池回路をやめ、100V回路に変更[55]。電動車のパンタグラフは2基搭載のうちの1基を撤去した[55]。
- 床下機器など
床下機器は量産車に準じたものとされ、台車は車体直結方式を変更し、そのまま使用している[53]。電動発電機は量産車と同じブラシレスMGに、空気圧縮機も量産車と同じ誘導電動機使用のものに取り替え[55]。主平滑リアクトルは、ノイズ対策を強化[55]。ブレーキリアクトル、台車中継弁、滑走検知器、速度発電機などを撤去[54][53]。車軸は軽量化のため、ジャーナル径を130 mmから120 mmに変更した[55]。
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号車 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
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形式 | クハ201 -901 (Tc) |
◇ モハ201 -901 (M) |
モハ200 -901 (M') |
サハ201 -902 (T) |
◇ モハ201 -902 (M) |
クモハ200 -901 (Mc') |
クハ201 -902 (Tc) |
サハ201 -901 (T) |
◇ モハ201 -904 (M) |
クモハ200 -902 (Mc') |
展望型電車「四季彩」
JR東日本の八王子支社では、青梅線沿線の観光振興を目的として201系の4両編成1本を改造した展望型電車を投入することとなり、2001年に大井工場で改造が施工された[57]。種車の4両編成1本(クハ201-134+モハ201-263+モハ200-263+クハ200-134)は豊田電車区で訓練車として使用されていたもので、改造による車両番号の変更は行われていない。
展望型電車は2001年8月4日より運転が開始された。その後の愛称の公募により「四季彩」(しきさい)の愛称が決定し、同年11月23日より四季の装飾が追加された上で運用に入っている[58]。
奥多摩寄りの先頭車(クハ200-134)は、青梅線内で多摩川に面する側の座席が窓側を向いた跳ね上げ式のペアシートに交換され、残り3両も多摩川に面する側の座席が4人掛けのクロスシートに交換された[57]。車窓展望の向上のため、多摩川に面する側の窓が大型の1枚固定窓となった[57][59]。
車体塗装は1両ずつ四季を表す色に変更され、奥多摩の四季と多摩川を演出したデザインが採用された[57]。
登場から数か月間は五日市線でも運用されたが、以降は土曜・休日の青梅 - 奥多摩間の運用が中心で、送り込みを兼ねた立川発着の運用が1往復あった。
臨時列車では、大月駅開業100周年記念記念列車や「川崎-奥多摩ハイキング号」として南武線川崎駅まで、2006年からは「四季彩河口湖号」として富士急行線河口湖駅まで、さらに2007年のゴールデンウィークには快速「むさしの奥多摩」にも投入され、武蔵野線を経由して大宮駅まで乗り入れた実績を持つ。
また八王子支社管内以外にも、長野支社に貸し出されて中央本線小淵沢駅 - 大糸線白馬駅間の臨時快速「四季彩高原号」や2008年5月24日には信越本線長野駅 - 篠ノ井線姨捨駅間の「姨捨フォトトレイン四季彩」号として運転された。
平日は拝島運転区で訓練車として使用されたほか、他線へ貸し出されることもあり、2006年度には篠ノ井線内の乗務員訓練用に松本車両センターへ貸出された。八高線の予備車も兼ねていたが、実際に運用されたことはほとんどない。
当初の外装による運転は2005年5月8日で一旦終了し、新塗装変更後の同年6月25日に三鷹電車区一般公開で展示され、同年7月2日から再度運転を開始した。外観は「青梅線の四季」がテーマとなり、多摩川の流れをイメージした青いラインが引かれ、青梅線の春夏秋冬の景勝地と旬の素材がイラストで描かれたデザインとなった[60]。
老朽化のため、2009年6月28日をもって青梅線での定期運用を離脱した[61]。同年7月中は団体臨時列車として「さよなら四季彩号」[62]が運転され、7月20日のさよなら運転を最後に営業運転を終了し、7月23日に長野総合車両センターへ廃車回送が行われた[63]。
体質改善工事
JR西日本では、2003年から2008年にかけて、後継の207系との格差改善ならびに延命を目的としたリニューアル工事が施工された。工事施工車の車番標記は、国鉄書体からJR西日本独特の書体(モリサワの新ゴシック)に変更されている。改造内容を以下に示す[57][64]。
- 車体
- 外板腐食対策として、雨樋と外板の一体化による屋根の張り上げ化[64][57]。
- 構体腐食部の補修・修繕[64]。特に側出入口下部は腐食が著しいことから、ステンレス材へ交換[64]。
- 運転台周りに関しては、腐食対策として窓周囲の材質をステンレス製に、前照灯はガラス内収納式に変更[64][57]。
- 外板塗装はウレタン系塗料を使用することで、光沢感の向上と長寿命化を図った[64]。
- 戸袋窓の埋め込み、室内側は広告枠を新設[64]。
- 接客設備
- 壁面(化粧板)を223系に準じたカラーリングのものに取り替え、つり革の増設が行われた[64]。ただし、網棚・ドア上の壁面の色は原型のままである。
- ドア間の側窓を下段:固定・上段:2分割上昇の3分割バス風逆T字サッシに交換[64]。
- 床面の主電動機点検蓋(トラップドア)を廃止[64]。
体質改善第1号編成は2003年11月21日竣工のC8編成で、この編成は奈良に転属してND604編成となっている。2005年末の321系投入時点では7両×11本に施工され、残る21本は他線区への転用と同時に施工された。2008年2月7日竣工のND615編成(旧C31編成[65])を最後に全編成の体質改善が完了した。
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車両外観
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車内
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優先席
注釈
- ^ これはその後他系列でも更新や新造の際に採用した車両も存在する。
- ^ 1970年代初頭の段階で、電機子チョッパ制御は高加減速性能が要求され、最高速度が低くしかも発熱を極力抑えることが求められる地下鉄用には好適であるが、高速運転する近郊電車には向かない方式であると評価されていた。
- ^ 1974年(昭和49年)には103系を用いたチョッパ制御器の現車試験によって実用可能であることが確認されていた。
- ^ 定格回転数1630 rpm〈全界磁)/ 最高回転数4320 rpm。
- ^ 定格回転数1350 rpm〈85 %界磁)/最高回転数4400 rpm。
- ^ なお、定格出力・定格速度が高いため弱め界磁は45 %までとしている。
- ^ 民営化以降、JR東日本ではATS-P導入時に非常抜き取り対応改造が施され当該ブレーキ弁はME48P形に形式を変更した。
- ^ 抵抗で熱に変えた分回生電力量は減少するが、より高速から回生ブレーキが作用するため、直列抵抗を使用しなかった場合よりも総回生電力量は多くなる。
- ^ 行先表示器設置箇所は下段上昇・バランサーなし上段下降式。
- ^ 1次 - 3次量産車(1980年(昭和55年)度1次 - 3次債務製造分
- ^ 4次量産車以降(1981年(昭和56年)度1次債務製造分以降)外キセをステンレスとし、省エネルギーと軽量化を図ったタイプ。
- ^ 同じ黒色板を前面ガラス越しとして採用した211系電車では、後になって白化現象を発生した。
- ^ 2001年に鋼製通風器脱落事故が発生したことにより他系列を含めて、JR東日本ではステンレス帯板による取付け補強工事が、JR西日本では通風器撤去を実施する一因にもなった。
- ^ 特別快速で河口湖や武蔵五日市などへの運用で分割された中間車は特別快速の表示がなかったが、これも新車投入を見越したものとされる。
- ^ このステッカーはこのほか横浜線や南武線の車両にも見られたほか、JR東日本の駅構内の飲食店などの施設の自動ドアにも貼付されていることがある。
- ^ 中央線快速用は高尾寄りが6両編成、青梅・五日市線用は奥多摩寄りが4両編成である。
- ^ 中央線快速用とは異なり青地のものを使用しており、裏面に「青梅・五日市線用201系 中央線快速には使用できません」の注意書きが表記されている。
- ^ 103系と本系列の幕に互換性はない。
- ^ 最終的には72編成の中間組成先頭車の正面幕のみが白地・黒文字(京葉線)表示だった。
- ^ この209系500番台による置き換え時点で、比較的新しく、中間クハに電気連結器を装備せず非分割編成であった72編成をデジタル無線装置搭載対象にするために、電気連結器装備のクハ201-37・クハ200-36を代わりに組み込んで分割編成に改めたと言える。
- ^ 廃車時に製造所・落成年月日が異なる車両で編成を組んでいたのは、同じ京葉線のケヨ71(クハ201-7以下10両)、中央線快速のT101(←T1、クハ201-13以下10両)、T104(←H4、クハ201-11以下10両)、T117(←T17←H30、クハ201-8以下10連)、青梅・五日市線の青5(クハ201-84以下4両)、青71(クハ201-153以下6両)の6本がある(廃車回送のための一時的な編成替えを除く)。また「四季彩」(クハ201-134以下4両)が中央線快速用として使用されていた時代に、製造所・落成日の異なる車両と10両を組んでいた。
- ^ クッションの素材は207系と異なるものである。
- ^ 当初は使用可能な設備でラッシュ時の輸送力を確保するため、朝ラッシュ時の上り列車(神戸駅 - 西明石駅間)は全列車各駅停車としており、ホーム有効長の関係から最長8両編成とされたために輸送力が地震前と比較して大幅に不足していた。
- ^ おおさか東線開業に伴い所要増となったため予定より配置が2本増加したにもかかわらず、2018年2月までは103系6両編成の完全置き換えには至っていなかった。
- ^ この転配により、一旦スカイブルーからオレンジに塗装を変更したものの、再度塗装変更され奈良電車区へ転出した車両もある。
- ^ 所属基地の表記は大阪支社森ノ宮電車区を示す「大モリ」に書き換えられた
- ^ 天王寺駅で見れば車両の向きは森ノ宮区配置の201系と同一となる。
- ^ Tc122+M273+M'273+M243+M'243+M274+M'274+T'c122
- ^ M273+M'273を脱車したTc122+M243+M'243+M274+M'274+T'c122
- ^ 中央緩行線でも運用。
- ^ クハ201-1のみ保留車として豊田車両センターに在籍している。
出典
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- ^ 鉄道友の会東京支部JR電車部会「201系四半世紀の歩み」『鉄道ファン』2005年2月号、p.8。
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻774号、p.24
- ^ 鉄道友の会東京支部JR電車部会「201系四半世紀の歩み」『鉄道ファン』2005年2月号、p.6。
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- ^ 『鉄道ファン』1979年4月号(No.216)p.60
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