ニュースステーション
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放送時間
すべて日本時間(JST)で記す。
期間 | 月曜 - 木曜 | 金曜 | |
---|---|---|---|
1985.10.7 | 1988.3.25 | 22:00 - 23:17(77分) | 23:00 - 翌0:00(60分) |
1988.3.28 | 1994.9.30 | 22:00 - 23:17(77分) | |
1994.10.3 | 2000.3.24 | 22:00 - 23:20(80分) | |
2000.3.27 | 2001.9.28 | 21:54 - 23:09(75分) | |
2001.10.1 | 2004.3.26 | 21:54 - 23:10(76分) |
- 備考
- プロ野球中継による繰り下げ、ドラマ・バラエティ番組の拡大・特番により、放送時間が変更される場合もあった。
- 年末年始は年末・正月特番編成の関係上、放送休止。代わりに『ANNニュース』を10分が - 15分間放送している。
- 2000年3月27日から開始時刻を6分前倒し、フライングスタートを実施。この間、平日20時以降の時間帯の番組は一斉に正時の6分前からのフライングスタートとしたが、視聴者の反応が鈍く、20時台の番組は2000年9月に、21時台の番組は2001年9月に廃止された。
- 末期の放送時間は後継番組『報道ステーション』でも受け継いでいる[注 19]。
特別編成
大災害などの緊急ニュースの発生時には放送を21時からに前倒しあるいは放送終了時間の延長をすることがあった。
初めて放送終了時間の延長を行ったのは、1986年2月25日である。この日フィリピン政変が起こり、それに関連して、30分の時間延長がなされた(詳細は後述)。
初めて前倒し編成を行ったのは、1986年11月21日である。この日に発生した伊豆大島三原山の大噴火に関連して、22時から約2時間の拡大版として放送した(詳細は後述)。
この件をはじめとして、それ以後も湾岸戦争開戦、皇太子徳仁親王ご成婚、阪神・淡路大震災、アメリカ同時多発テロ事件などではほぼ同様の措置がとられ、特に三原山噴火の際には、当時クロスネット局で、テレ朝枠を持っていた山形放送が編成の都合上差し替えもできなかったことから、臨時ネットとして60分のみ放送したことがある。
スポーツ番組による特例編成
- 高校野球開催期間中
全国高等学校野球選手権大会が行われる毎年8月中旬の2週間は、ハイライト『熱闘甲子園』(朝日放送制作)を放送するための特例編成となっていた。
- 1989年までは平日の同番組の放送が22:00 - 22:30[注 20]であったので、1986年と1987年は番組の開始から終了まで全編30分ずらし(通常日は22:30 - 23:47、金曜版のみ23:30 - 翌0:30)としていた。1988年と1989年は1時間に短縮し22:30 - 23:30とした。
- 1990年から1999年は終戦記念日(8月15日)前後を基点とし、大会前半は通常と同じ22:00 - 23:17→22:00 - 23:20、大会後半は1時間短縮版で22:00 - 23:00とした。同番組の放送は大会前半は23:20 - 23:50、大会後半は23:00 - 23:30であった。
- 2000年のフライングスタート開始以後は全日程を通して通常と同様の時間帯(21:54 - 23:09→21:54 - 23:10)となった。同番組の放送も全日程を通して23:09 - 23:39となったが、2002年からは23:10 - 23:40となっている。
- 大相撲開催期間中
大相撲期間中は『大相撲ダイジェスト(以下:ダイジェスト)』を放送するため、『Nステ』は3分短縮となっていたが、1995年4月改編を期に解消された。2000年4月のフライングスタート開始以後はネオバラエティ・金曜ナイトドラマの後に『ダイジェスト』を放送した。2003年9月の六本木ヒルズ新本社移転直前をもって『ダイジェスト』は終了する。なお、1988年3月までの金曜版は23:45までの45分間に短縮して放送していた(通常は途中までがネットセールスだが、45分枠へ短縮時に限り全編ネットセールスとなった)。
注釈
- ^ 1993年4月19日から2004年3月26日まで実施。それ以前はモノラル放送を実施していた。
- ^ 表向きには、久米と筑紫哲也の2人がメインキャスターの有力候補と公表していたことがあった[2]。
- ^ その『おしゃれ』も1987年4月に終了し、以後久米は最終回まで仕事はほぼ本番組に絞っていた。
- ^ しかし、番組開始に伴う番組編成の改編で、平日夜22時台に放送されていた番組を中心に放送時間が変更され、これに伴う視聴者離れで『特捜最前線』、間接的だが番組編成上の問題で『必殺シリーズ』が終了に追い込まれた。これらの改編に加え、1980年代後半から1990年代はテレビ朝日ではヒット番組に恵まれず視聴率において、終始4位(民放キー局、NHK総合テレビ除く)だった。
- ^ これを見ていた当時NHK記者の池上彰がこれを応用し、1994年4月に『週刊こどもニュース』をスタートさせた。
- ^ テレビ朝日は1978年まで報道部門を自社ではなく朝日テレビニュース社に委託していた。
- ^ 但し初回の後クレは何故か「ここまでの放送は、スポンサー会社名の提供でお送りしました」だった。
- ^ 1985年6月14日の朝日新聞他4紙に掲載された全面広告ならびにテレビCMで番組名と久米のキャスター起用を伏せた上で募集広告を出したところ、問い合わせが1万件、5762名(内訳は、男性1811人、女性3547人、プロダクションなどの推薦404人。)の応募があった。半数は関東在住だが全都道府県から応募があり、海外からも5名の応募者がいた。中には夫婦で応募したものも3組いた。男性応募者の最高齢は当時79歳。女性応募者の最高齢は当時74歳だった[13]。
- ^ 2009年1月 - 6月、金曜21時に『必殺仕事人2009』として放送。
- ^ 久米曰く「3Kトリオ」。
- ^ 中国で起きた高知学芸高等学校の修学旅行生を載せた列車が脱線した事故に関するニュースが中心。この日はゲストは呼ばず、Nスタジオから久米・小宮のみ、さらに放送時間が繰り下げられて23:30 - 24:15の45分枠(当時大相撲春場所の開催期間・「大相撲ダイジェスト」の放送と重なったため)での放送になった。
- ^ 正確には老眼鏡である(当時の久米は48歳)。
- ^ なお、小宮は降板後も当番組をベースとした国政選挙の開票特別番組『選挙ステーション』で、2003年11月の第43回衆議院議員総選挙の際まで久米と共に第1部のメインキャスターを務めた。
- ^ 1998年4月3日のみ、金曜にも出演。
- ^ また、リニューアル初日の前座番組『ビートたけしのTVタックル』の本編終了直後に流れたクロスプログラムでも真理がテレビ朝日局内の廊下を歩く映像を流した。
- ^ 2001年2月1日から2014年1月31日まで。
- ^ ただし、BS朝日・番組のネット局であった朝日放送テレビへは出演歴あり。
- ^ 降板後に出演した『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送テレビ、関西ローカル)では「ニュースステーションで久米さんに嫌われた若林さん」とネタにされていた。
- ^ ただ、2018年10月1日から2019年9月26日までは月曜から木曜に限り5分拡大し23:15まで放送していた。
- ^ 1982年の第1回熱闘甲子園のみ21時開始。1983年の第2回以降1989年まで22時開始がずっと定着していた。
- ^ 局内では、20時台の『ビートたけしのスポーツ大将』と『さすらい刑事 - 』の2番組を全面差し替えする案も出ていたという。
- ^ この年、ジャイアンツは近鉄バファローズに第1戦から3連敗しながらも、第4戦以降4連勝して日本一に輝いた。
- ^ それから25年後の2020年1月17日、サンテレビで放送された震災関連の特番に小宮がゲスト出演し、当番組放送以来の同局出演を果たした[26]。また、久米も同日に朝日放送テレビのローカル報道番組『キャスト』の特番『キャスト特別企画 久米宏が語る震災25年』にゲスト出演した。
- ^ 1995年頃から事ある毎に週刊誌で「久米降板」説が取り沙汰された。冒頭に述べた降板発表後にも「病気で目が見えなくなった」などという憶測の記事が書かれたが、久米はこの10月6日の放送できっぱりと否定した。
- ^ この様子を収めたVTRの前に久米は「僕はあの、この人のことはそれほど苦手ではありません」とコメントした。また、このVTRが終わったところでCM入りしたため、CM前には画面右下に「最終回 快調に放送中!」とテロップを表示していた。
- ^ 放送では商品名が映らないようにラベルをカメラに見えない方に隠していたが、実際このときのビール瓶には美術スタッフに発注して用意した『NEWS STATION BEER 全4795回』というオリジナルラベルが貼られており、王冠にも番組ロゴが貼り付けられていたとされている。
- ^ 1995年から1998年までの金曜版は、小宮とスタジオサブキャスターの2人で交互に伝えていた。
- ^ 番組前半で伝えたものも含めてニュース項目は原則、時系列順に並べていた。また80年代は円相場もこの中で伝えていた(ニュース項目の一番下段に為替を表示)。
- ^ この台詞は最終回のエンディングで流れた予告編「久米的電視台」(前述)でも使われた(久米と中国人女性の2人でこの台詞をコール)。
- ^ 荻野目洋子『湾岸太陽族』、B'z『LOVE & CHAIN』など。
- ^ 「機甲戦記ドラグナー」OP『夢色チェイサー』、「からくり剣豪伝ムサシロード」ED『てなもんだ人生』など。
- ^ コメンテーターは基本的に映ることはないが、3人のうち1人が不在の場合は、コメンテーターも背にして進行を行うこともある。
- ^ 1977年から2003年までのテレビ朝日の正式社名。
- ^ 具体的な事例としては石坂産業を参照のこと。
- ^ 但し、石川県以外の北陸・山陰・四国・九州などごく一部の地域ではフルネットを未だに開局できていない地域がある。また沖縄県の琉球朝日放送も、この番組の放送当時は沖縄本島と久米島にしか中継局がなく、先島諸島(宮古島・石垣島)と大東諸島(北大東島・南大東島)ではケーブルテレビを含め視聴できなかった。
- ^ 実際は9月24日のサービス放送開始日から(出典:1991年9月24日以降の東奥日報テレビ欄)
- ^ なお、翌日朝のローカル情報番組『おはようコールABC』や『おはよう朝日です』において、ニュースコーナーやスポーツコーナーで当番組の映像素材を流用することがあった。
出典
- ^ a b 2007年4月5日スポーツニッポン「小宮悦子、2度目の離婚 10歳“姉さん婚”から12年--「女性セブン」報じる」
- ^ a b 週刊TVガイド 1985年7月12日号 28頁「レポート・『特捜最前線』などテレビ朝日の人気番組が枠移動」
- ^ 嶌信彦『メディア 影の権力者たち』1995年4月講談社 ISBN 4062076284[要ページ番号]
- ^ 読売新聞夕刊 1985年10月16日。
- ^ 『ウェザーニューズ 報道気象の歴史』 株式会社ウェザーニューズ (PDF)
- ^ 朝日新聞縮刷版の番組表を確認[要文献特定詳細情報]。
- ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、138頁。
- ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、141・148頁。
- ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、141~149頁。
- ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、156・157頁。
- ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、157・158頁。
- ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、162・163頁。
- ^ 『朝日新聞』、1985年7月28日朝刊、23面。
- ^ a b 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、12・13頁。
- ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、159頁。
- ^ “第27回ギャラクシー賞受賞作品”. 放送批評懇談会. 2014年11月14日閲覧。
- ^ “第30回ギャラクシー賞受賞作品”. 放送批評懇談会. 2014年11月14日閲覧。
- ^ 広瀬道貞社長 定例社長会見要旨(2003年9月30日)
- ^ 古舘伊知郎が懺悔告白“テレビはウソしか伝えていない”,LITERA,2014年7月15日
- ^ 『久米宏と1日まるごと有楽町放送局』での公開記者会見にて発言
- ^ 久米宏過激に復帰 渡辺前オーナー口撃,Sponichi Annex,2004年9月21日
- ^ [1],スポーツニッポン,2016年4月23日
- ^ a b c 『企業と広告』第23巻第10号、チャネル、1997年10月1日、42頁、NDLJP:2853175/24。
- ^ a b テレビ朝日では1985年10月7日から1987年5月29日までは『ニューヨーク情報』、1987年6月1日から2001年9月28日までは『世界の車窓から』。なお、『世界の車窓から』は2001年10月1日より23:10 - 23:15に移動。
- ^ “8人埋まった現場で叫んだ商店主 取材したフリーアナ久米宏さんと再会”. 神戸新聞(2020年1月6日作成). 2020年1月19日閲覧。
- ^ “小宮悦子がサンテレビの震災特番「バトン1.17~あなたへ~」に出演 17日放送”. デイリースポーツ(2020年1月10日作成). 2020年1月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “農家「ツケ負わされた」 産廃施設、報道後に激減”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 18(夕刊・社会). (2003年10月16日)
- ^ 久米宏Nステ休業「14年間に疲れ」 - ウェイバックマシン(2000年5月27日アーカイブ分)
- ^ やっぱり…久米宏Nステ降板の舞台裏 - ウェイバックマシン(2000年4月13日アーカイブ分)
- ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、306頁
- ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、305 - 307頁
- ^ 久米Nステ復帰も降板問題再燃? - ウェイバックマシン(2000年3月2日アーカイブ分)
- ^ 『朝日新聞』、2000年1月4日付朝刊、36面。
- ^ 久米宏、今晩Nステ復帰 - ウェイバックマシン(2000年3月1日アーカイブ分)
- ^ 久米宏、Nステに緊急復帰 - ウェイバックマシン(2001年10月31日アーカイブ分)
- ^ 「さようならN.S」(アーカイブ)
- ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、288頁。
- ^ a b 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、286頁。
- ^ 『鹿児島放送30年のあゆみ』鹿児島放送、2013年 p.15, p.36
- ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、181頁。
- ^ 鈴木秀美・山田健太・砂川浩慶 編『放送法を読みとく』p.86 2009年 商事法務
- ^ 「所沢の方には迷惑かけた(笑)」 久米宏が「ダイオキシン騒動」振り返る J-castニュース
- ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、186~188頁。
- ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、190・191頁。
- ^ a b 『テレビ美術から見る 「キャスターショー」の誕生と発展 ~『ニュースセンター9時』と『ニュースステーション』のスタジオセット分析を中心に~』、NHK放送文化研究所 2009年11月4日(2017年2月19日閲覧)、p.8-9。
- ^ a b c d 『テレビ美術から見る 「キャスターショー」の誕生と発展 ~『ニュースセンター9時』と『ニュースステーション』のスタジオセット分析を中心に~』、NHK放送文化研究所 2009年11月4日(2017年2月19日閲覧)、p.11。
- ^ 番組ホームページ内の初代~3代目の紹介ページ(アーカイブ)
- ^ テレビ朝日ホームページ内の3代目セット紹介(アーカイブ)
- ^ 番組ホームページ内の4代目セットの紹介(アーカイブ)
- ^ 作品リストー舞台・他ーニュースステーション - 大澤製作所
- ^ a b c d 『テレビ美術から見る 「キャスターショー」の誕生と発展 ~『ニュースセンター9時』と『ニュースステーション』のスタジオセット分析を中心に~』、NHK放送文化研究所 2009年11月4日(2017年2月19日閲覧)、p.9。
- ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』2017年9月25日、世界文化社、189・190頁。
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