イタイイタイ病 イタイイタイ病の概要

イタイイタイ病

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/19 13:18 UTC 版)

原因となったカドミウム
閃亜鉛鉱。カドミウムを含む鉱石

概説

神通川下流域である富山県婦負郡婦中町(現・富山市)において、1910年代から1970年代前半にかけて多発した。

病名の由来は、患者がその痛みに「痛い、痛い!」と泣き叫ぶことしかできなかったから。1955年(昭和30年)に地元の開業医である萩野昇を地元『富山新聞』記者の八田清信が取材に訪れた際、看護婦が患者を「イタイイタイさん」と呼んでいると聞き、「そのままいただいて『いたいいたい病』としては?」と提案したことによる。1955年(昭和30年)8月4日の同紙社会面で初めて病名として報じられた。

被害

健康への被害

カドミウムによる多発性近位尿細管機能異常症と骨軟化症を主な特徴とし、長期の経過をたどる慢性疾患を発症する。カドミウム汚染地域に長年住んでいてこの地域で生産された野菜を摂取したり、カドミウムに汚染されたを飲用したりするなどの生活歴による[2]

初期は、多発性近位尿細管機能異常症を示す検査所見で、多尿・頻尿・口渇・多飲・便秘の自覚症状が現れる人もいる。多発性近位尿細管機能異常症が進行すると、リン酸、重炭酸再吸収低下による症状が出現し、骨量も次第に減少する。この頃から立ち上がれない、力が入らないなどの筋力低下が見られるようになる。さらに進行すると歩行時の下肢骨痛、呼吸時の肋骨痛、上肢・背部・腰部などに運動痛が出現する。最終的には骨の強度が極度に弱くなり、少しでも身体を動かしたり、くしゃみしたり、医師が脈を取るために腕を持ち上げたりするだけで骨折。その段階では身体を動かすことが出来ず、寝たきりとなる[2]

また、多発性近位尿細管機能異常症と同時に、腎機能も徐々に低下して、末期には腎機能は荒廃し、腎不全になる。貧血が顕著になり、皮膚は暗褐色になる。活性ビタミンD生産障害による腸管からのカルシウム吸収が低下する。その結果、血清カルシウムが低下し、著しい場合にはテタニーが起きる[2]

がもろくなり、ほんの少しの身体の動きでも骨折してしまう。被害者は主に、出産経験のある中高年の女性であるが、男性の被害者も見られた。ほぼ全員が稲作などの農作業に長期に渡って従事していた農家で、自分で生産したカドミウム米を食していた。このような症状を持つ病は世界にもほとんど例がなく、発見当初、原因は全く不明であった。風土病あるいは業病と呼ばれ、患者を含む婦中町の町民が差別されることもあったとされている[2]

骨軟化症は、ビタミンDの大量投与により、ある程度症状は和らぐとされるが、ビタミンD入りのビタミン剤を購入出来るだけの金銭的余裕のある患者は、当時は少なかった。また、この治療では多発性近位尿細管機能異常症は改善されないため、骨軟化症がしばしば再発する[2]

農地被害

神岡鉱山から排出されたカドミウムが神通川水系を通じて下流の水田土壌に流入・堆積して起きる。汚染実態を把握するため、富山県は1971年から1974年にかけ、「農用地汚染防止法」に基づいて、細密検査と補足検査を実施した。汚染面積は神通川左岸で1,480ha、右岸で1,648haの計3,128haで、そのうち1,500.6haが対策地域に指定された[3]

カドミウム汚染田は、神通川によって形成された扇状地にある。右岸は熊野川、左岸は井田川に囲まれる範囲で、八尾町(現:富山市八尾町)以外の地域は「イタイイタイ病指定地域」に含まれる。対策地域内の平均カドミウム濃度は表層土で1.12ppm、次層土で0.70ppmと、深くなるにつれて濃度は低下する。特に、上流部に分布する洪積扇状地では、平均2.0ppmと非常に濃度が高い[3]

土壌中のカドミウム濃度と玄米中カドミウム濃度の間には相関関係が認められず、土壌中のカドミウム含量が低くても高濃度の汚染米が出現しやすい。上記の調査では、食品衛生法の基準である玄米中のカドミウム汚染米が230地点の水田で検出されていることから、これらの水田では、三井金属鉱業の補償によって作付けが停止されてきた。また、カドミウム濃度が0.4ppm以上1.0ppm未満の米は、政府が「準汚染米」として全て買い上げている。買い上げ後は食用にしないで破砕し、ベンガラで着色し、工業用の原料として売却されていた[3]

原因

裁判の過程で、神通川上流の高原川三井金属鉱業神岡鉱山亜鉛精錬所から鉱廃水に含まれて排出されたカドミウム (Cd) が原因と断定された。神岡鉱山から産出する亜鉛鉱石は閃亜鉛鉱という鉱物で、不純物として1%程度のカドミウムを含んでいる(閃亜鉛鉱は現在の亜鉛鉱山におけるもっとも主要な鉱物であり、天然に産するものであれば大なり小なりカドミウムを含む)[4]

16世紀末、豊臣秀吉に仕えた金森長近飛騨平定を行い、天正4年(1586年)に越前大野から飛騨に転封となり積極的に鉱山開発を行った。金森氏は茂住宗貞という鉱山師を得て、茂住・和佐保銀山の鉱山経営を始めたと伝えられる。神通川上流域では江戸時代からなどを生産しており、生産は小規模だったものの、当時から周辺の農業や飲料水に被害が出ていたという記録がある。明治維新後は経営主体が明治政府に移ったが、すぐに三井組が本格経営を開始して三井組神岡鉱山稼行となった。日露戦争を契機に非鉄金属が注目されて生産量が大幅に増加し、その後も日中戦争太平洋戦争戦後高度経済成長による増産で大量の廃物が放出され、周辺の地域だけではなく下流域の農業や人体にも被害を与えた。1886年(明治19年)の三井組による全山統一から1972年(昭和47年)のイタイイタイ病裁判の判決までに廃物によるカドミウムの放出は854tと推定される[4]

神通川以外に取水元のない婦中町(当時)では、カドミウムの溶出した水を農業用水(灌漑用水)や飲料水として使用してきた。また、カドミウムには農作物に蓄積される性質があるため、カドミウムを多量に含む米が収穫され続けた。この米を常食としていた農民たちは体内にカドミウムを蓄積することとなり、このカドミウムの有害性によりイタイイタイ病の症状を引き起こした。カドミウムは自然界にも一定の割合で存在し人体にも少量は含まれているものの、神通川流域で生産された米には非常に高濃度のカドミウムが含まれており、被害者の体内に蓄積されたカドミウムは基準値の数十倍から数千倍の濃度に達していた。

カドミウムの毒性については長い間よくわかっておらず、また公害の発生当時カドミウムとイタイイタイ病に特有な症状との関連もはっきりとしていなかった。このため神岡鉱山側の対策が遅れ、公害を拡大させることとなった。なお、公害病認定後もしばらくの間、武内重五郎(東京医科歯科大学名誉教授)ら「ビタミンD不足説」を主張するグループが一定の勢力を有していた。武内らは、日本各地にカドミウム鉱山が存在するが、神通川下流域以外では同様の症状が見られないことを論拠に、カドミウム原因説に否定的な見解を示した。これに対して弁護団は、カドミウム汚染が疑われている生野鉱山兵庫県)、対馬鉱山(長崎県)、細倉鉱山宮城県)、北陸鉱山(石川県)の四ヶ所と、その流域で調査を行った。これによって、神岡鉱山では亜鉛生産量がはるかに多いこと、ほかの鉱山周辺住民が工場排水の流れる河川を生活用水に使用していないこと、他の地域に比べて水田土壌のカドミウム汚染が極端に多い事実を、第一次訴訟において指摘した[5]。カドミウムの毒性およびその症状は現在の医学では一般に知られている[6]


  1. ^ “イ病被害の風化防ぐ「語り継ぐ会」設立…富山”. yomiDr. (読売新聞社). (2014年8月18日). http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=103560 2014年8月18日閲覧。 
  2. ^ a b c d e 『富山大百科事典』(1994年 北日本新聞社/富山大百科事典編集事務局編) 「特集 イタイイタイ病」,p.104
  3. ^ a b c 『富山大百科事典』(1994年 北日本新聞社/富山大百科事典編集事務局編) 「特集 イタイイタイ病」,p.106
  4. ^ a b 『富山大百科事典』(1994年 北日本新聞社/富山大百科事典編集事務局編) 「特集 イタイイタイ病」,p.100-101
  5. ^ 『四大公害病 水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市公害』(2013年 中公新書/政野淳子) 「特集 イタイイタイ病」,p.153-154
  6. ^ Cadmium Toxicity What Diseases Are Associated with Chronic Exposure to Cadmium?
  7. ^ a b c d e f g h i j k l 『富山大百科事典』(1994年 北日本新聞社/富山大百科事典編集事務局編) 「特集 イタイイタイ病」,p.98-99
  8. ^ 昭和48年版環境白書(環境庁,1973)
  9. ^ 河北新報「富山、カドミウム汚染農地が復元 イタイイタイ病」[リンク切れ]
  10. ^ 『北日本新聞』2023年12月19日付1面『イ病は終わらない 「全面解決」へ10年 3 緩む復元田 耕作放棄の懸念強く』より。
  11. ^ a b 広田和也(2014年10月12日). “イ病被団協 神岡鉱業を調査 全面解決後初 豪雨災害、対策へ”. 北陸中日新聞 (中日新聞社)
  12. ^ a b c 「なお続く患者の苦しみ」北日本新聞 2008年4月19日朝刊,p.13
  13. ^ a b c d e 『富山大百科事典』(1994年 北日本新聞社/富山大百科事典編集事務局編) 「特集 イタイイタイ病」,p.106-109
  14. ^ 中日ニュース No.912_2「わしらが勝った」(昭和46年7月)”. 中日映画社 (2020年9月9日). 2020年12月13日閲覧。
  15. ^ https://www.asahi.com/topics/word/%E4%B8%89%E4%BA%95%E9%87%91%E5%B1%9E.html
  16. ^ a b 『富山大百科事典』(1994年 北日本新聞社/富山大百科事典編集事務局編) 「特集 イタイイタイ病」,p.111-112
  17. ^ a b 川田篤志(2014年10月2日). “イ病精密検診 最多362人 新たな患者認定の可能性”. 北陸中日新聞 (中日新聞社)
  18. ^ 「イタイイタイ病、未認定者の救済進まず 一時金申請が想定下回る」日本経済新聞ニュースサイト掲載(2016年12月19日)の共同通信記事、2018年6月13日閲覧。
  19. ^ 『富山大百科事典』(1994年 北日本新聞社/富山大百科事典編集事務局編) 「特集 イタイイタイ病」,p.110
  20. ^ 富山県立イタイイタイ病資料館
  21. ^ 【記者の目】イタイイタイ病認定50年 住民苦闘の歴史、未来に=田倉直彦(大阪学芸部)『毎日新聞』朝刊2018年5月30日(2018年6月13日閲覧)。
  22. ^ 「イタイイタイ病資料室」の開設について - 富山大学(2018年3月6日)2018年4月12日閲覧。






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