大久保利通関係資料とは? わかりやすく解説

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大久保利通関係資料

主名称: 大久保利通関係資料
指定番号 125
枝番 0
指定年月日 2004.06.08(平成16.06.08)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 歴史資料
ト書
員数 3053点
時代区分 江戸明治
年代
検索年代
解説文: 幕末から維新期の政治史において中心的役割果たし新政府指導者として明治国家建設した大久保利通一八三〇七八)の政治思想および政治活動知り得る一括資料である。
 大久保は、文久元年一八六一薩摩藩小納戸役抜擢され政務参与することになり政治表舞台登場する。そして以降討幕王政復古推進朝廷改革廃藩置県新政権基盤強化岩倉具視特命全権大使のもとで副使務めた年間米欧巡回征韓反対方針強行台湾出兵実施佐賀の乱から西南戦争に至るる士族暴動鎮圧等を通じ新政府土台固めていった。この間大久保は、明治元年一八六八)閏四月参与任じられ薩州派の首領として政務枢要参画し、四年六月には大蔵卿、六年十月参議、同十一月内務卿兼任する至り財政殖産興業内政にわたる広汎権限掌握した
 大久保利通関係資料は、以上の経歴および思想形成を示すものを中心とし、書状類、文書・記録類、書跡類さらに遺品類大別される
 書状類には大久保政治的地位反映して重要な往来書簡多数収められている。発信者を列挙すると、三条実美【さねとみ】、岩倉具視【ともみ】、木戸孝允【たかよし】、伊藤博文山県有朋やまがたありとも】、大隈重信江藤新平勝海舟宮中、他藩、幕府主要な人物があり、薩摩藩関係では西郷隆盛寺島宗則松方正義税所篤さいしょあつし】ら新政府重職、また精忠組以来同志岩下方平【まさひら】、伊地知貞馨【いじちさだか】、有馬新七ら、さらに小松帯刀たてわき】、新納嘉藤次【にいろかとうじ】、内田政風【まさかぜ】ら藩重臣がおり、幕末・維新期政治史動向伝えて興味深い中には明治十一五月十四日赤坂紀尾井町石川県士族島田一郎らに暗殺された際に所持し血痕付着した東京府知事楠本正隆くすもとまさたか】から寄せられ書簡もある。
 文書・記録類は日記意見書建議案が相当数含まれる日記安政六年(一八五九)十二月から明治十年三月まで断続的に六冊が伝来する淡々と日々天候出来事記しており、大久保沈着性格をうかがうことができる。また意見書建議案は、生麦事件事後処理案、江戸開城後の徳川宗家扱いについて三条岩倉宛てた意見書安積疎水開削はじめとする殖産興業建白書等の大久保主要な政策を知ることのできるものが含まれる
 書跡類、遺品類は数は多くないが、大久保書幅、書額や、筆、硯、煙管碁石燭台石鹸入、歯ブラシ等の日用品のほか、「甲東」「内務卿大久保利通印」の印章等が含まれ大久保存命中の往時偲ぶのである
 本資料は、すでに重要文化財指定した坂本龍馬関係資料京都国立博物館保管平成十一六月七日指定)、岩倉具視関係資料財団法人岩倉旧蹟保存会平成十二六月二十七日指定とともに幕末から維新期の政治史基本資料として貴重である。また国立歴史民俗博物館保管分は大久保利通に関する資料のうち鹿児島県所有とともに主要な資料群を構成しており、大久保家伝来した経緯等勘案してともに重要文化財指定する

大久保利通関係資料

主名称: 大久保利通関係資料
指定番号 132
枝番 0
指定年月日 2004.06.08(平成16.06.08)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 歴史資料
ト書
員数 1650点
時代区分 江戸明治
年代
検索年代
解説文: 鹿児島県および国立歴史民俗博物館保管する資料は、利通書き残した日記文書使用した遺品類利通宛てられ書状大久保家伝来した資料加えて明治十一年(一八七八)の利通没後から大久保家精力的に収集した資料群である。明治二十二年、当時二本榎にあった大久保邸は火災遭い少なからぬ遺品焼失した思われるが、これら現存資料運び出され難を逃れた。その痕跡書状等の一部残った焼損によって知られる
 当初よりその学術的価値認識していた大久保家では、日記を『大久保利通日記』(一・二日本史籍協会叢書昭和二年)として、発信書状建白書類を『大久保利通文書』(一~一〇日本史籍協会叢書昭和二~五年)として刊行し学術的な貢献をした。またこのとき刊行されなかった利通宛てられ書状については、『大久保利通関係文書』(一~五、立教大学日本史研究会編、吉川弘文館刊、昭和四十四十六年)として刊行され大久保家資料全面的に学界提供される至った
 鹿児島県所有分も国立歴史民俗博物館保管分と同様の内容有し書状類は巻子表装されたものと未表装のものを合わせて一五九五点を数える。これには大久保利通発信のものとしては最も時期の上がる嘉永六年(一八五三六月四日付で妹婿石原近昌に金子借用申し入れたものが含まれるまた、明治五年七月十九日付でロンドンから西郷隆盛宛にビクトリア女王会えないことやビスマルク評判伝えたものなどもある。
 文書・記録類は、明治九年十二月新政府樹立一〇にあたり財政再建のため行政改革を行う旨を記した大綱や、台湾出兵事後処理として北京清国申し入れた談判案文などがある。
 書跡類、遺品類とも数は多くはないが、大久保書幅や、碁石碁盤石鹸入、歯ブラシ等の日用品がある。
 大久保利通関係資料は、大久保家からの移管事情により現有二つ分かれるが、内容分量からも両者資料併せもって大久保利通全貌を語るものとして貴重である。
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