しょうそん 焼損
焼損
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 05:28 UTC 版)
本罪は条文上「焼損」をもって既遂に達する。「焼損」の意義については、保護法益との関係で以下のような学説の争いがある。 独立燃焼説 火が媒介物を離れて目的物に燃えうつり、独立に燃焼を継続する状態になることが「焼損」であるとする。独立の燃焼が開始すれば公共の危険の発生には十分である、という点を根拠とする。放火罪の公共危険罪としての側面を強く意識した結果、最も早い時点で既遂を認める学説であり、他説からは放火罪の財産犯的側面を無視するものであるという批判を受ける。なお判例は一貫して独立燃焼説を採っている。 効用喪失説 目的物の重要部分が焼失し、その本来の効用を喪失することが「焼損」であるとする。財産的価値がその時点で失われることを根拠とする。つまり、独立燃焼説とは逆に、放火罪の財産犯的側面を強調する学説であり、その結果最も遅い時点で既遂を認めることになる。必然的に他説からは、放火罪の公共危険罪的側面を無視するものであるという批判を受ける。 燃え上がり説 目的物の重要部分が燃えはじめ、容易に消すことができない状態になることが「焼損」であるとする。公共危険罪的側面と財産犯的側面を両方加味した結果、既遂時期も独立燃焼説と効用喪失説の中間に位置する学説である。 毀棄説 毀棄罪の基準により、火力によって目的物が損壊することが「焼損」であるとする。 なお、1989年7月7日の最高裁判所第2小法廷判決においては、エレベーターの壁約0.3平方メートルを焼損しただけでも、この犯罪の構成要件に該当すると判示された。
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焼損
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 14:08 UTC 版)
1949年(昭和24年)1月26日の早朝、金堂に火災が発生した。当日の『東京日日新聞』『報知新聞』の報道によれば、午前5時頃に住職の佐伯定胤が朝の勤行を行った際には異状がなかったが、午前7時20分頃に出火し、午前9時前後に鎮火。原因については、公式には壁画模写の画家が使っていた電気座布団から出火したとされているが、模写に使用した蛍光灯用の電熱器が火元とする説、放火説などがあり真相は不明である。出火当時、金堂は前述のように半解体されており、天井より上の上層部分と裳階部分の部材は解体済みだったため難を免れた。また、内部に安置されていた釈迦三尊像等の仏像も大講堂、大宝蔵殿等に移座されていたため無事だったが、壁画は蒸し焼き状態になり、初層の柱、頭貫、組物なども表面が黒焦げになってしまった。なお、法隆寺金堂壁画についてはしばしば「焼失した」と表現されているが、後述のように、オリジナルの壁画は黒焦げになったとはいえ現存しているので、「焼損した」とするのが妥当である。 焼損した壁画はアクリル樹脂と尿素樹脂を注入し硬化され、1954年(昭和29年)10月から翌年3月にかけて再組み立てされ、寺内の食堂(じきどう)東側に建設された収蔵庫に収められた(東京国立博物館法隆寺宝物館に移転保存する計画もあったが、信仰上の理由などもあり結局は法隆寺に残された。)。この収蔵庫には焼け焦げた壁画と柱などの部材が従前の配置のままに置かれているが、保存上の理由から普段は一般には公開されていない。金堂は、解体中で被災を免れた部材は再利用し、焼損した初層軸部の部材は新材で復元したうえで、1954年(昭和29年) に竣工した。 火災後の壁画は、色彩がほとんど失われ、輪郭線が辛うじて残ってネガフィルムのような状態になっている。使用された絵具の内、弁柄のみは火災後も化学変化を起こさずに残存しており、輪郭線も弁柄で描き起こされていたため残っている。壁画のうち、1号大壁、10号大壁などは焼損後も比較的図様が残っており、12号壁の十一面観音像は全体の図様や衣の文様なども鮮明に残っている。一方、壁画中の最高傑作といわれた6号壁の『阿弥陀浄土図』は甚大な被害を受けている。中尊の阿弥陀如来像の顔のあった部分には消火ホースを通すための穴が開き、この部分の図様は完全に失われている。向かって右の脇侍像(観音菩薩)は、世界文化遺産切手の図案にもなった著名な絵だったが、顔の部分の絵具はほとんど失われている。大小壁上部の山中で修行する羅漢図は焼失したが模写が残る。 これらの焼損壁画は通常は一切公開されていないが、法隆寺の世界文化遺産(法隆寺地域の仏教建造物)登録を記念し、1994年(平成6年)11月1日から11月23日にかけて、抽選で当選した人にのみ特別公開された。また毎年7月下旬に行われる法隆寺夏季大学の参加者には特別伽藍見学として公開されている。 焼損した壁画と焼け残った内陣小壁の『飛天図』は1958年(昭和33年)2月8日、「金堂外陣旧壁画(土壁)12面」「金堂内陣旧壁画(土壁)20面」として重要文化財に指定された。
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