法隆寺金堂壁画
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法隆寺金堂壁画(ほうりゅうじこんどうへきが)は、奈良県斑鳩町の法隆寺金堂の壁面に描かれていた仏教壁画である。制作年代は7世紀後半~8世紀初めと推定される[1]。確実な歴史的史料がないことから作者は不明とされている。インドのアジャンター石窟群壁画、中国の敦煌莫高窟(とんこうばっこうくつ)壁画などとともに、アジアの古代仏教絵画を代表する作品の一つであったが、1949年(昭和24年)の火災で焼損した[1]。焼け残った壁画の現物は法隆寺境内の収蔵庫で保管されているほか、火災前に模写が制作されていた[1]。火災後の1967年に壁画再現事業が発願され、翌年完成した[2]。
- ^ a b c d 【文化財のトビラ 075】法隆寺金堂壁画写真ガラス原板 デジタル画像の公開/奈良国立博物館学芸部情報サービス室長 宮崎幹子:文化庁広報誌『ぶんかる』2020年8月31日(2021年8月20日閲覧)
- ^ a b c d e f g h i 【法隆寺金堂壁画限定公開】本物だけの輝きに救われる/創建の地で守られ続けた形 体感を『朝日新聞』朝刊2021年8月10日20面(2021年8月17日閲覧)
- ^ “法隆寺金堂壁画の収蔵庫を環境調査 将来の公開に向け”. 朝日新聞デジタル (2020年10月20日). 2021年2月18日閲覧。
- ^ 飛鳥の美、目の前に 法隆寺金堂壁画、限定公開『朝日新聞』朝刊2021年11月10日1面(2021年11月10日閲覧)
- ^ 松原 (1994) pp.131 - 135
- ^ 松原 (1994) pp.135 - 140
- ^ 松原 (1994) pp.141 - 149
- ^ a b c d 彬子女王、島尾新、亀田和子(編)「海を渡った法隆寺壁画:西洋における「うつし」の役割」『写しの力:創造と継承のマトリクス』思文閣出版 2013年 ISBN 9784784217113 pp.205-213.
- ^ 原寸大の金堂壁画写真、撮影始まる『大阪毎日新聞』昭和10年8月2日『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p676 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 人物と撮影日時の特定は『国宝法隆寺金堂展』(展覧会図録、奈良国立博物館、2008年)p.165による
- ^ 松田真平:幻の法隆寺金堂壁画、美を再び◇火災で焼失した「山中羅漢図」復元考証に20年◇『日本経済新聞』朝刊2021年5月19日(文化面)2021年5月22日閲覧
- ^ a b “歴史の共同研究 聞く耳持たぬ中韓ではなく米台と始めるべき”. NEWSポストセブン. (2013年7月28日). オリジナルの2015年2月9日時点におけるアーカイブ。
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