防府歴史用語辞典 |
薩摩藩 (さつまはん)
鹿児島藩[かごしまはん]とも言います。江戸時代に島津[しまづ]氏が治めていた場所で、旧国名の薩摩[さつま]・大隈[おおすみ]・日向[ひゅうが]の一部にあたります。江戸時代の終わりには、江戸幕府をたおすために長州藩[ちょうしゅうはん]と同盟を結び、明治維新[めいじいしん]に活躍しました。
薩摩藩 (さつまはん)
現在の鹿児島県域。江戸時代を通して島津[しまづ]氏が藩主として治めました。幕末には藩主島津斉彬[なりあきら]が藩政の改革を行い、その弟で次の藩主の父である久光[ひさみつ]は公武合体の立場をとり政治の中心として活躍しました。薩摩藩からは西郷隆盛[さいごうたかもり]や大久保利通[おおくぼとしみち]らが活躍しています。
関連項目
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薩摩藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/12/21 06:36 UTC 版)
薩摩藩(さつまはん)は、江戸時代に薩摩・大隅の2ヶ国及び日向国諸県郡の大部分を領有し、琉球王国を支配下に置いた藩。
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- ^ ただしこの時点では薩摩:島津義久、大隅;島津義弘、日向諸県郡:島津久保と分割して宛われた。参考文献『島津義弘の賭け』山本博文など
- ^ 参考文献 『鹿児島県の歴史』「苦悩する藩政」山川出版社
- ^ 村野守治『島津斉彬のすべて 新装版』 新人物往来社、2007年、ISBN 978-4-404-03505-9
- ^ 国立公文書館内閣文庫の『嘉永二年十月二日決・本家末家唱方』での老中見解では『本家末家唱方之儀、領知内分遣し一家を立て候末家与唱、公儀から別段領知被下置被召出候家は、本家末家之筋者有之間敷』とある。但しこの史料自体が1849年のもので、佐土原藩や宇和島藩などが成立してから200年ほど経っており、佐土原藩などの成立当時の内分分知や新田分知という分家手法がなかった時代にもこの見解であったかは追加研究を必要とする。
- ^ 「仙台市史・通史5・近世3」。ちなみにこの宇和島藩の仙台藩への従属関係への不満は本末争いに発展したが、結局仙台藩から引き出せたのは仙台藩外において「家本・家分かれ」という関係であること公称することを認めるだけであった。また仙台藩内部では従前どおりの「本家・末家」関係と認識は変えられず、結果、薩摩藩・佐土原藩間のような二重基準が成立しただけであった。
- ^ 司馬遼太郎「南方古俗と西郷の乱」『古住今来』日本書籍株式会社、1979年
- ^ 『江戸の少年』ISBN 978-4582760729、『武士道とエロス』ISBN 978-4061492394、両書とも氏家幹人著
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