ヒッチコック・マガジンとは? わかりやすく解説

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ヒッチコック・マガジン

ヒッチコックマガジン創刊号表紙1959年(昭34)7月創刊宝石発行小林信彦中原弓彦の名で編集長をしていた。
宝石」では映画監督ヒッチコック編集するアルフレッドヒッチコックミステリマガジン(AHMM)と契約し1958年(昭33)から「ヒッチコックミステリの頁」を連載していたが、AHMM日本語版を他社から発行したいという打診があったので、宝石社から発行することになった本国版連動しつつ、サスペンス小説奇妙な味小説のほか、車、ジャズ拳銃などの特集人気博した1963年(昭38)7月終刊通計50冊。



ヒッチコック・マガジン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/23 02:49 UTC 版)

ヒッチコック・マガジン[注 1]は、日本の月刊ミステリ小説誌、娯楽雑誌。1959年6月22日に創刊号(8月号)が発売された[5]。発行は宝石社。アメリカ合衆国のH.S.D.パプリケーションズ発行の『Alfred Hitchcock's Mystery Magazine』と版権契約を結んでおり、同誌の日本版という位置づけだった[6]小林信彦が「中原弓彦」の筆名で編集長を務めた雑誌として知られ、映画やジャズの批評、コラム、ショートショート、座談会、イラストなどが充実していたことから、『平凡パンチ』(1964年創刊)や『話の特集』(1965年創刊)などに大きな影響を与えた[7][8]。1963年7月号をもって廃刊。


注釈

  1. ^ 表紙のタイトルの表記は中黒のない「ヒッチコックマガジン」である。創刊号の奥付ならびに「死体置場の片隅から」と題された編集後記には「ヒッチコック・マガジン」と記されている[1]国立国会図書館の所蔵目録の表記も「ヒッチコック・マガジン」である[2]。編集長を務めた小林信彦も自著で「ヒッチコック・マガジン」と書いている[3][4]
  2. ^ 21日に発売する予定だったが、日曜日に重なったため22日になった[5]。しばらく22日発売が続き、1960年1月号から21日発売になった[11]
  3. ^ 1959年6月8日から13日にかけて東京の読売ホールで第2回「フランス映画祭」が開催された。この催しでクロード・シャブロルの『いとこ同志』のほか『レ・ミゼラブル』『自殺への契約書』『燃える大地』『二十四時間の情事』『アルピニスト 岩壁に登る』など6本の新作映画と短編映画『セーヌの詩』が特別上映された[13][14]
  4. ^ 1954年7月、フランスは8年にわたるインドシナ戦争を終結させるが、植民地であったフランス領インドシナを失った[16]。そして同年11月に勃発したアルジェリア戦争は泥沼の様相を呈していた。

出典

  1. ^ a b 『ヒッチコック・マガジン』1959年8月号、宝石社、134頁。
  2. ^ ヒッチコック・マガジン | 書誌詳細”. 国立国会図書館. 2023年7月12日閲覧。
  3. ^ 小林信彦『東京のロビンソン・クルーソー』晶文社、1974年6月30日、144-147頁。 
  4. ^ a b c 道化師のためのレッスン 1984, pp. 24–27.
  5. ^ a b 小林信彦60年代日記 1985, pp. 16–17.
  6. ^ 『ヒッチコック・マガジン』1959年8月号、宝石社、4頁。
  7. ^ 亀和田武「作家の<秘密の日記>」 『小林信彦の仕事』弓立社、1988年7月15日、284頁。
  8. ^ 道化師のためのレッスン 1984, pp. 162–163.
  9. ^ a b 回想の江戸川乱歩 1994, pp. 8–12, 68–70.
  10. ^ 小林信彦60年代日記 1985, pp. 11–13.
  11. ^ 『ヒッチコック・マガジン』1959年12月号、宝石社、132頁(新年特大号予告)。
  12. ^ 秦早穂子、森田和雄、中原弓彦「第一回 パリへの道(上)」 『ヒッチコック・マガジン』1959年9月号、宝石社、70頁。
  13. ^ キネマ旬報』1959年7月夏の特別号。
  14. ^ 映画評論』1959年7月号。
  15. ^ 秦早穂子、森田和雄、中原弓彦「第二回 パリへの道(下)」 『ヒッチコック・マガジン』1959年10月号、宝石社、70頁。
  16. ^ Logevall, Fredrik (2012). Embers of War: The Fall of an Empire and the Making of America's Vietnam. random House. ISBN 978-0-679-64519-1 
  17. ^ 秦早穂子、双葉十三郎、中原弓彦「ヒッチコックの新作『北北西に進路を取れ』をめぐって」 『ヒッチコック・マガジン』1959年11月号、宝石社、71頁。
  18. ^ 秦早穂子、荻昌弘、中原弓彦「秋の話題作をめぐって」 『ヒッチコック・マガジン』1959年12月号、宝石社、68-76頁。
  19. ^ 道化師のためのレッスン 1984, p. 37.
  20. ^ 『ヒッチコック・マガジン』1960年5月号、宝石社、165-166頁。
  21. ^ 『ヒッチコック・マガジン』1960年11月号、宝石社、166頁。
  22. ^ 『ヒッチコック・マガジン』1960年12月号、宝石社、165-166頁。
  23. ^ 『ヒッチコック・マガジン』1961年2月号、宝石社、165頁。
  24. ^ a b ヒッチコックマガジン目次細目 第2巻(1960年)”. MISDAS. 2023年7月12日閲覧。
  25. ^ a b ヒッチコックマガジン目次細目 第3巻(1961年)”. MISDAS. 2023年7月12日閲覧。
  26. ^ 「直木賞のすべて」受賞作・候補作一覧(非公式サイト) - ウェイバックマシン(2023年3月26日アーカイブ分)
  27. ^ 「小林信彦自筆年譜」 『小林信彦の仕事』弓立社、1988年7月15日、307-308頁。
  28. ^ 小林信彦60年代日記 1985, p. 93.


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