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ニコシア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/02/23 05:44 UTC 版)
| ニコシア市 Λευκωσία Lefkoşa |
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|---|---|
ニコシア市街 |
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| 位置 | |
ニコシアの位置(キプロス島) |
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ニコシアの位置(キプロス島) |
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| 座標 : 北緯35度10分 東経33度21分 / 北緯35.167度 東経33.35度 | |
| 行政 | |
| 国 | ( |
| 地区 | ニコシア地区 |
| 市 | ニコシア市 |
| その他 | |
| 等時帯 | 東ヨーロッパ時間 (UTC+2) |
| 公式ウェブサイト : Nicosia Municipality(キプロス) | |
ニコシア は、キプロス共和国の首都。北キプロス・トルコ共和国[1]の政庁所在地でもある。地元ではLefkosia /レフコシャと呼ばれる(ギリシア語: Λευκωσία/トルコ語: Lefkoşa、英: Nicosia)。
目次 |
歴史
古代にはLedraやLedraeと呼ばれた都市国家であった。その王が紀元前672年、アッシリア王国の王・エサルハドンに朝貢した記録がある。プトレマイオス1世の息子レフコスによって街は再建されるも、さほど重要な都市ではなかった。10世紀には、レフコシャとして都となり、パフォスやサラミスなど海岸線にある都市からの避難民で、この内陸都市の人口が増す。フランク人によって建国されたキプロス王国は1489年、ヴェネツィアの支配下に入り、次いで1571年にはオスマン帝国の版図となる。ニコシアという外名は、十字軍によって用いられたものである。 1570年のオスマン帝国の侵攻では20,000人の犠牲者を出した。19世紀は、1821年のオスマン帝国の弾圧、1835年のコレラや1857年の大火などを経験した。1878年、大英帝国がキプロスを傘下に収めると、その首都として成長した。
1960年の独立前には反イギリス闘争の過程で、血で血を洗う惨事が続いた。ギリシャ併合強硬派によるクーデターを支援するギリシャに対抗して1974年、トルコ系住民の保護を目的としたトルコ軍のキプロス出兵の結果、町の北側を支配するトルコ系の北キプロス・トルコ共和国と、南側を支配するギリシャ系のキプロス共和国(独立以来のギリシャ系主導のキプロス政府であり国際的に承認されたキプロス国家を代表する)に分断された形になっており、北キプロスもニコシアを首都としている。
グリーンライン(南北分断線)は国際連合によってひかれた緩衝地帯となっており、南側のキプロス共和国側からに限り北側への通行が可能であったが、2004年より南北間の通行については、検問所の増設ならびに自由化がなされた。南北キプロスに駐留する国連軍部隊の姿もしばしば目にする。
地理
キプロス島中北部にあり、付近に肥えたメッサオリア平野がある。小麦、ブドウ、オリーブ、牛、羊などの農畜産物の集散加工がおこなわれ、また皮革、繊維、タバコなどの工業もおこなわれる。
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