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アムステルダム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/16 11:52 UTC 版)

アムステルダム
Gemeente Amsterdam
Sights in Amsterdam2.jpg
Flag of Amsterdam.svg Wapen van Amsterdam bewerkt.PNG
基礎自治体旗 基礎自治体章
愛称 : モクム"、"北のヴェネツィア
位置
の位置図
座標: 北緯52.367935度分 東経4.900364度分
行政
オランダの旗 オランダ
 州(Provincie) 北ホラント州
 基礎自治体 アムステルダム
地理
面積  
  基礎自治体域 219[1][2]km2
    陸上   166km2
    水面   53km2
  市街地 1,003km2
  都市圏 1,815km2
標高 2m
人口
人口 (2008年現在)
  市域 755,269人
    人口密度   4,459人/km2
  市街地 1,364,422人
  都市圏 2,158,372人
その他
等時帯 CET (UTC+1
夏時間 CEST (UTC+2
市外局番 020
公式ウェブサイト : http://www.amsterdam.nl/

アムステルダムオランダ語:Amsterdam)は、オランダ北ホラント州基礎自治体ヘメーンテ)であり、憲法上に規定されたオランダの首都。オランダ語での発音は「アムスタダム」に近い。

政府、中央官庁、王室、国会など首都機能のほとんどはハーグにある[3]。アムステルダムは商業および観光が中心である。

目次

概要

元々は小さな漁村だったが、13世紀アムステル川の河口にダムを築き、町が築かれた。16世紀には海運貿易の港町として、ヨーロッパ屈指の都市へと発展した。現在のアムステルダムは、アムステルダム中央駅を中心に市内に網の目状に広がる運河や、その運河に沿って並ぶ17世紀の豪商の邸宅、自転車、飾り窓の女性たち、アンネ・フランクの家などで広く知られる。

この町は自転車に乗る人が多く、車道と歩道の間に自転車専用路が設けられている。中央駅付近には巨大な駐輪場があり、絵葉書などにも自転車をあしらったものがある。

2012年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス人材文化政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第26位の都市と評価されており、特にビジネス分野では、世界10位と高く評価された[4]

歴史

主要記事:History of Amsterdam

建設

アムステルダムは13世紀に漁村として築かれた。伝説によれば、犬を連れて小さなボートに乗った2人の猟師が、アムステル川の川岸に上陸して築いたということになっている。アムステル川をせき止めた(アムステルのダム:Dam in the Amstel)というのが街の名前の由来。1287年12月14日北海からの高波がゾイデル海に流れ込み、聖ルチア祭の洪水と呼ばれる大水害を引き起こした。これによってゾイデル海は大きく拡大するとともに、北海へと開口することになり、ゾイデル海の一番奥にあるアムステルダムが海陸の接点として注目されることとなった。1300年(または1301年)に自由都市となり、14世紀にはハンザ同盟との貿易により発展した。やがて15世紀にはハンザ同盟をしのいでバルト海交易の中心地となっていった。

独立

16世紀には当時ネーデルラント17州を支配していたスペインフェリペ2世やその後継者に対する反乱が起こり、八十年戦争へ発展した。この間、アムステルダムは独立派に組していた。1585年8月に南ネーデルラントアントウェルペンがスペインのパルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼに降伏すると、アントウェルペンの新教徒商人がアムステルダムへと続々と移住し、アムステルダムはそれまでのバルト海交易のみならず、それまでアントウェルペンが支配していた地中海交易や新大陸アジアからの交易をも手に入れ、これによってアムステルダムは世界商業・金融の中心地となっていった。独立を獲得したオランダ共和国はその宗教的寛容さで知られ、スペインやポルトガルからユダヤ人が、アントウェルペンから豪商が、フランスからユグノーが安住の地を求めてアムステルダムにやって来た。フランドルからの豊かで洗練された移住者はオランダ語の基礎を作り、オランダの商業的発展の礎を築いた。

黄金時代

17世紀はアムステルダムの黄金の時代と考えられている。17世紀初頭、アムステルダムは世界で最も裕福な都市であった。アムステルダムの港は浅かったものの広く、交易の結節点ならびに商業の中心地としての魅力はその欠点を補って余りあった[5]1595年、アムステルダムの商人はコルネリス・ハウトマンの船団をアジアへと派遣し、船団はジャワ島から東方の物産を積んで帰国した。これによって東方貿易ブームが起きるが、あまりにも過当競争となったために、1602年に東方貿易の独占権を持ったオランダ東インド会社が設立された[6]。アムステルダムの港を発する商船は、北アメリカ大陸アフリカ大陸を始め、現在のインドネシアブラジルまで含めた広大なネットワークを築いていた。アムステルダムの貿易商はオランダ東インド会社(VOC)やオランダ西インド会社(WIC)の主要な地位を占めていた。これらの特許会社は後世のオランダ植民地を形成する海外権益の基礎となった。アムステルダムは欧州で最も重要な交易市場であり、世界を牽引するファイナンシャル・センターであった。アムステルダム証券取引所は世界初の常設取引所でもあった。

オランダはこの時代世界でもっとも出版の自由や言論の自由、思想の自由が保障されている国であり、宗教的にも寛容であったため、ヨーロッパ各国から文化人が亡命し、オランダ、特に最大都市であるアムステルダムに居を構えた。アムステルダムにはこの当時400軒の出版業者が軒を連ね、ルネ・デカルトなどもアムステルダムに落ち着いている。こうして、アムステルダムは文化の中心となっていった。

アムステルダムの人口1500年には1万人を少し超えるくらいであったが、1570年には3万人、1600年には6万人、1622年には10万5,000人、1700年には約20万人と急増した。それから150年程度はほぼ横ばいであったが、第二次世界大戦前の100年で4倍に急増して80万人となり、それ以降は安定している(2005年1月1日現在の人口は74万2,951人)。

18世紀以降

18世紀から19世紀前半にかけては、アムステルダムの繁栄にも陰りが見えた。イギリスやフランスとの相次ぐ戦争はアムステルダムの富を搾取した。ナポレオン戦争の頃がどん底であった。しかし、1815年オランダ連合王国が建国された頃から徐々に復興し始めた。

19世紀終わり頃は、2度目の黄金時代と呼ばれることもある。アムステルダム国立美術館、アムステルダム中央駅、コンセルトヘボウが建てられた。同じ頃、産業革命がこの地に到達した。アムステルダム・ライン運河が開通し、アムステルダムからライン川へ直行ルートが開かれた。北海運河も開通し、北海への最短ルートを提供した。この2つのプロジェクトの完成は、欧州内陸部と外部との通商を活発にした。

第一次世界大戦の少し前には市域が拡大し、新市街が拡張された。第一次大戦ではオランダは中立国であったが、アムステルダムは食糧不足と(暖房用の)燃料不足に苦しんだ。物不足から市民の暴動が起き、何人かが犠牲となった。

第二次世界大戦では、1940年5月10日ナチス・ドイツがオランダに電撃侵攻し、たった5日の戦闘で占領された。ドイツは国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の友党的存在のオランダ・ナチスによる文民政権をアムステルダムに発足させ、占領政策に協力させた。戦争の最後の1ヶ月間は通信手段が全て奪われ、食料と燃料の供給も絶たれた。沢山の住民が食料を得るため農村に向かった。犬や猫、砂糖大根までもが生きるために食料とされた。アムステルダム市内のほとんどの樹木は切り倒され燃料とされた。また収容所送りになったユダヤ人が住んでいたアパートは取り壊され、木材は燃料とされた。

第二次世界大戦後、アムステルダムは復興し、再び欧州の主要都市となった。




  1. ^ Kerncijfers voor Amsterdam en de stadsdelen”. os.amsterdam.nl. Research and Statistics Service, City of Amsterdam (2006年1月1日). 2007年4月4日閲覧。
  2. ^ Area, population density, dwelling density and average dwelling occupation”. os.amsterdam.nl. Research and Statistics Service, City of Amsterdam (2006年1月1日). 2008年8月13日閲覧。
  3. ^ 王宮ハウステンボス宮殿)はアムステルダムにもあるが、国王は常住していない。
  4. ^ 2012 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook (2012年4月公表)
  5. ^ 「ニシンが築いた国オランダ 海の技術史を読む」p149-150 田口一夫 成山堂書店 平成14年1月18日初版発行
  6. ^ 「オランダ史」p62-63 モーリス・ブロール著 西村六郎訳 白水社 1994年3月30日第1刷
  7. ^ Neerslagdata station 441 Amsterdam 1981–2010”. KNMI. 2012年1月11日閲覧。
  8. ^ Stationsdata station Schiphol 1981–2010”. KNMI. 2012年1月11日閲覧。
  9. ^ Actueel Hoogtestand Nederland” (Dutch). 2008年5月18日閲覧。
  10. ^ Kerncijfers Amsterdam 2007 (PDF)” (Dutch). 2008年5月18日閲覧。
  11. ^ Openbare ruimte en groen: Inleiding” (Dutch). 2008年5月18日閲覧。
  12. ^ Xinhua-Dow Jones International Financial Centers Development Index


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