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アンマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/17 00:50 UTC 版)

座標: 北緯31度57分00秒 東経35度56分20秒 / 北緯31.949977度 東経35.938854度 / 31.949977; 35.938854

アンマン
عمان

座標: 北緯31度57分24秒 東経35度55分57秒 / 北緯31.95667度 東経35.9325度 / 31.95667; 35.9325
ヨルダンの旗 ヨルダン
アンマン県
行政
 - 種別
 - 市長 Omar AlMaani
面積
 - 計 1,680km2 (648.7mi2)
 - 陸地 700km2 (270.3mi2)
標高 773m (2,536ft)
人口 (2005年)
 - 計 2,125,400人
等時帯 UTC+2 (UTC+2)
 - 夏時間 UTC+3 (UTC+3)
ウェブサイト www.ammancity.gov.jo
ヘラクレス神殿
アンマン市街の風景

アンマンعمان ‘Ammān; アンマーン、: Amman)は、ヨルダン首都。人口はおよそ120万人でヨルダンの全人口の4分の1ほどにも及び、ヨルダンの政治、経済の中心都市となっている。2010年の近郊を含む都市的地域の人口では252万人であり、世界では146位である。[1]中東有数の世界都市である。

アンマンは近代的なビルが立ち並ぶ近代都市である一面で、昔ながらの市場(スーク)のあるダウンタウンを抱えている。ヨルダン川にも比較的近く、イエス洗礼を受けたとされるワディ・ハラール(Wadi Kharrar)まで車で45分ほどであるため、多くのキリスト教徒が訪れる。

また、イラク西部と陸路で直結しており、2003年イラク戦争前後から、混乱の続くイラクへと陸路で入ろうとする人々の中継点としても注目を集めた。

目次

歴史

アンマンの地は新石器時代の9000年前以来の定住地で、古代エジプトの統治を受けた時代に、アメン神の名を冠したアンモンという名の都市が建設されたと伝えられる。聖書ではアンモン人の主要な都市として、ラバ、もしくはラバトの名で登場する。やがて、ヘブライ語ラバト・アンモーンと呼ばれるようになったこの都市は、アッシリア帝国ペルシア帝国マケドニア王国の征服を経て、エジプトヘレニズム王朝プトレマイオス朝の支配下になり、プトレマイオス2世ピラデルポス(Philadelphos)にちなんで、ギリシャ語フィラデルフィアと呼ばれた。

フィラデルフィア紀元前1世紀ローマの統治下に入り、ローマ帝国のもとでキリスト教が流入し、司教座が置かれた。アラビア語名のアンマーンは、先イスラム期にシリアを支配したキリスト教系アラブ人のガッサーン朝のもとで起こり、ウマイヤ朝およびアッバース朝の時代に都市の繁栄と共に定着していったが、度重なる地震と戦乱によって次第に都市としては衰えていった。

1887年ロシア帝国の弾圧を逃れて北カフカスからオスマン帝国領のシリア地方に亡命してきたチェルケス人が、フィラデルフィアの廃墟の近傍に住み始めたことによってアンマンは再び歴史に登場する。1900年、オスマン帝国のスルタンアブデュルハミト2世ダマスカスからメディナまでのヒジャーズ鉄道建設を命じたことにより、アンマンに大きな鉄道駅が建設されることになり、周囲や沿線の物資の集散地として浮上を始めた。1921年ハーシム家アブドッラー・ビン=フサインイギリスによって、委任統治領パレスチナ東部に新設されたトランスヨルダン(ヨルダン川東岸地域)の首長(アミール)に据えられると、アンマンに政府が置かれた。当時はサルトがトランスヨルダンの中心都市であり、アンマンは未だ都市らしい都市ではなく、アブドッラー・ビン=フサインは当初、駅を王宮に、列車を政府庁舎代わりに使っていた。

1946年にトランスヨルダンが王国として独立すると、アンマンはその首都に昇格するが、1940年代後半の人口はわずかに2万人程度であった。しかし、イスラエル独立をめぐる混乱の中で、ヨルダンにはパレスチナ人の難民がパレスチナ各地から押し寄せ、トランスヨルダンにおける数少ない都市らしい都市であるアンマンの人口は急速に膨張した。その結果、居住地は都市の中心部を外れて、旧市街を取り囲む丘の上にまで拡大している。1990年代だけでも、パレスチナイラクなどからの移住者や難民もあり都市拡大のペースは加速し、西部に新市街が次々誕生する一方、水の供給が深刻な問題となり始めている。

なお、1970年に発生したヨルダン内戦によってレバノンに追放されるまで、パレスチナ解放機構(PLO)の本部が存在していた。

地理

アンマンはヨルダン北西の丘の多い地域に位置している。街はもともと七つの丘の上に建設されたが、現在では周囲の他の丘の上にまで拡大している(丘はjabel ジャバルと呼ばれ、現在のアンマンは19の丘にまたがっている)。




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