「つながりの社会性」の例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 14:55 UTC 版)
「つながりの社会性」の記事における「「つながりの社会性」の例」の解説
携帯電話 携帯電話の使用者に対する調査から、多くの人はとりたてて通話や連絡をする用事が無くても時間が空いたら実質的には無内容なメールを友人に送信するなど自己充足的に携帯電話を使用していることがわかる。特に若年層ではメールを受信したらそれに対してなるべく早く返信をすること(即レス)がマナーとなっていたり、通常の文字入力よりも手間を要するギャル文字を使用することが暗に相手に「これだけ時間のかかるメールを作成するぐらい、あなたのことを大切に思っている」というメタ・メッセージとして機能しているなど、交換されるメールの内容よりも「返信に要した時間」「特殊文字の含有率」といった形式的事実が重視されていることがわかる。 電車内での携帯電話の通話をマナー違反として感情的に非難するような態度は、社会学者のアーヴィング・ゴッフマンがいうところの儀礼的無関心(その場に居合わせただけの人に対して、露骨に黙殺するわけでも過剰に干渉するわけでもなく適当に距離をとること)を忘却していることへの批判であると解釈できるが、儀礼的無関心とは秩序の社会性が前提とするコミュニケーションのコードを共有しないもの同士が接触することによる摩擦を防ぐためのしきたりであり、それを破壊しかねない携帯電話による通話は第三領域(私的領域と公的領域の中間)から排除・忌避されるのだと考えられる。 匿名掲示板 北田暁大は、インターネット上でのコミュニケーションの中でも、電子掲示板2ちゃんねるでは内輪でしか通用しないジャーゴン(2ちゃんねる用語)が多用され、つながりの社会性が顕著に見られている例として分析している。特に一部の板で数多く確認される嫌韓厨(ネット上で韓国を敵視する発言を繰り返す者)やネット右翼(同様に右翼的な発言を繰り返す者)について、彼らは政治的・思想的な信条のもとにそのような言動にいたっているのではなく、「韓国を叩く」「朝日新聞を叩く」といった振る舞いをコミュニティ内で連鎖させて連帯感を持つこと自体が目的化している(韓国なりマスコミなりは内輪で円滑にコミュニケーションを接続するための「素材」に過ぎない)のだと述べている。 他方で、前述したように日本の国外(あるいは日本国内でも高齢者層)ではつながりの社会性に基づいた形式的な行動様式の理解が十分でないため、2ちゃんねるなどのインターネット上での嫌韓ムードの高まりを、形式的なつながりとしてではなく内容面で解釈してしまい(すなわち実際に日本の若者は韓国を嫌っているのだとそのままの意味で解釈してしまい)その誤解が社会問題となってしまう危険性がある。 美術評論家の暮沢剛巳は、2ちゃんねる内の葉鍵板 で発祥した葉鍵板最萌トーナメント(美少女キャラクターの人気投票)において各陣営(それぞれの美少女キャラクターを支持する勢力)の内部で行われるコミュニケーションにもつながりの社会性の特徴が見出されるとしている。 ブログの炎上 つながりの社会性がネガティブに作用する例としては、ウェブサイト(特にブログのコメント欄)に多数のユーザーからの批判などが殺到する現象(いわゆる炎上・コメントスクラム)がある。ブログ炎上の際、コメントが殺到する初期の段階では発端となったブログの書き手によるなんらかの失言や反社会的な行動の暴露といった内容面が批判の対象となるのに対し、時間が経過してコメントの投稿が加速すると非難の対象はむしろ「書き手の(炎上に対する)その後の対応の杜撰さ」といった形式面に対するものへとシフトすることがしばしばあり、これは内容ではなく形式を重んじるつながりの社会性の原理と対応する。 前述の2ちゃんねるでのネット右翼と関連して、俗にネットイナゴといわれるようなサイバーカスケード現象も一種のつながりの社会性の発露と考えられるが、ネットイナゴの場合は2ちゃんねるよりもむしろはてなブックマークに軸足を置いている。 ソーシャル・ネットワーキング・サービス ゼロ年代半ば頃から、mixi・Twitterといったソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が興隆しているが、そこでは他者からなんらかのコメントをもらうという行為自体によって自分がだれかから気にかけられていることを確認するといった形式的なコミュニケーション作法がとられ、これらもつながりの社会性の浮上を象徴するものと考えられる。特にmixiの「足あと」機能 は、利用者がそのページにアクセスしたという形式的事実をログとして保存するという意味でつながりの社会性を支えるアーキテクチャといえる。動画共有サービスサイトの中でも、動画にコメントを書き込む機能を備えたニコニコ動画はYoutubeなどの他サイトよりもより強固なつながりの社会性へ適応した設計がなされており、動画自体が見えなくなるほど大量のコメントが一斉に書き込まれる現象(いわゆる弾幕)が頻繁に確認されることからも、動画の内容自体よりもそれを媒介として他のユーザーと一体感を共有したりコミュニケーションをとったりすることが重要視されるというつながりの社会性の志向がみてとれる。実際にはニコニコ動画では同一の動画コンテンツを視聴するユーザー間は同じ時間を共有させているのではなくシステムの設計によって擬似的な同期性が得られているだけであり、つながりの社会性においては実は「現実につながること」ではなく「つながっている感覚を得ること」が求められているのであるという見方もできる。 社会運動 2010年・2011年には世界各地で様々な社会運動(アラブ諸国のアラブの春、イギリス暴動、ニューヨークのウォール街を占拠せよなど)が発生し、前述のソーシャルメディアの興隆と関連付けて論じられた。濱野智史はこれについて、それぞれ運動の社会背景や主張は異なるものの、ソーシャルメディア上でのつながりの社会性が暴動という形で現実世界での行為に移行したというプロセスは同じとしている。そして、日本の若者は経済的に不利な立場におかれても国外の例のように弱者として社会運動を起こすことがないことについて、ニコニコ動画やAKB48といった繋がりを共有する娯楽へ参加することによって満足が得られてしまっているからという面があり、そのような娯楽文化の形式を応用することで暇つぶしの延長で参加できるような社会改革のあり方を設計するべきであると述べている。 コンピュータゲーム コンピュータゲームの分野においても、ネットワーク上に構築されたシステムを使って多数のユーザーが相互にコミュニケーションをとりながら遊ぶソーシャルゲーム(『怪盗ロワイヤル』『サンシャイン牧場』など)が台頭している。これはゲーム性によってつながりの社会性を発生させている例であるが、対照的につながりの社会性の作用によってより効果的なゲーム性を発生させる例として『ポケットモンスター』 や『モンスターハンター』 が挙げられる。1980年代~1990年代に流行していたロールプレイングゲームやノベルゲームでは、ゲームシステムの支援を受けてプレイヤーが仮想世界に没入するという「アーキテクチュアルな没入」 の構造がとられているが、つながりの社会性の肥大化に適応したゲームではその逆に(虚構ではなく現実の)コミュニケーションを遊戯化するという戦略がとられており、評論家の宇野常寛はこの変化を(聖地巡礼ブームなどとともに)「仮想現実(VR)から拡張現実(AR)へ」という時代の流れのひとつと位置づけている。 物語系コンテンツでの例 つながりの社会性の顕在化は、虚構の水準(創作物の中)にも見出すことができる。主にゼロ年代後期以降、美少女キャラクターの日常生活やなにげない会話のやりとりを重点的に描く空気系と呼ばれる漫画・アニメが流行し、例えば空気系の火付け役とされるテレビアニメ『らき☆すた』では第一話の大半の部分を、女子高生たちがチョココロネなどのお菓子の食べ方についてとりとめのないおしゃべりを続けるだけのシーンで構成されている。 宇野常寛によれば、空気系作品における登場キャラクター同士のくだらないやりとりの数々はまさに仲間との連帯意識の共有自体を目的としたコミュニケーション作法であり、つながりの社会性を重要視する意識が現実世界だけでなく創作物の中の水準でも求められていることを指摘している。また、オタク文化圏内における空気系作品と同様に接続志向のコミュニケーション自体の快楽を追及した作品(サプリメントのように受容される作品)は他分野でも同時多発的に出現しており、実写映画ではアルタミラピクチャーズによる『ウォーターボーイズ』『スウィングガールズ』などの青春映画作品が該当し、文学の分野では村上春樹の延長線上にある青山七恵・津村記久子といった作家の作品がそれに近いという。 つながりの社会性が肥大化した現代社会の空間を理想化して描くのが空気系であるとすれば、それを現実認知としてシビアに描いたものがバトルロワイヤル系 の作品であると考えられ、特に舞台を空気系的な学校空間に設定して教室内の人間関係の駆け引きを闘争として描けばスクールカーストものとなる。 ライターの速水健朗は、ケータイ小説の物語内で登場人物が交わすメールのやりとりにつながりの社会性がみてとれるとしている。また、濱野智史は、前述したような携帯電話でのコミュニケーションにおける形式的な事実(携帯電話に操作ログとして集積されるデータ)から無意識に互いの親密性を推し量るようなマナーがケータイ小説では作品にリアリティを与えている面があるとし、それを理解できるかどうかというところが「若年の女性から圧倒的な支持を受けるが年長者からは稚拙なものとして批判される」といったケータイ小説の極端な賛否の分かれ方につながっている可能性を示唆している。
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