儀礼的無関心
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/07 14:18 UTC 版)
儀礼的無関心(ぎれいてきむかんしん,civil inattention)とは、同じ社会的状況に単に居合わせているだけの人々の間で行われる礼儀正しい振る舞い方の1つ[1]。
- ^ a b 『集まりの構造』 pp.93-99
- ^ 『集まりの構造』 p.93.
- ^ 『集まりの構造』 p.93. 「人びとが単に同じ社会的状況に居合わせるというだけで生じるコミュニケーションの問題」。
- ^ 『集まりの構造』 p.94. 本書は、1950-1960年代アメリカの南部で、通りすがりに白人が黒人に向けた視線を例に挙げる。
- ^ a b 『集まりの構造』 pp.93-94.
- ^ 『集まりの構造』 p.98.
- ^ 『ゴフマン世界の再構成』 pp.158, 159, 182. そのような無礼や視線は、生物学的な体や法的な人格を傷つけるものではない。しかし、人としての大事な部分を傷つける。その部分を薄井明は「市民的自己」と呼び、ゴッフマンは「人格」と呼んだ。
- ^ 『ゴフマン世界の再構成』 p.160. 「エチケットの支配によって肉体的暴力から解放されたわれわれは、かわりにエチケットに由来する傷つきやすさ・毀れやすさを抱え込んでいるといえる」(※下線部分は原文は傍点)。
- ^ 『集まりの構造』 pp.96, 95.
- ^ 『集まりの構造』 p.315 原著は1963年の本。p.316 原著の元になった論文は1953年。
- ^ 『集まりの構造』 p.5.
- ^ 『集まりの構造』 p.94.
- ^ 『集まりの構造』 pp.315-318.
- ^ 『ゴフマン世界の再構成』 p.159. 共在のなかに居るとき、互いの私的領域を保護するために、視線の衝突を回避する振る舞い方のこと。
- ^ 『集まりの構造』 p.97.
- ^ 無断リンク#無断リンクの是非についての論争を参照。
- ^ 濱野智史 『アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか』 エヌ・ティ・ティ出版、2008年、132-134頁。ISBN 978-4757102453。
- ^ 参照 (書誌学)#学術論文の参照・引用を参照。
[続きの解説]
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- 2 儀礼的無関心の概要
- 3 参考文献
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