F-111 (航空機) 概要

F-111 (航空機)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/30 04:59 UTC 版)

概要

アメリカ空軍所属のF-111F(1972年)

初飛行は1964年で、世界初の実用可変翼機として知られる。長らく公式な愛称を有さなかったものの、非公式に「アードバークAardvark ツチブタの意)」「ワンイレブン」などと呼ばれており、退役当日にアードバークが公式に採用された。なお、後述のとおり電子戦型は「レイブン(ワタリガラス)」の愛称が採用されている。

開発はロバート・マクナマラ国防長官の開発費、及び維持費の削減という狙いを強く反映し、アメリカ空軍アメリカ海軍で共通の機体を使用させる事から、空軍型のA型と艦上戦闘機型のB型の2機種の開発を目指した。しかし、B型は艦隊防空戦闘機としての重量軽減などを実現できず、最終的にはF-111Aのみの採用となった。マクナマラがフォード社の出身であることから、自動車のバッジエンジニアリング軍用機に導入したと揶揄された。

戦闘爆撃機として開発された機体ではあるが、空対空戦闘能力はほとんど有しておらず、その意味では失敗作というべき機体である。しかし純粋な攻撃機爆撃機として見れば優れた兵器搭載量や低空侵攻能力を有しており、ベトナム戦争湾岸戦争等に投入され、主に対地攻撃任務に用いられた。また、その低空侵攻能力を買われ、派生型が戦略爆撃機としてアメリカ空軍戦略航空軍団で運用された。

アメリカ空軍では1998年オーストラリアでは2010年12月に退役した。

開発

アメリカ空軍1958年F-105の後継として使用する戦闘爆撃機を計画する。当初最高速度マッハ2以上のVTOL機を希望するが技術的に困難であるとして断念。代わりに最高速度マッハ2.5以上の複座戦闘爆撃機を計画した。検討の結果、こちらの計画は実現可能とされたため、1960年10月に各メーカーに提案、12月にはTFX(Tactical Fighter Experimental)計画と命名された。

これと同時期、アメリカ海軍は長距離空対空ミサイルを装備する艦隊防空用戦闘機(FADF: Fleet Air Defence Fighter)としてF6Dを開発していたが、これをキャンセルし、仕様をあらためて再度開発を計画していた。この両計画に目をつけたマクナマラ国防長官はコスト削減のため計画の統合を命ずる。その命を受けた空海軍は共通部分についての検討を行うが、空軍の要求は低空を音速で駆け抜けることができる機体、海軍の要求は大型レーダーを装備する並列複座(前後ではなく左右に並ぶ複座)の機体であった。そのため両軍は、結果共通部分は複座、アフターバーナーターボファン双発、可変翼(VG翼)の3点のみで計画全体の統合は不可能と結論付けた。

しかしマクナマラ長官は両軍からの同意を半ば無理やり取り付けて計画の統合を推し進め、1961年10月には新たに重量制限などを設けた要求を各メーカーに提案した。これに対してボーイング、ジェネラル・ダイナミクス、ロッキードマクダネルノースアメリカンリパブリックの6社から設計案が提案され、空海軍とNASAで検討が行われた。その結果、要求を満たさないまでもボーイング案とジェネラル・ダイナミクス案がこの中では優れているとされ、再設計を行わせることとした。ちょうど同時期に正式名称が空軍型F-111A、海軍型F-111Bと決定された。

しかしその後2回の再設計を行うも要求を満たすものではないとされ、都合4回目の再設計が両社に命じられた。4回目の設計案で空海軍ともにボーイング案が優れていると判断し、採用に向けた動きが出てきた。しかし国防総省はジェネラル・ダイナミクス案の採用を決定する。これはボーイング案はジェネラル・ダイナミクス案に比べて費用の見積が杜撰であるとの、マクナマラ長官の判断による。しかしその事が理解されず、空海軍を無視した決定は議会でも問題となり、査問委員会が開かれたが、国防総省はジェネラル・ダイナミクス案のほうが共通部分が多く調達価格が低くなると主張し、一応その主張が認められた。また最終案ではジェネラル・ダイナミクス案の性能もボーイング案に近づいていた。しかしこの決定については、「テキサス州を地盤としていた当時のリンドン・ジョンソン大統領とその派閥による政治的な圧力があった」などと噂され、現在もそれを信じている者もいる[2]

こうしてジェネラル・ダイナミクス案が採用され実際に製作されることとなったが、空軍と海軍の異なる二つの要求を同時に満たそうとしたため、機体重量は予定をはるかに超えてしまった。海軍はテストを実施したものの、既にこの時点で採用の意思を失っていた。ジェネラル・ダイナミクス側はたびたび重量軽減を行ったが要求仕様を満たすには至らず、一方の海軍側は一切の妥協を行わなかった。1968年に予算が認められなかったことで、F-111B計画は最終的にキャンセルされた。

1964年10月15日に初公開された3番目の前生産機(機体番号63-9768)
可変翼を動かしてデモンストレーションしているところ

一方、空軍型のF-111Aは1964年12月21日に初飛行を行うが、フラップのトラブルのためテストは途中で打ち切られた。このトラブルは致命的な問題ではなかったため、その後のテストは予定通り続けられた。しかしながら、2回目のテストで、より高速域での飛行テストを行おうとしたところ、亜音速域でエンジンのコンプレッサーストールが発生した。当初TF30エンジンに原因があるものと思われエンジンの改修が行われたが、コンプレッサーストールは依然として発生し続けた。その後の調査の結果、エアインテイクの形状に問題があることが判明し、ジェネラル・ダイナミクスは急遽トリプル・プラウ Iと呼ばれるエアインテイクの改良型を開発、これによりF-111Aは音速を超えることに成功する。しかし、このエアインテイクでも高速域におけるコンプレッサーストールが発生したため、トリプル・プラウ Iを使用する型にはマッハ2.2(計画値はマッハ2.5)の速度制限がつけられた。この制限は、後に改良型のトリプル・プラウ IIが開発されるまで続いた。

その後、1968年にはベトナム戦争に参戦したが、1973年の撤退までに複数機を損失し、1969年12月には急降下爆撃の訓練を行っていたF-111Aの主翼が引き起こしの際外れるという事故が発生した。F-111は7ヶ月間の飛行禁止となり、その間F-111の信頼を取り戻すべく徹底した検査と改修が行われたことで、F-111AはセンチュリーシリーズF-4よりも高い安全性を得ることとなった。

特徴

夜間時のF-111のコックピット

F-111は実用機として初の可変翼アフターバーナー付きターボファンエンジン・地形追従レーダーなど当時としては最新鋭の技術を多く取り入れている。そのため初期には問題も多く発生し、失敗作とまで言われたが、その後の改修により問題点は改善された。

ただし、F-111が"戦闘”爆撃機を名乗りながらも、実際には対空戦闘能力はほとんど持ち合わせておらず、速度性能にこそ優れていたが実質的には専用の攻撃機・爆撃機でしかなかった。特にF-111が開発された1960年代後半期は、ベトナム戦争において軽快で運動性に優れたMiG製戦闘機に対し、アメリカ空軍の戦闘機が苦戦を強いられていた時期であったため、F-111が制空戦闘機としては使い物にならないという欠点が問題視された。

しかしながら、純粋な爆撃機として本機を評価すれば、その低空侵攻能力と爆弾等の搭載量は、極めて優れている。アメリカ空軍が制空戦闘機を必要としていた時期に運用が開始されたというタイミング上の不運が、本機の評価を妨げていた一因となっている。

F-111の「失敗」を踏まえたアメリカ空軍は、あらためて純粋な空対空戦闘機として大型機F-15を開発し、F-15から改良・発展型であるF-15Eが開発され、戦闘爆撃機F-111の本格的な後継となった。

可変翼

パイロンにBLU-107 デュランダルを搭載したところ。翼下の様子がよくわかる。
可変翼の動き

前述の通り、実用機として初の可変翼を採用している。これはCAS(コントロール増強システム)の導入によって可能になった。可変翼は主翼の後退角を変える事によって飛行特性まで変わってしまうため、F-111以前に試作された航空機においては、操縦性に著しい問題があった。

CASによってコンピューターによる補正を加える事により、安定した操縦を可能にしている。F-111の主翼は16度 - 72.5度(ただし前縁後退角、以下同)まで、速度に応じて任意に可動させることができる。主翼下には片側4箇所のハードポイント(重量強化点、パイロンを取り付けられる場所)があり、各種兵装の搭載が可能であるが外側2箇所ずつのハードポイントは主翼に固定されており後退角26度以上ではパイロンごと切り離す必要があったため実際には使用しづらかった。内側2つずつのハードポイントは後退角に応じてパイロンの角度が変化するようになっていたが、一番内側のハードポイントは後退角54度以上で胴体と接触してしまうため後退角をそれ以上にする場合はやはりパイロンごと切り離す必要がある。つまりすべての角度において使用可能なハードポイントは内側から2つ目のみであり実際に使用する場合もそこを中心に使用されていた。これらの理由から主翼後退角を可動させるレバーは26度と54度で一旦止まるようになっている。

また、後退角26度以上でフラップが使用できなくなり、45度以上でロール制御に使用するスポイラーの内側がロックされ、47度以上で外側がロックされる。そして、それ以上の後退角では、ロール制御は水平尾翼が行うことになるため、これらの点を境に飛行性能が著しく変わる。しかし、ハードポイントの場合と違いレバーは止まらない上、上述のCASの導入によりパイロットは飛行性能の変化に気づかない事になる。そのために後退角を45度以上にしたことにパイロットが気づかず墜落しそうになったという事例がある。これは危険なマンマシンインタフェース(あるいはユーザインタフェース)デザインの一例とされる。

ウェポンベイ(爆弾倉)

ウェポンベイ(爆弾倉)は海軍の要求で装備されたもので、もとより空軍は必要としていなかったため、実際に爆弾を搭載して使用されることは少なかった。FB-111Aを除けば、M61A1機関砲やAN/AVQ-26 ペイブ・タック照準ポッド(レーザー照射システム)などを搭載していることが多かった。

モジュール式脱出装置

脱出モジュールのシミュレーター

コクピットをそのまま飛ばすモジュール式脱出装置は射出時に乗員が外気にさらされないため超音速時でも安全に脱出することができ、着水した場合もと直接触れないため低体温症から乗員を守ることができた。操縦するパイロットの身長は通常の射出座席の場合は160cm台を最低限必要としたが、このモジュール式にした場合は席のみ打ち上げる必要がないため制限が無くなった。また、内部にサバイバルキットや食料を通常より多く搭載することもできたりと利点は多かった。

しかし座席のみを飛ばす場合に比べ全体の質量が大きいため落下速度を通常の射出座席と同レベルにするには通常より大型のパラシュートを取り付ける必要があった。またパイロットの装備が改められる等の規程変更の度に改修を要したり、定期点検の度に分解整備が義務付けられ、労力とコストを要するなどのデメリットも多かった。その為、この型式の装置を採用したのは本機のみである。

一応、軽くて強いケブラー素材のパラシュートとエアバッグを装備し着地の衝撃をなるべく和らげるようにされていたが、それでも通常より着地の衝撃は大きく乗員が背骨の圧迫骨折を起こす事態などが発生している。

地形追従レーダー

地形追従レーダー英語版(TFR:Terrain Following Radar)は低空を地形に沿って飛行する際使用されるレーダーである。このレーダーは、通常の火器管制用レーダーとは別に装備されており、自動操縦装置との組み合わせにより、F-111は自動で地形に沿って飛行することができる。飛行高度や地形追従精度は必要に応じて数種類から選択することが可能である。

トーチング(ダンプ&バーン)

トーチングを行うF-111C

F-111の良く知られた技に、燃料を空中投棄しながらアフターバーナーを使って燃料を引火させるトーチング(ダンプ&バーンともいわれる)がある。この技は、F-111の展示飛行では頻繁に行われ、シドニーオリンピック閉会式の際にも実演された。曲技などで意図的に燃料を放出し引火させる分には、特別な改造が不要であり便利であった。

ただ、この技はF-111の問題点を現すものでもある。非常時に燃料投棄をしている最中に引火すると危険であるため、燃料投棄時のエンジン出力にはアフターバーナーを使わないなどの制限を課す必要があった。

愛称

愛称は「アードバーク(Aardvarkツチブタの意)」だが、アメリカ空軍では退役直前まで公式な愛称を持たなかった。そのことから「フライングピッグ(Flying-Pig)」計画の推進者であるマクナマラ国防長官のフォード時代の「マーケッティング史上に残る大失敗」であるフォード・エドセルにちなんだ「フライング・エドセル(Flying Edsel)」、翼を前後させる可変翼の動作から「スウィンガー(Swinger)」、同様に可変翼を折りたたみナイフに見立てた「スウィッチブレイド(SwitchBlade)」、また配備当初に可変翼キャリースルーボックスの強度不足に起因する事故が連続して起きたことから「ウィドウメーカー(Widow-Maker:未亡人製造機)」など、多彩な愛称を関係者から与えられていた。


注釈

  1. ^ 戦闘爆撃機に分類される事が多いが、攻撃機に分類される場合もある。また派生型として戦略爆撃機型、開発に失敗しているが艦上戦闘機型がある。
  2. ^ ただし、戦闘での損失は敵対空火器による1機のみで、他は電子機器やエンジンのトラブルが原因であった。
  3. ^ この空爆でカダフィ大佐の末娘が死亡している。
  4. ^ F-15Eの数が少なかった当時の話であり、現在ではF-15Eがレーザー誘導爆弾を使ったミッションや地形追従飛行を用いるミッションを担当している。

出典

  1. ^ Knaack, Marcelle Size. Encyclopedia of US Air Force Aircraft and Missile Systems: Volume 1 Post-World War II Fighters 1945-1973. Washington, DC: Office of Air Force History, 1978. ISBN 0-912799-59-5.
  2. ^ a b 世界の駄っ作機 4」岡部ださく著 ISBN 4499229901
  3. ^ F-111 UPDATE Parts 1 and 2
  4. ^ Confidentialfrom R.A. Ericson, Jr. to Mr. Sipes, “Possible F-111-F Sales to Japan,” (February 14, 1972), Japan and the United States, Fiche 01512.





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