F-111 (航空機)
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運用
F-111の基本性能は高く、戦術航空軍団(TAC)だけにはとどまらず、戦略航空軍団(SAC)では戦略爆撃機として採用された。電子戦機型のEF-111Aも開発されるなど、いくつかの派生型も作られた。機体塗装は、初期には明るい灰色を基調としたアメリカ空軍色だったが、ベトナム戦争以降は迷彩塗装(いわゆる「ベトナム迷彩」)が基本となり、後年にはグレー単色となる機体が多くあった。また、一部のF-111AがNASAに引き渡され実験機として使用されたことがあった。
アメリカ空軍では一時2010年頃までF-111を使用する予定であった。しかしながら、維持費がかさむため、通常攻撃型はF-15Eなどにその任務を譲り、1996年に第27戦術戦闘航空団のF-111FがF-16C/Dと交代したことにより退役完了した。EF-111Aは1998年に後継機を待たずしてアメリカ空軍から退役した。その後、F-111を運用したのはオーストラリア空軍のみとなり、2015年から2020年頃の退役を想定していたが[3]、実際は2010年12月に退役した。
他にも、ジェネラル・ダイナミクス社は日本にF-111Fを販売したいと国務省東アジア局日本課に申し入れていたが、同課は「我々は、日本に対し本質的に攻撃的な装備を売ることは重大な誤りだと考える。F-111Fの販売は、米国が日本に攻撃的能力を有する兵器の保有を認め、現在の防衛政策を変更するよう説得する圧力として日本側に解釈される」として同意しない旨明らかにしている[4]。
型式
F-111A
F-111の初期バージョン。当初235機が計画されたが、94機はE型に変更されたため、生産数は前生産機(テスト用)などを含め158機にとどまった。後に42機がEF-111Aへと改造されている。3機の前生産機はNASAに引き渡され、1970~1980年代にかけて様々な試験をこなす実験機として使用された。
1991年に退役し、多くの機体がアリゾナ州のデビスモンサン空軍基地にあるAMARGでモスボールされた。
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F-111A前生産機
機首部とマークや文字以外塗装されていない -
機体前方から
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機体下方より
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機体後方から
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前生産機のコックピット
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Mk 82通常爆弾を投下するF-111A
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NASAの実験機として使用されたF-111A(機体番号63-9778)
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試験を行うNASAのF-111A(左と同じ機体)
1976年1月撮影。
F-111B
F-111Bは海軍向けの艦上戦闘機型で、7機が製作された。艦隊防空という任務と航空母艦運用のため形状、アビオニクスともに空軍型との相違点は多く、共通点は3割程度しかない。着艦時の前方視界確保のため機首は空軍型より約2 mも短く、逆に主翼は低速での操縦性確保のため約2 m長い。レーダーも空軍型とは違い、地形追従レーダーは装備せず、AN/AWG-9を装備し、このレーダーとの組み合わせで長距離空対空ミサイル AIM-54 フェニックスを装備する。フェニックスはウェポンベイに2発、主翼下に4発の計6発が装備可能。
当初、要求より10トン以上の重量過多となり、度々改修を重ねて重量軽減を図ったが、結局要求仕様を満たす事はできなかった。海軍側としては既にやる気を失っており、要求仕様を緩和するといった歩み寄りは一切見せなかったのである[2]。結局は重量超過を理由に空母での運用は困難と判断され、計画がキャンセルされる。後に1機のF-111B(機体番号151974)はF-14の開発データ収集に使用され、1968年7月に空母「コーラル・シー」で着艦試験を行ったが特に問題は無く、重量軽減に対する要求が過剰であった事を示している。
ただし、大型の機体のため機動性は戦闘機としては極めて低かった。つまり、先に開発していたF6Dをわざわざ計画中止にして、あらためて代替機として本機を開発した意味が小さい事を意味していた。その後開発されたF-14は、F-111Bほどでは無かったが重量級の大型機であったものの、リフティングボディ技術の導入や自動制御による可変翼の後退翼最適化などにより、機動性はそれなりに優れていた。
その後、この機体はアメリカ本国のモフェット・フィールドに移送され、NASAで航空管制システムのための風洞実験に使用され、1970年に現地で解体された。他の機体も2機が墜落事故により喪失、2機が廃棄され、現在は部品取りに使われた1機がモハーヴェ砂漠のスクラップヤードに、もう1機もモハーヴェ砂漠内のチャイナレイク海軍基地に保管されている。なお、後に主翼は後述する戦略爆撃機型のFB-111Aで用いられた。
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空母コーラル・シーにて試験を行うF-111B。
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離艦するF-111B
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着艦するF-111B
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NASAの風洞実験に使用されるF-111B
F-111C
オーストラリア空軍がイングリッシュ・エレクトリック キャンベラの後継機として導入した型。当初、オーストラリア空軍はイギリスで開発中であったTSR.2をキャンベラの後継機として導入を検討するが、TSR.2は開発中止になったため、F-111A 18機、RF-111A 6機の導入を決定した。しかしこの計画はF-111Aの機体にFB-111Aの主翼と高強度降着装置を組み合わせたF-111C 24機の導入に変更された。
F-111Cは1968年に初飛行し、オーストラリア空軍に引き渡された。しかし、オリジナルのF-111に構造上の欠点が発見されたために引渡しは一旦中止され、既に引き渡されたF-111Cも返却された。これを受け、アメリカからはF-4E 24機がオーストラリア空軍にリースされた。その後、1973年に改修されたF-111Cの引き渡しが再開され、1982年には損傷予備機としてF-111A 4機が導入され、F-111C相当の改造を行い使用されている。
1983年から1985年にかけてF-111Cのうち18機がAN/AVQ-26 ペイブ・タック・ポッドとGBU-15装備のための改修を受け、対艦ミサイルのAGM-84 ハープーン空対艦ミサイルやAGM-88 HARM対レーダーミサイルの使用も可能となった。晩年には、退役したEF-111A/F-111Dを部品取りとし、エンジンを流用するなどして延命を図っていた。F-111はアメリカ空軍からは1996年に全機が退役したため、オーストラリア空軍の装備機は21世紀に入っても使用された唯一の機体であり、更新機種のF/A-18Fの配備が始まる2010年までは使用された。
機体の塗装は一部の試験用機を除き、導入からしばらくの間はアメリカ空軍のF-111と同様に東南アジア迷彩を施していたが、F-111Gの引き渡し後はF-111Gと同様のガンシップグレー単色に変更された。
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機体側面より
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編隊飛行を行うF-111C
F-111D
アビオニクスをA型のMk IからMk IIに改修し、エンジンをTF30-P-9、エアインテイクをトリプル・プラウIIにするなどの改修が施された型。アビオニクスのトラブルに見舞われ、運用開始はF-111Eより遅れた。生産数は当初315機を予定していたが、トラブルによる価格上昇のため96機に縮小された。1992年に退役となり、デビスモンサン空軍基地のAMARGでモスボールされた。
F-111E
F-111Aのエアインテイクをトリプル・プラウIIにし、超音速でのエンジンパフォーマンスの向上を図ったバージョン。アビオニクスはECM装置を除いてA型と同様。フライ・バイ・ワイヤシステムやB-1の開発支援にも用いられた。生産数94機。
F-111F
先行バージョンの結果を反映した、最終生産型。アビオニクスをMk IIの改良型に変更し、エンジンを高出力のTF30-P-100に換装した型で、F-111シリーズ中で最も高性能な機体といえる。
他の型も幾度かの近代化改修を受けているが、F-111Fはその中でも優先的に改修が行われており、その能力を生かし実戦にも多く参加している。生産数106機。1996年7月27日に退役となった。
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Mk 82高抵抗爆弾(スネークアイ)を投下しているF-111F
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機首部
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グレー塗装のF-111F
F-111G
FB-111A 76機のうち30機から、戦略攻撃用装備を取り外して再配備した型。実戦で使用されることはなく、主に訓練用として使用された。1993年には退役し、うち15機は1994年にオーストラリア空軍に売却された。
F-111K
TSR.2の開発を中止したイギリス空軍が、キャンベラの後継機として導入を検討した型。1966年にF-111K 46機、TF-111K 4機の導入を決定するが、1968年に財政難を理由にキャンセルされ、海軍の艦隊航空隊が導入していたブラックバーン バッカニアを導入した。製作途中だったK型2機分のエアフレームは他の機体に流用された。なお、F-111KとTF-111Kという名称であるがこれはアメリカ側が指定した型式であり、同じくアメリカ海軍のF-4KとF-4MがそれぞれファントムFG.1・ファントムFGR.2とイギリス軍の機体に準じた名称に改められているため配備された場合同じ変更があった可能性が高い。
FB-111A
1960年代 - 1970年代、ソビエト連邦の防空網は発達してきており、それ以前に構想されたような高空侵攻を行えば、レーダーに発見され地対空ミサイルや戦闘機の餌食となるのは明らかであった。そのため戦略航空軍団では、レーダーに捕捉されない地表すれすれの低空を飛行させて敵地に侵入し、攻撃を行うことを考えた。
しかし当時使用されていた戦略爆撃機は、いずれもそのような使用方法を想定したものではなかったため、性能的には不十分であった。そこで戦略航空軍団では、地形追従レーダーを装備し低空侵攻能力に長けたF-111の戦略爆撃機仕様を開発し、運用することを計画した。F-111Aからの主な改修点は主翼とエンジンで、主翼は航続距離延伸のためにF-111Bで使用されていた長い主翼を装備し、エンジンはTF-30-P-7に換装された。
この計画に対し1966年には開発予算が認められ、マクナマラの推奨により210機の大量生産が決定されたが、後にB-1Aの開発が決定されたため、FB-111Aはそれまでのつなぎの機体とされてしまい、76機に削られてしまった。しかしそのB-1Aの開発がカーター大統領の命令により中止となったため、ジェネラル・ダイナミクスは代替機としてFB-111Aの改良型のFB-111B/C/Gなどを提案してアプローチするが、採用に至らなかった。次代のレーガン大統領によりアメリカが軍拡路線に転ずると、再び戦略爆撃機開発の機運が高まり、ジェネラル・ダイナミクスは再度のプランとしてFB-111H(後述)を提案したが、B-1Bとの競争に敗れ、採用に至らなかった。
FB-111Aの主な核装備は射程最大220 kmの空対地ミサイルAGM-69A SRAM(威力170~200キロトン)、無誘導核爆弾の B43 (70 - 1,450キロトン)、B61(100 - 500キロトン)のいずれか6発でウェポンベイに2発、翼下に4発装備する。場合によっては翼下に燃料タンクを装備し核兵器はウェポンベイのみに装備することもある。またB28 、B57 、B83なども装備可能である。
1991年にFB-111Aは戦略任務から引退したが、76機のうち30機は戦略爆撃用の装備を撤去し、F-111Gとして再配備された。
FB-111B/C/H/G
1977年6月にカーター政権下の軍縮によって開発中止されたB-1Aの代替として、ジェネラル・ダイナミクスが提案した型が、FB-111B/Cである。実際に製作はされていない。
計画では、FB-111Bは、FB-111Aから胴体を3 m延長して燃料と兵器搭載量を増大させ、エンジンはB-1A用に開発されたGE F101-GE-102ターボファンエンジン2基(推力14,060kg)を搭載し、アビオニクスも最新のものに換装する。この改造により航続距離と最大離陸重量が飛躍的に増大する予定であった。同様の改造をF-111Dに対して行ったものがFB-111Cであり、加えて翼長をFB-111系統と同程度まで延伸する。結局このプランは採用されなかった。
レーガン政権下においても同様のプランが提案され、既存のFB-111A 65機をH型に改修し、80機を新造することを65億ドルで提案したが、B-1Bとの競争に敗れ、採用されなかった。
EF-111A
EF-111AはF-111を元に開発された電子戦機。正式な愛称は「レイヴン(Raven:ワタリガラスの意)」。非公式な愛称として「スパークバーグ(Spark Vark)」や「エレクトリック・フォックス(Electric Fox)」ともいわれることがある。
1977年3月10日に初飛行し、1981年に運用が開始された。生産された42機全てがF-111Aからの改造で、新規での製造は行われていない。
空軍唯一の電子戦機として湾岸戦争などで活躍したが、維持費がかさむため1998年に退役した。2008年時点では国立アメリカ空軍博物館をはじめ、4機が展示保存されている。
RF-111A
F-111Aに偵察能力を付与した俗に言う戦闘偵察機仕様。オーストラリア空軍も導入する予定だったが開発されずに終わった。
RF-111C
オーストラリア空軍の使用する偵察機型。F-111Cと同時に導入されるはずだったRF-111Aが開発中止となったため、F-111Aのウェポンベイに偵察キットを搭載し偵察機としたバージョン。それ以外の戦闘能力はF-111Cと同等である。
性能・主要諸元
- 乗員:2名(操縦士1名 WSO(爆撃手) 1名)
- 全長:22.40 m
- 全幅
- 後退角16度:19.20 m
- 後退角72.5度:9.74 m
- 全高:5.22 m
- 翼面積
- 後退角16度:61.07 m2
- 後退角72.5度:48.77 m2
- 空虚重量:21,410 kg
- 最大離陸重量:45,360 kg
- 燃料容量:
- 発動機:プラット・アンド・ホイットニー製 TF-30-P-100(A/B付きターボファンエンジン)×2
- 推力:111.57 kN
- 11,385 kgf ×2
- 巡航速度:
- 最大速度:マッハ 2.5(A/B使用時)
- 離着陸距離:離着陸共に約910 m
- 航続距離:約4,700 km(最大搭載量、内部燃料のみ)
- 戦闘半径:
- 実用上昇限度:18,288 m
- 固定武装:必要に応じてM61A1バルカン×1(2,084発)
- 兵装:11,340 kgまで搭載可能。
- AIM-9 サイドワインダー×2
- ハープーン×4
- B61戦術核爆弾×4
注釈
出典
- ^ Knaack, Marcelle Size. Encyclopedia of US Air Force Aircraft and Missile Systems: Volume 1 Post-World War II Fighters 1945-1973. Washington, DC: Office of Air Force History, 1978. ISBN 0-912799-59-5.
- ^ a b 「世界の駄っ作機 4」岡部ださく著 ISBN 4499229901
- ^ F-111 UPDATE Parts 1 and 2
- ^ Confidentialfrom R.A. Ericson, Jr. to Mr. Sipes, “Possible F-111-F Sales to Japan,” (February 14, 1972), Japan and the United States, Fiche 01512.
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