豊臣秀次
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秀次切腹の主な連座者
秀次の切腹前に亡くなった家臣は、連座というよりも、主人の身代わりにその罪と責任を被る意味合いがある名誉ある死であるべきだが、打ち首は罪人を意味する。また、秀次本人がその後に切腹していることから、先に腹を斬った家臣達の死が無駄になり、さらに秀次の家族にまでも罪が及ぶなど、チグハグな刑罰の執行が行われたことが本件の謎とされる部分である。刑死したものが多数いるが、これとは別に自害・殉死した者も多い。しかし富田高定の自害失敗後、秀吉により濫りに殉死を試みた者は三族を誅すとの命令が出された。
家臣
- 打ち首または切腹
- 切腹
- 前野長康 - 秀次後見。中村一氏に預けられ、賜死。蟄居後に独断で自害したとする話もある。
- 前野景定 - 家老。賜死。
- 白江成定 - 家老。自害。京都四条の貞安寺にて。妻も四条道場で自害。
- 熊谷直澄(直之) - 家老。自害。嵯峨二尊院にて。
- 粟野秀用 - 家老。自害/または斬首。粟田神社前の鳥居小路にて。
- 一柳可遊 - 家老。徳川家康に預けられ、賜死。
- 服部一忠 - 家老。上杉景勝に預けられ、賜死。
- 渡瀬繁詮 - 家老。賜死。秀次の弁明を行ったため。
- 日比野下野守 - 尾張清洲奉行。自害。北野天満宮の付近にて。側室の於和子の前の父。
- 山口少雲 - 側室のお辰の方の父、百丸の祖父。自害。日比野と共に北野天満宮の付近にて。
- 丸毛不心斎[注釈 43] - 妻が側近。相国寺門前にて自害。妻の東殿も賜死。
- 羽田正親 - 重臣。賜死。豊臣秀長の旧臣。
- 明石則実 - 賜死。黒田孝高の従兄弟。
- 本多正氏 - 重臣。賜死。元徳川家臣。羽田正親の推挙で秀次に仕えた。正親とともに殉死した説がある。
- 瀬田正忠 - 賜死。千利休の高弟。
- 殉死
大名・公家・町人
- 改易・流罪、追放
- 三好吉房 - 改易・讃岐国に流罪。秀吉死後に赦免。秀次の実父。
- 大島親崇 - 妻が吉房の妹。秀次側室であった娘のお国が死罪となり出家。
- 木下吉隆 - 改易・流罪。島津義弘に預けられ、配流先の薩摩国坊津で自害。
- 浅野幸長 - 能登国に流罪。前田利家や徳川家康の取り成しにより早々に復帰。
- 増田盛次 - 旧臣。大和郡山城にて蟄居、のちに復帰。
- 淡輪重政 - 改易。妹の小督局はお菊の母。
- 里村紹巴 - 近江国園城寺(三井寺)に蟄居。連歌師。
- 曲直瀬玄朔(延寿院) - 常陸国流罪、のち赦免。医師。
- 荒木元清 - 流罪のち赦免。馬術家。
- 菊亭晴季 - 右大臣。越後国流罪、翌年赦免。娘の一の台は賜死。
- 土御門久脩 - 土御門家領地の若狭国名田庄に流罪(隠遁)、後に勅命により赦免。安倍晴明末裔の陰陽頭。
- 六角義郷 - 改易[注釈 88]。
- 吉田好寛 - 逃亡、改易。後に結城秀康家臣。
- 八田友治(小田友治) - 逃走、改易。後に結城秀康家臣。
- 伊丹正親 - 側室・於菊の前の父。追放。
- 多羅尾光俊、光太 - 改易、後に徳川氏旗本。
- 蟄居・叱責など
打ち首にされた眷族
- 公達
- 妻妾など[78]
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難を免れた者
- 有力大名
- 浅野長政 - 秀吉の勘気を蒙るが、既に子の幸長に家督を譲っていたため具体的な処分はなし。後に一時期、五奉行として復帰。
- 毛利輝元 - 俗説であるが、前述の石田讒言説では、事件の発端となった密告を行ったように書かれた。秀次から多額の借金は事実だが事件との関連は(俗書以外には)見つかっていない。特段、処罰も受けなかっただけでなく、『吉川家文書』をみると秀次切腹の理由すら教えてもらえなかったようである。
- 最上義光[注釈 91]、細川忠興、伊達政宗 - 最上家、細川家、伊達家らは、秀次と縁が深かったが、徳川家康の取り成しで改易などの処分からは免れた。
- 与力大名等
- 若江八人衆
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