豊臣秀次 秀次切腹の主な連座者

豊臣秀次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/02 14:52 UTC 版)

秀次切腹の主な連座者

秀次の切腹前に亡くなった家臣は、連座というよりも、主人の身代わりにその罪と責任を被る意味合いがある名誉ある死であるべきだが、打ち首は罪人を意味する。また、秀次本人がその後に切腹していることから、先に腹を斬った家臣達の死が無駄になり、さらに秀次の家族にまでも罪が及ぶなど、チグハグな刑罰の執行が行われたことが本件の謎とされる部分である。刑死したものが多数いるが、これとは別に自害・殉死した者も多い。しかし富田高定の自害失敗後、秀吉により濫りに殉死を試みた者は三族を誅すとの命令が出された。

家臣

打ち首または切腹
切腹
殉死
  • 山本主殿/主殿助 - 切腹。享年18。秀次が介錯。
  • 山田三十郎 - 切腹。享年18、秀次が介錯。
  • 不破万作 - 切腹。享年18、秀次が介錯。
  • 虎岩玄隆 - 僧侶。高野山に同行、殉死。秀次が介錯。
  • 雀部重政 - 三好家旧臣。秀次の介錯を行ったのち追腹。服部吉兵衛が介錯。千利休の介錯を行ったともされる人物。

大名・公家・町人

改易・流罪、追放
蟄居・叱責など

打ち首にされた眷族

公達
妻妾など[78]

難を免れた者

有力大名
  • 浅野長政 - 秀吉の勘気を蒙るが、既に子の幸長に家督を譲っていたため具体的な処分はなし。後に一時期、五奉行として復帰。
  • 毛利輝元 - 俗説であるが、前述の石田讒言説では、事件の発端となった密告を行ったように書かれた。秀次から多額の借金は事実だが事件との関連は(俗書以外には)見つかっていない。特段、処罰も受けなかっただけでなく、『吉川家文書』をみると秀次切腹の理由すら教えてもらえなかったようである。
  • 最上義光[注釈 91]、細川忠興、伊達政宗 - 最上家、細川家、伊達家らは、秀次と縁が深かったが、徳川家康の取り成しで改易などの処分からは免れた。
与力大名等
若江八人衆







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