赤松則祐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/09 00:27 UTC 版)
赤松 則祐(あかまつ のりすけ/そくゆう)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将・守護大名。室町幕府禅律方、播磨国・備前国・摂津国守護。赤松氏6代当主。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 今井尭ほか編 1984, p. 292.
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 13頁。
- ^ a b c d e f g 高坂好「赤松則村」『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社、1994年。
- ^ 高坂 1970, pp. 13–33.
- ^ 濱田 2009, pp. 27–35.
- ^ 高坂 1970, pp. 47–53.
- ^ 高坂 1970, pp. 71–85.
- ^ 濱田 2009, pp. 39–43.
- ^ 濱田 2009, pp. 50–54.
- ^ 高坂 1970, pp. 85–86.
- ^ 濱田 2009, pp. 54–61.
- ^ 高坂 1970, p. 144.
赤松則祐(あかまつ そくゆう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 21:44 UTC 版)
「バンデット -偽伝太平記-」の記事における「赤松則祐(あかまつ そくゆう)」の解説
円心の三男。父の命で大塔宮の側近となり成長。石を兄貴と慕う。通称、三郎。
※この「赤松則祐(あかまつ そくゆう)」の解説は、「バンデット -偽伝太平記-」の解説の一部です。
「赤松則祐(あかまつ そくゆう)」を含む「バンデット -偽伝太平記-」の記事については、「バンデット -偽伝太平記-」の概要を参照ください。
赤松則祐と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 赤松則祐のページへのリンク