潮岬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/01 18:17 UTC 版)
潮岬 | |
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潮岬南端部、クレ崎
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場所 | ![]() 和歌山県串本町 |
座標 | 北緯33度25分59秒 東経135度45分45秒 / 北緯33.43306度 東経135.76250度座標: 北緯33度25分59秒 東経135度45分45秒 / 北緯33.43306度 東経135.76250度 |
沖合水域 | 太平洋(フィリピン海) |

国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。1975年。

潮岬(しおのみさき)は、和歌山県東牟婁郡串本町に属し、太平洋(フィリピン海)に面する本州最南端の岬。
概要
潮岬は、本州最南端の「クレ崎」を含み、紀伊半島や和歌山県の最南端でもある。吉野熊野国立公園および南紀熊野ジオパークの一角を成し、東にある紀伊大島とともに、熊野地方を代表する観光地となっている。また、日本でも有数の台風銀座であり、台風の位置を示す指標にされることが多い。1959年(昭和34年)に東海地方を中心に甚大な被害を出した伊勢湾台風も、潮岬の西方から本州に上陸した[1]。
地理
- 元々は島であったが、河口から流出する砂礫が沿岸流によって運搬・堆積して砂州が形成され、陸繋島となっている[2]。里(鹿児島県薩摩川内市)、函館(北海道函館市)並んで日本三大トンボロに数えられることもある[3]。
- 標高 60 - 80 mの平坦な隆起海食台地で、2段の海岸段丘が発達している[2]。海岸部は 40 mを越す海食崖である。
- 複雑な溶岩の動きによって形成された火成岩体であり、その様子を観察できる[2]。
- 南西端に潮岬灯台が立つ。周辺には潮岬観光タワーや、「望楼の芝」として知られる芝生広場、磯釣りに向いた岩場[4]、「潮風の休憩所」(串本町からオーストラリアに渡った移民についての資料館を兼ねる)[5]などがある。
- 東方には紀伊大島がある。くしもと大橋が1999年(平成11年)に開通し、本州と陸路でつながった。
- 潮岬郵便局は本州最南端の郵便局である。
歴史
- 1873年(明治6年)9月15日 - 潮岬灯台が開設される。
- 1936年(昭和11年)2月1日 - 吉野熊野国立公園に指定される。
- 1959年(昭和34年)9月26日 - 伊勢湾台風が上陸する。
- 1960年(昭和35年) - 和歌山県が潮岬休憩所を建設[6]する。
- 2014年(平成26年) - 潮岬休憩所の老朽化に伴い、環境省が和歌山県に設計工事を委託して新たに「本州最南端 潮風の休憩所」[6]が開業する。
ギャラリー
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潮岬からの眺望
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潮岬観光タワー
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芝生の広場
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本州最南端を示す石碑
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本州最南端を示す石碑
選定
交通
鉄道・バス
道路
- 国道42号潮岬西入口交差点から和歌山県道41号潮岬周遊線を経由。
- 国道42号潮岬東入口交差点から和歌山県道40号樫野串本線、県道41号潮岬周遊線を経由。
- (潮岬西入口から入る方が若干近いが、潮岬東入口から入る方が景色がよい。潮岬西入口と潮岬東入口は互いに見える程近い)
脚注
参考文献
- トライ社 『かごしまよかとこ旅』 鹿児島県観光交流局観光課 2010年 ISBN 9784990424213
関連項目
- 日本の端の一覧
- 大間崎 - 本州最北端の岬(青森県下北郡大間町)
- 魹ヶ崎 - 本州最東端の岬(岩手県宮古市)
- 毘沙ノ鼻 - 本州最西端の岬(山口県下関市)
- 百選
- 紀伊半島
- エルトゥールル号遭難事件
- ノルマントン号事件
- 航空母艦「信濃」-1944年(昭和19年)11月29日 、米海軍潜水艦「アーチャーフィッシュ」の雷撃により被雷、潮岬南東48kmの地点で転覆沈没
外部リンク
潮岬と同じ種類の言葉
- >> 「潮岬」を含む用語の索引
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