極真会館
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百人組手
分裂騒動
大山倍達没後と継承争い、その後
1994年4月26日、極真会館の創始者である大山倍達が逝去。
絶対無比のカリスマ大山を喪失した極真会館では没後間もなく、その後継の座を巡っての主導権争いが始まった。やがて、団体幹部や支部長、それに準ずるクラスの人物、大山の遺族との間で、団体は四分五裂の様相を呈してゆく。その後も数多くの人物による分派や独立も続き、「極真」という商標も奪い合いとなり、これらは訴訟係争という事態に繋がっていた。その他の指導者や一時代を築いた有力選手にも、知名度が上がると共にこのような政治的な争いに巻き込まれることを嫌って「極真」から離れ、独自の空手道を求めていった者が少なくない。
1994年
大山逝去の翌々日、極真会館の審議(評議)委員長であった梅田嘉明が「大山総裁は遺言で松井章圭を次期後継者に指名された」と発表。5月10日に、梅田を財団法人極真奨学会理事長、松井を館長、郷田勇三を最高顧問、盧山初雄を最高顧問・主席師範、支部長協議会の会長を西田幸夫[注釈 1]とし、新体制による運営が始まった。6月に入り、遺族が記者会見を行い「遺言に疑問があるので法的手段にでる」と発表し、本葬時にも抗議活動を行った。国内の支部長では9月迄に高木薫ら計5人が、新体制に異を唱えて離れた。
1995年
2月に高木薫ら5人の支部長が大山智弥子未亡人を館長とし遺族派を結成する。
4月に「遺言書は無効」と家庭裁判所の審判が下ると、松井章圭体制から西田幸夫や三瓶啓二ら35人の支部長がいる支部長協議会派が離れた。この国内の分裂は海外にも波及し、世界各地で支部の取り合い、選手の引き抜きに発展した。松井派は中村誠や山田雅稔ら12人にまで減ったが、半年後には川畑幸一、水口敏夫、廣重毅ら9人が支部長協議会派から復帰した。
8月には智弥子館長を頭とし支部長協議会派と遺族派が合流し、大山派を名乗る。同年から各種大会が松井派と大山派に分裂して開催されるようになった。
1996年以降
松井派と大山派は、それぞれの機関誌である『ワールド空手』と『極真魂』誌上で数年間、双方の正当性を主張しあっていた。1997年3月17日に遺言書の有効性を否定する判決が最高裁で確定した。そののち大山派は支部長協議会派と遺族派に再び割れる。協議会派は1999年に西田幸夫と増田章が離脱し、三瓶啓二が代表に就いた[19]。さらに理事の役職にあった田畑繁、七戸康博、桑島靖寛や長谷川一幸、大石代悟らは松井派との商標権争いで「三瓶や副代表の緑が主張する『自分たちこそ正当な極真会館である』という方針では勝てない」と異を唱えて離脱し[20]、2001年に極真連合会を発足させる。前年に三瓶派は代表選出で緑健児に代わり[21]、緑派となっていたが、松井派との商標権争いで負け[22]、新極真会と名称を変更した。遺族派は松島派、手塚グループ、極真会館 宗家に分かれる。
一方、松井派は株式会社化し、団体名称を「株式会社国際空手道連盟極真会館」と刷新したが、こちらも一層の分裂が続いている。2002年に極真奨学会の梅田嘉明が「大山総裁の遺言である新会館建設を一向に進める気が見えない」と松井章圭を批判して関係を絶つと、同年11月に盧山初雄や地区本部長を務めていた廣重毅・湖山彰夫らも去り、彼らは極真館を興し、梅田と一緒に休眠していた極真奨学会を復活させた。2005年には水口敏夫・河西泰宏らが、2006年には浜井識安が松井派から離れ、極真奨学会の協力団体になった。2008年、木村靖彦が全日本極真連合会へ移り、2010年8月には国際委員会委員で欧州地区担当のルック・ホランダーが傘下の支部と共に離脱した[23]。2016年には兵庫・大阪南支部支部長の中村誠が脱退した[24]。1995年に始まった松井派から独立した選手や支部長の黒澤浩樹、小笠原和彦、八巻建志、数見肇、岩崎達也、高久昌義、ニコラス・ペタス、堀池典久、高尾正紀、野地竜太、田中健太郎、高見成昭・高見彰、高橋佑汰、成嶋竜らは極真を名乗らず、それぞれ自派を発足している。2022年に独立していた八巻が復帰したものの[25]、フランシスコ・フィリォとグラウベ・フェイトーザが除名された[26]。
松井派、大山宗家、新極真などは、自らが大山の極真空手の唯一の正当後継であると主張しており、他の極真諸派の存在を認めなかったり、認めていても消極的である。それに対して社団法人極真会館や財団法人極真奨学会は、他の極真カラテ諸派の存在を認めようとする団体である。
極真会館関連の商標を巡って、極真宗家、連合会、極真館らはそれぞれ松井派と係争中であったが、2010年に極真会館 宗家の商標登録が確定した。しかし、2017年5月に特許庁は、審判で「出願は他の事業者の活動を妨害する不正な目的」と判断、登録は無効となった[27]。
その後2019年になり、世界全極真の長谷川一幸が大山喜久子との話し合いの結果、商標を譲り受ける形となり、生前の大山から認可を受けた約20名の支部長と極真会館支部長連合会を設立し、喜久子から譲り受けた商標を共同で管理して行くこととなった[28]。世界総極真は極真会館関連の商標を単独で出願したため、独自に大山喜久子側と裁判を行なっていたが[28]、大石を含めた話し合いにより、支部長連合会と大石代悟個人で商標を共同管理をして行くこととなった[29]。
現在の状況
極真系の主な会派・団体。以下、全日本大会・全世界大会上位入賞者や大山倍達体制での支部長・分支部長などが分派した団体のみ。
- 極真会館松井派(松井章圭)
- 極真会館 宗家(大山喜久子)
- 極真大山空手(津浦伸彦)
- 新極真会(緑健児)
- 極真空手 清武会(西田幸夫[注釈 1])
- 全日本極真連合会[30](田畑繁)
- IBMA極真会館 増田道場(増田章)
- 極真会館 松島派(松島良一)
- 極真会館 手塚グループ(森義道)
- 極真会館 安斎派(安斎友吉)
- 極真館・極真奨学会(岡崎寛人)
- 極真会館 水口派(水口敏夫)
- 極真会館 浜井派(浜井美香)
- 世界総極真(大石代悟)
- 極真会館 中村道場(中村昌永)
- 極真拳武會(金子雅弘)
- ワールド極真会館(竹隆光)
- 世界全極真(纐纈卓真)
- 極真会館支部長会[31][32](長谷川一幸)
極真会館から派生・独立した団体
全日本大会・全世界大会上位入賞者や大山倍達体制の支部長・分支部長などが独立し、創設した団体のみ。
- 目白ジム(黒崎健時)
- 誠道塾(中村忠)
- 逆真会館(山崎照朝)
- 極真武道会(ジョン・ブルミン)
- 佐藤塾(佐藤勝昭)
- 芦原会館(芦原英幸)
- 正道会館(石井和義)
- 士道館(添野義二)
- 真樹道場(真樹日佐夫)
- 大道塾(東孝)
- 国際大山空手道連盟(大山茂・大山泰彦)
- 拳眞塾(大川宏)
- 徹武館(田原敬三)
- International Federation of Karate(スティーブ・アニール)
- 岸空手道場(岸信行)
- 円心会館(二宮城光)
- ドージョー・カマクラ(ジェラルド・ゴルドー)
- 勢和会(アデミール・ダ・コスタ)
- 聖心館(黒澤浩樹)
- 創天会(小笠原和彦)
- 竹山道場(竹山晴友)
- 三浦道場(三浦美幸)
- 八巻空手(八巻建志)※2022年、松井派に復帰した[25]。
- 数見道場(数見肇)
- 沖縄古伝空手剛毅會(岩崎達也)
- ニコラス・ペタス道場(ニコラス・ペタス)
- 飛鳥道場(池田雅人)
- 究道会館(堀池典久)
- 実戦空手道 心温塾(吾孫子功二)
- 野地道場(野地竜太)
- 錬空武館(高久昌義)
- 空手道 高見空手(高見成昭・高見彰)
- 空手道 高尾道場(高尾正紀)
- 至誠空手道場(田中健太郎)
- 日本空手道 高橋道場(高橋佑汰)
- 葉隠塾継代 空手道 成嶋道場(成嶋竜)
- ^ a b c 第1回全日本選手権から第6回まで連続出場し、第6回全日本選手権で4位に入賞した。現在は国際武道連盟・極真空手 清武会の師範である。
- ^ 総本部所属。第20回全日本選手権準優勝・第8回全日本ウエイト制重量級3位・第5回全世界選手権6位。身長175センチメートル、体重90キログラム。サウスポーからの下突きと鎖骨を狙う正拳突き・前蹴り・マサカリキックと呼ばれた外回し蹴りを得意とした。
- ^ 身長191センチメートル・体重100キログラム。北海道支部所属で高木薫の一番弟子。1983年・1984年北海道選手権優勝。第1回オープントーナメント全日本ウエイト制重量級3位・第4回全世界選手権ベスト16・1990年全アジア選手権3位・第22回全日本選手権4位・第5回全世界選手権代表。長身を生かした上段回し蹴り、かかと落とし、膝蹴りを得意とした。現在は新極真会北海道支部外舘道場師範である。
- ^ 試割り用の杉板は、当時の新聞「日刊観光」では2.4センチメートルとあるが、「日刊スポーツ」では2.8センチメートルと表記されている。
- ^ 親指を起こして、反対の小指の根元からかかとにかけての足の外側部分。組手時には横蹴りで使用される。
- ^ オーストラリア支部長。ハワード・コリンズと同時期に数か月間、本部道場の内弟子となり、修行していた。現在は極真会館 松島派に所属している。
- ^ 当時の極真会館全米選手権のチャンピオンであり、第1回全世界選手権では最強の外国人選手と云われた。黒人特有のバネを生かしたヒット・アンド・アウェイの戦法で、突き・蹴りとバランス良く攻撃してきた。3回戦ではイスラエルの100キログラムで柔道参段でもあるギドン・ギダリーを上段後ろ回し蹴りで一本勝ち。4回戦では若きテクニシャンの東谷巧を破り、破竹の勢いで勝ちあがってきた。準々決勝で盧山初雄と対戦し、延長1回で判定負けしたが、7位入賞した。現在は誠道塾師範を務めている。
- ^ 1971年7月2日生まれ。カナダモントリオール出身。1990年・1991年カナダ大会優勝。この時点でキャリア5年だが、同年の第5回オープントーナメント全世界空手道選手権大会のカナダ代表として出場。身長188センチメートル・体重128キログラムの巨漢でありながら、軽快なフットワークとサウスポーからの突き、上中下段回し蹴りで一本勝ちを奪い、勝ち上がっていった。特に岩崎達也との対戦では、岩崎の右上段後ろ回し蹴りに対して、カウンターの左上段後ろ回し蹴りで一本勝ちを奪った。その瞬間、会場が一瞬シーンとなり、大歓声が沸くほどの見事な勝利だった。準決勝では増田章と対戦。増田の左上段回し蹴りや右後ろ回し蹴りを顔面にヒットされたり、右中段回し蹴りで脇腹に攻撃を受け、正拳突きを鳩尾(みぞおち)に決められ、下を向いて動きが止まるなど自分のペースで試合できなかったが、延長2回まで粘り、惜敗した。3位決定戦では黒澤浩樹に破れ、4位入賞を果たした。その後、1992年米国国際スーパーヘビー級優勝・1994年米国国際優勝の成績を収めた。分裂騒動が起きた時には、政治的問題に巻き込まれないように極真会館を脱会する。その後、キックボクシングに転向、国際大山空手道連盟に所属し、バーリ・トゥードにも参加したり、K-1へ参戦したりした。
- ^ 後に『現代カラテ』→『現代カラテマガジン』と誌名が変わり、真樹日佐夫が編集長になった。
- ^ 『月刊フルコンタクトKARATE別冊 - 大山倍達と極真の強者たち』 福昌堂、1995年、57頁。
- ^ a b c 高木薫 『わが師大山倍達』 徳間書店、1990年、16 - 17頁、54 - 62頁。
- ^ a b 「第2章 - 再検証極真ジム」『極真外伝〜極真空手もう一つの闘い〜』 ぴいぷる社、1999年、76 - 91頁、93頁、101頁、104頁、108頁。
- ^ a b 『ゴング格闘技』 日本スポーツ出版社、3月8日号、1996年、52 - 53頁。
- ^ a b c 『新・極真カラテ強豪100人(ゴング格闘技1月号増刊)』 日本スポーツ出版社、1997年、72頁、78 - 79頁、85頁、105頁、114 - 119頁、150 - 151頁、164 - 165頁。
- ^ 「<マラソン座談会> 数々の秘話とエピソードで綴る全日本強豪伝 第1回~第11回大会編 『第1回~第2回 山崎、添野、長谷川の三羽烏時代』」『現代カラテマガジン』、真樹プロダクション、1980年10月。
- ^ a b c d 「判定・試し割り」『第5回オープントーナメント全日本空手道選手権大会プログラム』、財団法人極真奨学会・極真会館、1973年。
- ^ a b c d 「◆技ありの導入」、52頁。
- ^ a b c d 「テレビ放映開始」、50頁。
- ^ a b c 「ゴング格闘技12月6日号増刊」『極真カラテ強豪100人 - BATTLE SERIES Vol.9』 日本スポーツ出版社、1994年、45頁、123頁、125頁。
- ^ 小宮極次郎「あわや外国人が全日本王者に? ◆試割りについて」『フルコンタクトKARATEマガジン』第8巻、武道ユニオン、〒1740063 板橋区前野町2-31-9、2016年11月1日、69頁。
- ^ 「極真の歴史 最強の奔流」『極真カラテ総鑑』(初版)株式会社I.K.O. 出版事務局(原著2001年4月20日)、57, 60頁頁。ISBN 4816412506。
- ^ a b 「ヨルダン王室の愛弟子達来たる フセイン国王王妃一行極真会館を御訪問」『現代カラテ』第15巻第52号、1970年8月。
- ^ 極真館吉川支部の鈴木浩平 「極真館吉川支部→思い出の写真 →昭和47年(1972)スペイン皇太子来日 - 迎賓館。
- ^ 佐藤勝昭 『王道の空手』 講談社、1987年、245 - 248頁。
- ^ 『新・極真カラテ強豪100人(ゴング格闘技1月号増刊)』 日本スポーツ出版社、1997年、114頁、150 - 151頁。
- ^ a b c 「特集●郷田勇三 - 空手行路四十年」『格闘Kマガジン』 ぴいぷる社、3月号、2001年、12頁。
- ^ 「国際空手道連盟極真会館 - 年度別昇段登録簿 - 国内」『極真カラテ総鑑』 株式会社I.K.O.出版事務局、2001年、62頁。
- ^ 「協議会派から緑派へ」、170-171頁。
- ^ 「緑派の分裂と連合会発足」、187-190頁。
- ^ 「新極真会?」、182頁。
- ^ 「新極真会?」、184-186頁。
- ^ ルック・ホランダー; Antonio Pinero (2010年8月13日). “News” (英語). 2010年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月23日閲覧。
- ^ 中村誠支部長辞任に関する文書 - 平成28年(2016年)12月4日
- ^ a b 「”100人組手&世界王者”八巻健志が20年ぶり極真に復帰「実戦で使える本物の空手を」」『イーファイト』、2022年11月3日。2022年12月19日閲覧。
- ^ 「【極真会館】元世界王者でK-1でも活躍したフィリォとグラウベが除名処分に」『イーファイト』、2022年12月11日。2022年12月19日閲覧。
- ^ 商標無効で再審開始決定 「極真会館」使い空手道場
- ^ a b 極真会館商標の過去から現在について
- ^ 極真関連の商標権について
- ^ 極真会館について
- ^ 極真会館支部長連合会設立のご報告
- ^ (一社)極真会館支部長会が始動
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