校友会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/02 14:58 UTC 版)
概要
旧制中学校・高等女学校・実業学校・旧制高校・旧制専門学校・大学などでは課外活動があった。その上位組織として校友会が存在した。一般的に、校友会は、生徒と教職員が会員。学校長が会長であった。部活動の部長は教員が務めた。
戦後は生徒・学生が会長の生徒会・学生自治会となった。ただし戦前も自治組織が少なからず存在した。
旧制高校においては応援団も校友会に位置づけられ、対抗競技の際に原則として校友会員によって組織されるのが一般的だった[1]。
組織
学校により差異がある。生徒会より多様である。
会員
役員
役員には学校側役員、生徒役員、学校側からも生徒からも選ばれる役員があった。一般に学校長が会長を務めた。以下要職を教師が務める例が多かった。
一方、生徒選出役員の選出母体は、各部活動から選ぶ(委員、理事、部長等の名称)、各クラスから選ぶ(委員、評議員、幹事等の名称)、全校もしくは上級生から選ぶ(委員、評議員、幹事、理事、書記、会計、総代等の名称)場合とがあり、複数の生徒役職がある学校も多かった。生徒の互選・選挙もしくは教師の指名で数名ずつか一名ずつ選ばれた。部活動からの場合の責任者(部長等)は教師でその下に生徒の部の役員(委員等)をおく場合が一般的だった。一部学校では生徒が責任者(部長)であった。
生徒役員は学校側役員の指揮の下事務を行うと規定される学校だけでなく、役職自体が直に意思決定できる規定を設けた学校もあった。学校によってはある役職が実質的に現在の生徒会長に近い役割を果たした学校もあった。ごく例外的に会長が生徒である例もあった。
決議及び協議機関
通例、役員会、委員会、評議会などの名称の役員会が設けられていた。20/30校の旧制中学で規定がある[2]。役員会に生徒役員が参加していたと市山は見ている。一切の事項から一部事項(各部に対する予算金額の決定・協議・決算報告等)を決めた[3]。役員会でも校長の権限が強かったと見ている[2]。
総会は少数の学校であった。10/30校の旧制中学で規定している[2]。
維持
会費を支払った。
クラブ活動
現在の部活動と同様の活動が行われていた。
運動会
- ^ 加賀秀雄, 鈴本敏夫, 「011110 旧制高等学校における応援団の組織化の実相とその歴史的役割について(1.体育史,一般研究)」『日本体育学会大会号』 第36回(1985), セッションID: 011110, 日本体育学会, NAID 110007676584, doi:10.20693/jspeconf.36.0_85 011110。
- ^ a b c 市山雅美「旧制中学校の校友会における生徒自治の側面」『東京大学大学院教育学研究科紀要』第43号、東京大学大学院教育学研究科、2004年、1-13頁、doi:10.15083/00031427、ISSN 13421050。
- ^ 『教育学辞典』、岩波書店、1936年。
- ^ 駒場祭が生まれるまで
- ^ a b 桑原三二「旧制中学校の校友会(学友会)」『中等教育史研究』第3巻、三冬社、1988年。
校友会と同じ種類の言葉
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