松田竹千代 松田竹千代の概要

松田竹千代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/28 19:46 UTC 版)

松田 竹千代
まつだ たけちよ
文部大臣就任に際して公表された画像
生年月日 (1888-02-02) 1888年2月2日
出生地 日本 大阪府泉南郡
没年月日 (1980-12-01) 1980年12月1日(92歳没)
出身校 ニューヨーク大学
所属政党立憲民政党→)
日本進歩党→)
自由党→)
分党派自由党→)
日本自由党→)
日本民主党→)
自由民主党
称号 正三位勲一等

第55代 衆議院議長
在任期間 1969年7月16日 - 1969年12月2日
天皇 昭和天皇

第79代 文部大臣
内閣 第2次岸改造内閣
在任期間 1959年6月18日 - 1960年7月19日

第7代 郵政大臣
内閣 第2次鳩山一郎内閣
在任期間 1955年3月19日 - 1955年11月22日

選挙区 大阪府第5区
当選回数 12回
在任期間 1928年2月20日 - 1972年12月9日
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来歴

前歴

大阪府泉南郡出身。明治35年(1902年)、14歳の時にアメリカ西部の荒野を夢見て単身渡米、各地を放浪した果てにニューヨーク大学に入学。明治44年(1911年)に同大卒業後、大正3年(1914年)に帰国、日本の近代スポーツの先駆者・大森兵蔵の妻・安仁子(旧名・Annie Shepley、日本に帰化し安仁子と名乗る[1])の運営する社会福祉施設・有隣園を手伝う[2]。有隣園での経験を経て、社会事業家となる。

政治家として

昭和3年(1928年)に最初の普通選挙だった第16回衆議院議員総選挙立憲民政党公認で立候補し初当選。民政党では町田忠治直系の政治家として知られ、一方で同じ民政党所属の三木武吉の知遇を得た。元来自由主義的な政治家であり、昭和14年(1939年)にはクリスチャン賀川豊彦やのちに内閣総理大臣となる三木武夫らとともに日米同志会を結成し東京府東京市麹町区(現・東京都千代田区)の日比谷公会堂日米親善国民大会を開催したが[3]、戦時中は軍部と妥協し昭和18年(1943年6月17日の翼賛政治会の代議士会で鳩山一郎中野正剛の演説に対し「それではまるで反戦演説じゃないか。やるなら鳩山先生の如くやれ」と鳩山は支持しながら、中野には反感をむき出しにして叫んだ。翼賛系に参加していたことから、戦後は公職追放を受ける。

追放解除後、三木と共に自由党に復帰、鳩山派の一員として活動。自由民主党結成後は河野派 → 森清派 → 園田グループに所属したが、その後中曽根派に入った。ハト派野党との話し合いを重視する姿勢をとり、温厚そのものの外見だったが、思想や見た目とは裏腹に無類のきかん気で、妥協を拒む性格でもあった。また文部大臣時代は日教組の集会に出席するなど、自民党の立場にとらわれない姿勢をとった。立憲民政党より衆議院議員総選挙に出馬し、初当選を果たして以後、昭和47年(1972年)に政界を引退するまで、通算12回当選し、この間、郵政大臣、文部大臣、衆議院議長を歴任する。昭和55年(1980年)逝去。墓所は鎌倉市瑞泉寺多磨霊園

1980年(昭和55年)12月、岸和田市名誉市民の称号を贈られる[4]

略歴


  1. ^ 『講談社 日本人名大事典』384頁。
  2. ^ a b 『講談社 日本人名大事典』1778頁。
  3. ^ a b 『政党と派閥』31-32頁。
  4. ^ 名誉市民”. 岸和田市. 2021年4月25日閲覧。
  5. ^ ボクシング連盟「山根明」氏が明かす半生 韓国から密航、息子との極貧生活… | デイリー新潮デイリー新潮/週刊新潮 2018年8月16・23日号
  6. ^ 中野文庫 旧・勲一等瑞宝章受章者一覧
  7. ^ 中野文庫 旧・勲一等旭日大綬章受章者一覧
  8. ^ a b 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』574頁。


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