家制度 家制度の概要

家制度

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 01:49 UTC 版)

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沿革

戸主の制度は、最も古くは大化の改新に始まる。孝徳天皇の代における政治体制整備のため、古代から存在した家内の統率者たる家長に戸主の地位を与え、対外的な権利義務の主体としたのが始まりである[1][2]

1869年7月25日(明治2年6月17日)、版籍奉還と同日に出された『公卿諸侯の称を廃し華族と改む』(明治2年太政官布達)、及び翌年の『宮並に華族家人の職員を定む』(明治3年太政官布告)により、従来の身分制度公卿諸侯の称を廃し、これらの家は華族となり家制度を維持することが定められた。公家137家・諸侯270家[注 1]明治維新後に公家となった家5家[注 2]・維新後に諸侯となった家15家[注 3]の合計427家[注 4]は新しい身分層である「華族」に組み入れられた。1884年7月7日には『華族令』(明治17年宮内省達無号)が定められ[3]1886年4月29日に『華族世襲財産法』(明治19年勅令第34号)が公布された。

1896年の民法典制定前の「家」は、あたかも莫大な権利義務を有する法人のようなものであった。戸主個人は権利義務の主体ではなく、家の代表者として強大な権利を行使するかわりに、家産・家業・祭祀を維持する重い責務を負う存在にすぎなかった。ところが明治維新によって職業選択の自由が確保されると、このような生活モデルは崩壊する。諸外国の例を見ても、家父長制が徐々に崩壊して個人主義へ至ることが歴史の必然と思われたが、かといって未だ慣習として家族制度が根付いている以上、法律をもって強引に家制度を無くすことも憚られた。そこで、近い将来の改正を前提とし、所有権平仄を整え、戸主権の主体を家ではなく戸主個人としたうえで家産を否定し、戸主の権限を従前よりも大幅に縮小する過渡的な暫定規定を置くこととしたのである[4][5]

1905年には、華族に対する相続税の優遇を認めた『相続税法』(明治38年1月1日法律第10号)が設置された。こうした優遇規定は次第に拡大され、1942年の相続税法改正時には、一般の遺産相続は、家督相続の場合に比べ、2.5倍以上もの相続税が課される事例が生じた[6]

「家」の概念

「家」は、「戸主」と「家族」から構成される。戸主は家の統率者であり、家族は家を構成する者のうち戸主でない者をいう。

一つの家は一つの戸籍に登録される。つまり、同じ家に属するか否かの証明は、その家の戸籍に記載されている者であるか否かにより行われた。このことから、改正前民法の条文の「父ノ家ニ入ル」「家ヲ去リタル」という(当時の)表現は、戸籍の面からは、それぞれ「父の家の戸籍に入籍する」「家の戸籍から除籍された」ことを意味する。

なお、戸籍を管理するための法律として、民法に代わり1947年昭和22年)に施行された戸籍法では、三代以上の親族が同一戸籍に記載されない制度になっている(三代戸籍の禁止)が、家制度においては家の構成員は二代に限られなかったので、戸籍上も制約はなかった。


注釈

  1. ^ このうち広島新田藩浅野家は廃藩後に華族となることを辞退した。
  2. ^ 松崎家(松崎万長家)・玉松家(玉松操家)・岩倉具経家(岩倉具視の三男)・北小路家北小路俊昌家)・若王子家(聖護院院家若王子住職家)
  3. ^ 徳川御三卿のうち2家(一橋徳川家田安徳川家)、徳川御三家附家老家5家(成瀬家・竹腰家(尾張徳川家)、安藤家水野家紀伊徳川家)、中山家水戸徳川家))、毛利氏の家臣扱いだった岩国藩吉川家、1万石以上の所領を持つ交代寄合6家(山名家池田家山崎家平野家本堂家生駒家)、1万石以上の所領を持つ高家だった大沢家。ただし大沢家は所領の水増し申告が露見し1万石以下であることが確認されたことから、後に華族の身分を剥奪され士族に編入された。
  4. ^ 徳川御三卿の清水徳川家は当主不在であり、翌年華族に列せられた。
  5. ^ 旧民法が効力を持っていた戦前期(及び2021年現在でも各家庭・地域によっては)「家系の祭祀」を継ぐことが名誉ある責務と考えていたため、この規定が定められていた。

出典

  1. ^ 中村清彦「我国の家政と民法(三)」『日本之法律』4巻8号、博文館、1892年
  2. ^ 村上一博「『日本之法律』にみる法典論争関係記事(4)」『法律論叢』第81巻第6号、明治大学法律研究所、2009年3月、 289-350頁、 ISSN 03895947NAID 120001941063
  3. ^ 公爵11、侯爵24、伯爵76、子爵327、男爵74に授爵 伊藤博文伝 春畝公王頌会編
  4. ^ 岩田新『親族相続法綱要』(同文館、1926年)59-61頁
  5. ^ 宇野文重「明治民法起草委員の「家」と戸主権理解 : 富井と梅の「親族編」の議論から」『法政研究』第74巻第3号、九州大学法政学会、2007年12月、 523-591頁、 doi:10.15017/8837ISSN 03872882NAID 120000984402
  6. ^ 大蔵省印刷局『官報第4535号』。国立国会図書館。
  7. ^ 梅謙次郎『民法要義 巻之四親族法』和佛法律学校、1902年、50、111頁
  8. ^ 栗原るみ「ジェンダーの日本近現代史(3)」『行政社会論集』22巻2号、福島大学行政社会学会、2009年、90頁
  9. ^ 平野義太郎『日本資本主義の機構と法律』明善書房、1948年、52-53頁
  10. ^ 梅謙次郎『民法要義 巻之四親族法』和仏法律学校、1902年、35-36頁
  11. ^ 杉之原舜一『親族法の研究』日本評論社、1940年、3-8頁
  12. ^ 牧野英一『刑法に於ける重点の変遷 再版』(有斐閣、1935年)119頁
  13. ^ 我妻栄遠藤浩川井健補訂)『民法案内1私法の道しるべ』(勁草書房、2005年)103-104頁, isbn 978-4326498444
  14. ^ 山本起世子「民法改正にみる家族制度の変化 : 1920年代~40年代 (PDF) 」 『園田学園女子大学論文集』第47号、園田学園女子大学、2013年1月、 119-132頁、 NAID 110009534405
  15. ^ 穂積重遠『百萬人の法律学』(思索社、1950年)112頁
  16. ^ 「夫婦同姓も中絶禁止もその価値観を他人に強制することではない」、iRonna、2015年12月16日。
  17. ^ a b 「時代遅れの戸籍制度」、週刊金曜日、第838号、2011年3月11日





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