報道協定
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過去に適用された主な事件
過去に報道協定が結ばれた事件は約60件[注 8]ある[要出典]。以下に代表的な事件を列挙する(日付は 事件が被害者の家族・捜査機関に発覚した日 - 報道協定解除となった日 と表記)。
- 吉展ちゃん誘拐殺人事件:1963年(昭和38年)3月31日 - 4月13日(原文兵衛警視総監がマスコミを通じて犯人への呼びかけを行った)
- 正寿ちゃん誘拐殺人事件:1969年(昭和44年)9月10日 - 11日(犯人逮捕)
- 由美子ちゃん誘拐殺人事件:1970年(昭和45年)2月23日 - 24日(被害者の死亡確認)[28]
- あさま山荘事件:1972年(昭和47年)2月27日 - 28日
- 津川雅彦長女誘拐事件:1974年(昭和49年)8月15日 - 16日(被害者を保護)
- 宝塚市学童誘拐事件:1980年(昭和55年)1月23日 - 25日(被害者を保護・犯人逮捕)
- 富山・長野連続女性誘拐殺人事件:1980年(昭和55年)3月6日 - 27日(公開捜査に切り替え)
- 司ちゃん誘拐殺人事件:1980年(昭和55年)8月3日[32] - 16日(被害者の死亡確認)[33]
- 名古屋女子大生誘拐殺人事件:1980年(昭和55年)12月2日 - 26日(公開捜査に切り替え)[34]
- 江崎グリコ社長誘拐事件:1984年(昭和59年)
- ハウス食品脅迫事件:1984年11月7日(ハウス食品社長・浦上郁夫宛の脅迫状が届く)[35] - 12月10日[36]
- 甲府信金OL誘拐殺人事件:1993年(平成5年)8月10日 - 17日(被害者の死亡確認)
- 石狩町女子高生誘拐事件:1995年(平成7年)7月29日 - 7月31日(被害者家族の了承を得て公開捜査に切り替え)[37]
- 公開捜査切り替え後に被害者は無事保護され、犯人も逮捕された[38]。
- 新城市会社役員誘拐殺人事件:2003年(平成15年)4月18日 - 4月20日(被害者の死亡確認)
- 宮城新生児誘拐事件:2006年(平成18年)1月7日 - 8日(被害者を保護)[39]
- 渋谷女子大生誘拐事件:2006年(平成18年)6月26日 - 6月27日(犯人逮捕)
またハイジャック事件や立てこもり事件において、警察の強行突入の動きを犯人に察知されないよう、航空機や建物の周囲を映さないなどテレビで生中継される映像を制限する報道協定が結ばれる事がある[要出典](例:全日空函館ハイジャック事件)[40]。なお、新潟少女監禁事件(2000年発覚)の際には、報道各社が救出された被害者女性の家から数百 m以内に近づかないという報道協定を結んだ[41]。
注釈
- ^ テレビドラマ「アンフェア」では児童誘拐事件における報道協定において、登場人物であるマスメディアの人間が犯人が通じている共犯者である可能性が指摘され、捜査情報漏洩が懸念された。
- ^ 17日付の夕刊が発行される前にも、日本放送協会 (NHK) は13時のニュースで事件を報道できるだけの体制にしていたが、捜査当局から「人命に関することだから、発表するまでは慎重に」と要請されたことを受け入れ、報道を控えていた[4]。当時の警視庁捜査一課長・野田庸三は、新聞各紙にも同様の要請を行い、同日14時には事件の「発表保留」を申し入れたが、それ以前に本社に原稿を入れていた報道機関が何社かあり、結果的に各紙の夕刊で事件が報道されてしまった[5]。
- ^ 3月31日に被害者が姿を消してから1、2時間後、家人が「誘拐されたのでは」と近くの交番(警視庁下谷北警察署)に届け出たが、同署は隣接署に「迷子」の手配電報を打っただけで、捜査本部の設置は4月5日である[9]。その後、同月7日には犯人によって身代金を奪われ、同日に捜査本部は同事件を営利誘拐事件と断定した[9]。
- ^ 捜査当局側が報道機関側に対し、「誘拐事件で、人質にとられたこどもの生命がもっとも危険なのは、金を渡した直後と、犯人が追いつめられたときで、こんどの場合は身のしろ金を渡してから10日以上も経過しているから、公表しても(被害者の)生命には影響がないものと確信している。これ以上事態を伏せておくことは、捜査の現状よりみて犯人逮捕をますます困難にするし、吉展ちゃんを発見するためにも、報道機関の協力を求めるほかにはない」と説明し、報道機関側がそれを了承したことによる[11]。捜査当局側は17日からの報道開始を希望していたが、報道側は報道開始に慎重な姿勢を見せ、報道開始は19日にずれ込んだ[12]。
- ^ 警視庁は同月25日、「犯人の声」(編集済み)を公表し、ラジオ・テレビでそれが報道されたが、『読売新聞』がそれに先駆け、そのテープの存在を「公表予定日」より2日早く記事にしたことが、在京社会部長会で「協定違反」として問題視されている[12]。
- ^ 同日には、『毎日新聞』が夕刊最終版で「沼津郵便局に捜査員が張り込んでいるが、犯人らしい男はまだ現れていない」と報じていたが、在京社会部長会は「毎日の最終版は部数が少なく、犯人が必ずしも読むとは限らない」として、それ以降は犯人逮捕まで自主的に報道を控えることを決めた[16]。
- ^ 「仮協定」とは、警察当局が「取材・報道を自粛する各社間協定を要請」した瞬間、自動的に発効し、取材・報道を規制・禁止する体制に突入する(効力は「本協定」締結まで)というもので、それ以降速やかに「本協定」に入るか否かを決める[22]。
- ^ 1970年2月(富山の幼稚園女児誘拐殺人事件)から、1997年(平成9年)2月までに、現行方針に則って協定が締結された事件は計74件[27]。
- ^ 1970年以来、報道協定が締結された事件は同事件を含めて66件あったが、被害者の安否判明や犯人逮捕に至っていない段階で報道協定が解除された事例は同事件が初だった[29]。
出典
- ^ 結城かほる「熊本女児遺棄:不明時、ツイッターに書き込み続く」『毎日新聞』毎日新聞社、2011年3月5日。オリジナルの2011年3月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ デジタル編集部・岩下勉「遺族、苦しみ続けた9年 熊本・3歳女児殺害 「心に導かれ」命の大切さ伝える」『熊本日日新聞』熊本日日新聞社、2020年3月4日。オリジナルの2020年3月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b 丸山昇 1992, p. 444.
- ^ 丸山昇 1992, pp. 446–447.
- ^ 丸山昇 1992, p. 447.
- ^ a b 丸山昇 1992, p. 445.
- ^ 丸山昇 1992, p. 437.
- ^ 丸山昇 1992, p. 425.
- ^ a b c d e 丸山昇 1992, p. 454.
- ^ 丸山昇 1992, pp. 454–455.
- ^ 丸山昇 1992, p. 462.
- ^ a b c 丸山昇 1992, p. 457.
- ^ 丸山昇 1992, p. 456.
- ^ 丸山昇 1992, p. 455.
- ^ a b 丸山昇 1992, p. 463.
- ^ a b 丸山昇 1992, p. 464.
- ^ 丸山昇 1992, pp. 464–465.
- ^ 丸山昇 1992, p. 465.
- ^ 丸山昇 1992, pp. 468–469.
- ^ 丸山昇 1992, pp. 469–470.
- ^ 丸山昇 1992, p. 473.
- ^ 丸山昇 1992, pp. 475–476.
- ^ 丸山昇 1992, pp. 474–475.
- ^ a b 丸山昇 1992, p. 477.
- ^ “「誘拐報道協定」解説”. 日本新聞協会 (2000年12月7日). 2021年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月8日閲覧。
- ^ “誘拐報道の取り扱い方針、付記(警察庁の了解事項を含む)”. 日本新聞協会 (1970年2月5日). 2021年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月8日閲覧。
- ^ a b c 『毎日新聞』1997年5月8日東京朝刊第12版メディア面25頁「故梶原一騎氏の娘誘拐殺人事件 報道倫理未熟 台湾の“悲劇” 民主化で競争激化 スクープ前後に殺害」(台北で小林猛夫)「日本の報道協定 国際化にどう対応」(西川光昭)(毎日新聞東京本社) - 『毎日新聞』縮刷版 1997年(平成9年)5月号241頁
- ^ 『読売新聞』1970年2月25日東京朝刊第14版第一社会面15頁「富山 幼女誘かい殺される 遊びに出て一昼夜 工場跡地に死体 自転車で運んだ男追う ボール箱につめ 学童が目撃1」(読売新聞東京本社)
- ^ a b 『読売新聞』1980年3月28日東京朝刊第14版第二社会面22頁「誘かい報道は人命最優先 「週刊新潮」が掲載 自粛協定に新たな問題」(読売新聞東京本社) - 『読売新聞』縮刷版 1980年(昭和55年)3月号1060頁
- ^ a b 『中日新聞』1980年3月28日朝刊第12版第二社会面22頁「○○さん誘かい事件 週刊誌が報道強行 長びいた自粛協定に盲点」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 1980年(昭和55年)3月号910頁
- ^ 『読売新聞』1980年3月29日東京朝刊第13版5頁「デスク討論 誘かい事件と報道協定 あくまで人命を優先 ○○さん事件、前例にすまい」(読売新聞社) - 『読売新聞』縮刷版 1980年(昭和55年)3月号1091頁
- ^ a b c 『山梨日日新聞』1980年8月20日朝刊第2版一面1頁「追跡 誘かい犯人 司ちゃん事件から (3) 報道より人命を 自粛して無事救出祈る」(山梨日日新聞社)
- ^ 『山梨日日新聞』1980年8月16日朝刊第3版一面1頁「園児を誘かい、殺す 13日ぶり犯人逮捕 遺体は敷島で発見 1000万円要求 32回も脅迫電話 野球に誘い連れ去る」(山梨日日新聞社)
- ^ 『朝日新聞』1980年12月26日東京夕刊一面1頁「女子大生誘かいされる 名古屋 24日ぶり公開捜査 電話で3千万要求 6日から連絡なし 30回近く脅迫続ける」(朝日新聞東京本社)
- ^ 岩瀬達哉 2021, p. 188.
- ^ a b 岩瀬達哉 2021, p. 220.
- ^ 『北海道新聞』1995年7月31日朝刊第16版一面1頁「石狩町の高1女子不明 道警、誘拐で捜査 「1億円出せ」自宅に電話 29日夜、中年男の声 講習帰り 通学路に自転車」(北海道新聞社) - 縮刷版1909頁。
- ^ 『北海道新聞』1995年8月1日朝刊第16版一面1頁「不明女子高生を保護 誘拐容疑で44歳逮捕 岩内から古平へ 検問突破し逃走 X容疑者 借金苦の犯行か」(北海道新聞社) - 縮刷版1頁。
- ^ 「赤ちゃん無事保護、男女2人を取り調べ 仙台の誘拐事件」『asahi.com』朝日新聞社、2006年1月8日。オリジナルの2006年1月10日時点におけるアーカイブ。
- ^ “【平成ドキュメント】函館空港ハイジャック事件 16時間の攻防 突入の裏側【HTBニュース】”. YouTube. 2023年6月11日閲覧。
- ^ 「かつて報道は加害者追ったが、人権尊重から被害者取材に変化」『NEWSポストセブン』小学館、2020年2月12日。2021年5月20日閲覧。オリジナルの2021年5月20日時点におけるアーカイブ。 - 『女性セブン』2020年2月20日号掲載記事。
- ^ この節の出典。亀井, 淳『皇太子妃報道の読み方』(第1刷)岩波書店〈岩波ブックレット〉、1993年5月、50-56頁。ISBN 4-00-003240-2。
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