同志社女子大学 沿革

同志社女子大学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/12 08:42 UTC 版)

沿革

略歴

1876年(明治9年) 、京都御苑内の旧柳原邸内のJ.D.デイヴィス宅に設立された女子塾(後の同志社女学校)を前身とする[6]

二條家邸跡石碑

開学当初は、寄宿学校であったことから「Kioto Home(京都ホーム)」と呼ばれた[7]

新島襄は女子教育の重要性を当時より認識しており、これが女学校設立の理由となった(当時の同志社英学校は男子学生のみを対象としていた)。新島襄、妻 新島八重J.D.デイヴィスA.J.スタークウェザーらが設立に関わった[8]。1883年(明治16年)にスタークウェザーが帰国した後、1888年(明治21年)に来日したアメリカン・ボードの女性宣教師M.F.デントンの尽力により校地が広がり、後に登録有形文化財となる栄光館[9][10]、ジェームズ館[11][12]などが建てられた[13]

新学制への移行に際しては、同一法人下に男女共学の同志社大学と女子大学を並存させる必要はないとの意見はあったが、米国の五大女子大学(ウェルズリースミスマウント・ホリヨークヴァッサーブリンマー)のような特色あるリベラル・アーツ・カレッジとして発展させたいという湯浅八郎総長の決断により4年制の新制女子大学として発足し、前述のE.L.ヒバードが初代学長に就任した[2]

開校当初の同志社女学校正門
1930年(昭和5年)洋裁の授業の様子
同窓会主催M.F.デントン80歳の祝会(1937年)
エスター・ローウェル・ヒバード英語版
新島記念講堂

柳原家(設立当時の学舎)

室町時代に特に栄えた公家日野家の分流で、公家の名門である。幕末には、柳原光愛の次女柳原愛子が明治天皇の女官となり、大正天皇を出産した。愛子は和歌の名手としても知られている。また、柳原前光の娘柳原白蓮も大正時代の有名な歌人である。

現在その敷地は、国民公園京都御苑の中にある京都迎賓館の敷地の一部となっており、今出川キャンパスから程近い場所にある。

年表

  • 1875年明治08年) - 新島襄同志社英学校を開設する。
  • 1876年(明治09年) - 京都御苑内のJ.D.デイヴィス邸(旧柳原邸、現在の京都迎賓館の位置)でA.J.スタークウェザーが新島八重と女子塾を始める[14]
  • 1877年(明治10年) - 4月、女子塾を「同志社分校女紅場」に名称変更(校長 新島襄)。同年9月に「同志社女学校」と改称。
  • 1888年(明治21年) - 同志社女学院へ改称、2年制の師範・文学・神学の専門科を設置。
  • 1889年(明治22年) - 同志社女学校へ改称。
  • 1901年(明治34年) - 専門学部を設置。
  • 1904年(明治37年) - 専門学部を高等学部へ改称。
  • 1912年(明治45年) - 高等学部を廃し、専門学校令による専門学部(英文科・家政科)を設立。
  • 1914年大正03年) - ジェームズ館竣工。
  • 1924年(大正13年) - 貞明皇后行啓[15]
  • 1930年昭和05年) - 同志社女子専門学校へ改称。
  • 1932年(昭和07年) - 栄光館竣工。
  • 1941年(昭和16年) - 太平洋戦争勃発。大半の外国人教員は帰国したが、M.F.デントンは日本滞在を許された。
  • 1949年(昭和24年) - 同志社女子大学へ改称し、学芸学部(英文学専攻・音楽専攻・食物学専攻)を設立。エスター・ローウェル・ヒバード英語版が初代学長に就任。
  • 1952年(昭和27年) - 旧制同志社女子専門学校廃止。
  • 1965年(昭和40年) - 学芸学部の3つの専攻を英文学科・音楽学科・家政学科にそれぞれ改組[14]
  • 1967年(昭和42年) - 学芸学部家政学科を解消し、新たに家政学部(家政学科・食物学科)を設置[14]
  • 1986年(昭和51年) - 田辺キャンパス(現・京田辺キャンパス)を開設、短期大学部(英米語科・日本語日本文学科)を設立。
  • 1989年平成元年) - 学芸学部日本語日本文学科開設。
  • 2000年(平成12年) - 現代社会学部社会システム学科開設。
  • 2002年(平成14年) - 学芸学部情報メディア学科開設。
  • 2003年(平成15年) - 短期大学部を廃止。
  • 2004年(平成16年) - 現代社会学部現代こども学科開設。
  • 2005年(平成17年) - 薬学部医療薬学科開設。
  • 2006年(平成18年) - 薬学教育6年制移行により、薬学部医療薬学科を6年制に移行。
  • 2007年(平成19年) - 学芸学部国際教養学科開設。
  • 2009年(平成21年) - 学芸学部英語英文学科、日本語日本文学科を今出川に移転、表象文化学部英語英文学科・日本語日本文学科開設。
  • 2015年(平成27年) - 看護学部看護学科開設。 
  • 2018年(平成30年) - 学芸学部情報メディア学科をメディア創造学科に名称変更。

  1. ^ 歴史概要”. 同志社女子大学. 2022年9月23日閲覧。
  2. ^ a b 『同志社九十年小史』 284-286頁
  3. ^ 初代学長 エスター・ヒバード先生:報いを望まないで”. 同志社女子大学. 2023年3月14日閲覧。
  4. ^ 校名・学制の変還”. 同志社女子大学. 2023年3月1日閲覧。
  5. ^ Q&A”. 同志社女子大学. 2021年5月28日閲覧。
  6. ^ 同志社々史々料編纂所『同志社九十年小史』学校法人同志社、1965年、247頁。 
  7. ^ 歴史概要”. 同志社女子大学. 2021年6月12日閲覧。
  8. ^ VIVI.net|同志社女子大学”. VIVI.net. 2021年6月12日閲覧。
  9. ^ 栄光館(講堂・礼拝堂 ※登録文化財)”. DWCLA Campus map. 2021年6月12日閲覧。
  10. ^ 同志社女子大学栄光館 文化遺産オンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2021年6月12日閲覧。
  11. ^ ジェームズ館”. DWCLA Campus map. 2021年6月12日閲覧。
  12. ^ 同志社女子大学ジェームズ館 文化遺産オンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2021年6月12日閲覧。
  13. ^ VIVI.net|同志社女子大学”. VIVI.net. 2021年6月12日閲覧。
  14. ^ a b c 同志社女子大学年表”. 同志社女子大学. 2023年8月19日閲覧。
  15. ^ 同志社女学校の発展と時代の逆風”. 同志社女子大学. 2019年7月3日閲覧。
  16. ^ 同窓会について | 同志社女子大学・女子中学校・高等学校 同志社同窓会”. dojo-doso.org. 2023年8月19日閲覧。
  17. ^ 京田辺キャンパス”. DWCLA Campus map. 2021年5月28日閲覧。
  18. ^ ANA(全日本空輸)グループ”. 同志社女子大学. 2021年6月12日閲覧。
  19. ^ JAL(日本航空)グループ”. 同志社女子大学. 2021年6月12日閲覧。
  20. ^ 独立行政法人国立病院機構南京都病院”. 同志社女子大学. 2021年6月12日閲覧。
  21. ^ 京都医療センターとの学術交流等に関する包括連携協定を締結”. 同志社女子大学. 2021年6月12日閲覧。
  22. ^ 宗教法人在日本南プレスビテリアンミッション淀川キリスト教病院”. 同志社女子大学. 2021年6月12日閲覧。
  23. ^ 公立大学法人奈良県立医科大学”. 同志社女子大学. 2021年6月12日閲覧。
  24. ^ リンク”. 同志社女子大学. 2021年5月27日閲覧。
  25. ^ 仁川学院高等学校との教育連携協定を締結”. 同志社女子大学. 2021年11月10日閲覧。






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