司馬遼太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 03:42 UTC 版)
司馬 遼󠄁太郎 (しば りょうたろう) | |
---|---|
講談社『週刊現代』10月1日号(1964)より | |
誕生 |
福田 定一(ふくだ ていいち) 1923年8月7日 日本・大阪府大阪市南区難波西神田町(現在の浪速区塩草) |
死没 |
1996年2月12日(72歳没) 日本・大阪府大阪市中央区法円坂(国立大阪病院)[1] |
墓地 | 西本願寺大谷本廟 |
職業 | 小説家、ノンフィクション作家、評論家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
活動期間 | 1955年 - 1996年 |
ジャンル | 歴史小説・推理小説・戯曲・随筆・紀行 |
主題 | 日本の歴史と風土 |
代表作 |
『梟の城』(1959年) 『竜馬がゆく』(1962年 - 1966年) 『燃えよ剣』(1964年) 『国盗り物語』(1965年) 『坂の上の雲』(1968年) 『街道をゆく』(1971年 - 1996年、紀行文) 『翔ぶが如く』(1976年) 『項羽と劉邦』(1980年) |
主な受賞歴 |
直木三十五賞(1960年) 菊池寛賞(1966年) 毎日芸術賞(1968年) 吉川英治文学賞(1972年) 日本芸術院賞・恩賜賞(1976年) 読売文学賞(1982年・1987年) 朝日賞(1983年) 日本文学大賞(1984年) 大佛次郎賞(1988年) 文化勲章(1993年) 贈従三位・賜銀杯一組(1996年、没時叙位下賜) |
デビュー作 |
福田定一名義: 『名言随筆・サラリーマン』(1955年) 司馬遼󠄁太郎名義: 『ペルシャの幻術師』(1956年) |
影響を受けたもの
| |
署名 | |
公式サイト | 司馬遼󠄁太郎記念館 |
ウィキポータル 文学 |
大阪府大阪市出身。産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』などがある。『街道をゆく』をはじめとする多数の随筆・紀行文などでも活発な文明批評を行った。
注釈
- ^ 生涯井伏作品を愛読している。『別冊アサヒグラフ 井伏鱒二の世界』(朝日新聞社、1992年)にも井伏論を寄せている。
- ^ 第二次世界大戦終戦時点での司馬の年齢は正確には22歳で、正確な年齢を記述している著作もある。
- ^ 青木は後に『中外日報』編集局長、西本願寺の雑誌『大乗』の編集長を歴任。『梟の城』は、青木の伝手で『中外日報』に連載されている。
- ^ 多くの選者が無視し、一人がもっともな理由で痛烈に否定し、一人がそれ以上の激しさで推賞した。それが海音寺であった[16]。
- ^ プロポーズの場所は大阪市電の電停であった[17]。
- ^ 李登輝は同世代の愛読者であった。この対談は内外の注目を起こした。なお1989年には韓国ソウルで、当時韓国大統領だった盧泰愚と対談した[19]。
- ^ 日本軍の損失、戦死者7,696人、行方不明者(捕虜も含む)1,021人、負傷者8,647人、合計17,364人。ソ連軍とモンゴル軍の損失、戦死者9,983人、負傷者16,662人、合計26,645人。
- ^ 司馬はソ連情報公開直後に書かれた、アルヴィン・D. クックス『ノモンハン―草原の日ソ戦 1939』朝日新聞社〈上・下〉、1989年。を読み、来日したクックスとも対談「ノモンハン事件はいつも古くて新しいですね」「書くよりも読者の側に回ってよかったと思いました。いい本でした」と見解を述べている。のち『東と西 対談集』朝日新聞社に収録。
- ^ 司馬もエッセイ集『司馬遼太郎の考えたこと』『軍神・西住戦車長』ではマレー作戦とシンガポールの戦いを日本の戦車が武名をあげた唯一の例として、戦車らしいものをもたなかったイギリス軍相手に無人の野をゆくように突進し、島田豊作少佐率いる1個中隊18輌の戦車がイギリス軍2個師団を壊滅させたと記述している。
- ^ いわゆる下駄履きアパートではなく、現在で言う最新の高層マンションのような高級物件である。
- ^ 司馬は鹿内に「ハイジャッカー」とのニックネームをつけて呼んでいた[111]。
出典
- ^ “史上初の大調査 著名人100人が最後に頼った病院 あなたの病院選びは間違っていませんか”. 現代ビジネス (2011年8月17日). 2019年12月22日閲覧。
- ^ 司馬 1998, p. 250.
- ^ “M1 Garand Serial Numbers”. Fulton Armory. 2019年4月6日閲覧。
- ^ Bruce N. Canfield. “American Rifleman”. National Rifle Association of America. 2019年4月6日閲覧。
- ^ “Mauser Kar98k Rifle”. World War II Database. Lava Development, LLC. 2019年4月6日閲覧。
- ^ “The Lee-Enfield Rifle in World War II”. Sovereign Media. 2019年4月6日閲覧。
- ^ “Russian erection”. Darryl Boyd. 2010年2月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月6日閲覧。
- ^ 司馬 1998, p. 9.
- ^ 司馬遼太郎『出身県別 現代人物事典 西日本版』p898 サン・データ・システム 1980年
- ^ “戦友が見た「戦車兵・司馬遼太郎」 苦難の中でも冗談や笑み「軍人らしくなかった”. 産経新聞. (2015年8月8日) 2021年1月10日閲覧。
- ^ 司馬 1998, pp. 7–8.
- ^ 司馬 1998, p. 7.
- ^ 司馬 1993, pp. 283–284.
- ^ 司馬は自身が「老いらくの恋」という見出しを付け流行語になったとしているが、それが記憶違いであることは当時を知る報道関係者らに否定されている(『新聞記者・司馬遼太郎』文春文庫、2013、p104)。司馬は事件のあとに川田から「老いらくの恋」の語が入っている詩を見せてもらったと「自伝的断章集成」に書いているが、その詩は川田が家出前に懇意にしていた朝日新聞編集局長に送られており、「老いらくの恋」は同紙の第1報から見出しに使われている。
- ^ 1994年2月14日日本経済新聞夕刊
- ^ 中公文庫 『歴史の世界から 改版』 中央公論新社 ISBN 978-4122021013、211頁。
- ^ 中公文庫 『歴史の中の日本 改版』 中央公論新社 ISBN 978-4122021037。[要ページ番号]
- ^ この時期までは、産経新聞社『新聞記者司馬遼󠄁太郎』(文春文庫、2013年)、後輩の三浦浩『青春の司馬遼󠄁太郎』(朝日文庫、2000年)に詳しい。
- ^ 『文藝春秋』1989年8月号。[要ページ番号]
- ^ “東京新聞:「司馬史観」といわれる歴史観がある。作家の司馬遼太郎さんが…:社説・コラム”. 東京新聞 TOKYO Web. オリジナルの2012年1月9日時点におけるアーカイブ。 2019年4月6日閲覧。なお、同コラムに書かれている半藤一利は、司馬の遺志を継ぐ意味も込めて、司馬の死後に『ノモンハンの夏』を著した。下記『清張さんと司馬さん』では司馬の心情を推量している。
- ^ “第25回菜の花忌シンポ、来年2月12日に東京で開催”. 産経ニュース (2021年12月3日). 2021年12月3日閲覧。
- ^ “名誉高知県人”. 高知県. 2022年7月25日閲覧。
- ^ “名誉市民”. 東大阪市. 2022年8月11日閲覧。
- ^ 渡辺については、『レトリックス—大衆文芸技術論』収録の「神の自意識-司馬遼󠄁太郎」を参照。清水については、彼の初期の短編小説「猿蟹の賦」および「商道をゆく」(講談社文庫の『蕎麦ときしめん』所収)を参照。
- ^ 小林 2010, p. 167.
- ^ 霍見芳浩「学者が斬る(97)米国の対イラク攻撃と司馬遼󠄁太郎の警告」『エコノミスト』81巻2号(2002年、毎日新聞社) 養老孟司「没後十年をむかえて 特別寄稿 司馬遼󠄁太郎さんの予言 司馬さんは今の危機を見通していたかのようだ」『文藝春秋』2006年1月号
- ^ 2016年3月29日付「朝日新聞」
- ^ 小林 2010, p. 147.
- ^ a b 司馬 1998, p. 10.
- ^ 司馬 1998, p. 51.
- ^ 小林 2010, p. 142.
- ^ 豊田 1986, p. 114.
- ^ 森 2016, p. 280.
- ^ a b c 小林 2010, p. 146.
- ^ NHK 戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 2014年度「知の巨人たち」第4回 二十二歳の自分への手紙〜司馬遼太郎〜
- ^ 司馬 2004, pp. 179–180.
- ^ 司馬 1980, p. Kindle版523.
- ^ 司馬 1998, p. 130.
- ^ 半藤一利『プレジデント』1996年9月号 「司馬遼太郎とノモンハン事件」
- ^ a b “NHKスペシャル|ノモンハン 責任なき戦い”. NHK. 2019年4月6日閲覧。
- ^ 豊田 1986, p. 118.
- ^ a b コロミーエツ, p. 82.
- ^ 豊田 1986, p. 115.
- ^ 加登川 1974, p. 186.
- ^ コロミーエツ, pp. 101, 125.
- ^ コロミーエツ, p. 109.
- ^ コロミーエツ, p. 145.
- ^ 葛原 2009, p. 69.
- ^ 小林 2010, p. 140.
- ^ コロミーエツ, p. 151.
- ^ 森 2016, p. 287.
- ^ 森 2016, p. 290.
- ^ 森 2016, p. 291.
- ^ 小林 2010, p. 151.
- ^ a b 小林 2010, p. 161.
- ^ 佐藤優「知を磨く読書 司馬遼太郎の語られざる本音 」週刊ダイヤモンド 2016年3月19日号
- ^ 高橋誠一郎. “《風立ちぬ》論Ⅳ――ノモンハンの「風」と司馬遼太郎の志”. 高橋誠一郎 公式ホームページ. 2019年4月6日閲覧。
- ^ 佐々木健悦『徳王の見果てぬ夢』社会評論社 2013年ISBN 978-4-7845-1349-9 pp.216-217
- ^ 秦 2012, p. Kindle版1448.
- ^ 小林 2010, p. 162.
- ^ a b 小林 2010, pp. 134–135.
- ^ 司馬 1980, pp. Kindle版1152-1162.
- ^ 『NHK人間講座.半藤一利 清張さんと司馬さん』NHK出版 2001年10月、改訂版2002年10月/ 文春文庫、2005年10月 111頁
- ^ 秦 2012, pp. Kindle版1329-1333.
- ^ 司馬 1974, p. 312.
- ^ 延吉 2002, p. 298.
- ^ 延吉 2002, p. 294.
- ^ 司馬 1996, p. 75.
- ^ 中央公論『歴史と人物』増刊「太平洋戦争-終戦秘話」、1983年8月(通巻第150号)351頁
- ^ 延吉 2002, p. 301.
- ^ ギルバート 2016.
- ^ 秦 2012, pp. Kindle版1382-1392.
- ^ 司馬 1980, p. Kindle版474.
- ^ a b 司馬 1980, p. Kindle版487.
- ^ 下田 2014, p. 106.
- ^ 司馬 2004, pp. 183–184.
- ^ 司馬 1980, p. Kindle版560.
- ^ 加登川 1974, p. 222.
- ^ "The Most Effective Jap Tank" from Intelligence Bulletin, July 1945
- ^ 加登川 1974, p. 214.
- ^ 新浪公司 「99A式“功臣号”挺进朱日和,五代传承两次跨越」2018年07月15日記事
- ^ 司馬 1980, p. Kindle版400.
- ^ ホワイト 1971, p. 表紙.
- ^ 下田 2014, p. 101.
- ^ “Pacific Wrecks - U. S. Army Ordnance Museum (Aberdeen Proving Ground)”. Pacific Wrecks Inc.. 2019年4月6日閲覧。
- ^ 秦 2012, p. Kindle版1392.
- ^ 司馬 1980, p. Kindle版922.
- ^ a b 秦 2012, p. Kindle版1409.
- ^ “戦友が見た「戦車兵・司馬遼太郎」 苦難の中でも冗談や笑み「軍人らしくなかった”. 産経新聞. (2015年8月8日) 2021年1月10日閲覧。
- ^ 秦 2012, p. Kindle版1384.
- ^ 中井勝. “司馬遼太郎の全貌――戦車兵だった司馬さん 「文藝春秋2016年3月特別増刊号 司馬遼太郎の真髄」”. 本の話WEB. 文藝春秋. 2018年9月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月6日閲覧。
- ^ 加登川 1974, p. 229.
- ^ 秦 2012, pp. Kindle版1392-14001.
- ^ 例えば新潮社は自社のウェブサイトにて司馬の講演テープ『司馬遼󠄁太郎が語る 第二集 歴史小説家の視点』を「作家、司馬遼󠄁太郎の歴史に対するスタンスを提示した「司馬史観」の原点ともいえる講演」と宣伝している。
- ^ 読売新聞、2004年2月21日13面「現代に生きる日露戦争」
- ^ a b 司馬遼太郎を「過去」にできない日本人(インタビュー) - honto+
- ^ なぜ司馬遼太郎作品は、「昭和のビジネスパーソン」に愛読されたのか? | ダ・ヴィンチWeb
- ^ 井桁幹人 塾主の戦争観に垣間見る司馬史観へのアンチテーゼ(塾生レポート) | 松下政経塾
- ^ 山田朗自由主義史観の克服と歴史教育の課題
- ^ 池田博男 司馬史観の犯罪性
- ^ 鈴木眞哉「司馬遼󠄁太郎先生、お言葉ですが……」(『戦国「常識・非常識」大論争!―旧説・奇説を信じる方々への最後通牒―』洋泉社、2011年)53-88頁
- ^ 大高忠雄は独身であり妻子はいない。(赤穂市史編纂室主幹「赤穂四十七士列伝」)。
- ^ a b c d e 江上茂『差別用語を見直す : マスコミ界・差別用語最前線』花伝社/共栄書房、2007年8月、54-57頁。ISBN 9784763404992。
- ^ 『竜馬がゆく』文庫版第6巻p.265[要文献特定詳細情報]
- ^ [1]
- ^ 記者時代の司馬遼太郎が「新論語」で描いたロマンと現実
- ^ 司馬遼太郎「異常な三島事件に接して」(毎日新聞 1970年11月26日朝刊)。徳岡 1999, p. 290
- ^ “おじいちゃんと司馬遼太郎さん”. アンガールズ田中卓志オフィシャルブログ. Ameba (2015年8月15日). 2020年5月11日閲覧。
- ^ 「地球にひとりだけの人」-『岡本太郎著作集』第5巻月報 講談社(1979年)[要ページ番号]
- ^ 日経ビジネス2005年6月6日号「検証 狙われたフジサンケイグループ 資本のねじれ解消暗闘の13年」。
- ^ 「週刊ポスト」2009年6月5日号。[要ページ番号]
- ^ 『リベラルタイム』2007年5月号「永田町仄聞録 だから民主党はダメなのだ」など参照
- ^ 司馬 2011, pp. 9–10.
- ^ a b 司馬 2011, p. 10.
- ^ 司馬 2011, p. 35.
- ^ a b 司馬 2011, p. 11.
- ^ 司馬 2011, p. 13.
- ^ “好きな司馬作品ランキング”. 2023年1月11日閲覧。
- ^ 番組エピソード 大河ドラマ『竜馬がゆく』-NHKアーカイブス
- ^ 番組エピソード 大河ドラマ『国盗り物語』-NHKアーカイブス
- ^ 番組エピソード 大河ドラマ『花神』 NHKアーカイブス
- ^ 番組エピソード 大河ドラマ『徳川慶喜』 NHKアーカイブス
- ^ 番組エピソード 大河ドラマ『功名が辻』NHKアーカイブス
- ^ 『朝日新聞』1976年4月6日(東京本社発行)朝刊、22頁。
- ^ “朝日賞 1971-2000年度”. 朝日新聞社. 2022年9月2日閲覧。
- ^ 文藝春秋・1996年5月臨時増刊号を改訂。
- ^ 色川大吉・佐高信「対談 司馬遼󠄁太郎批判」を収録 - 岩波書店『世界』〈1998年1月号〉。
- ^ 東谷暁によるインタビュー 福井雄三「司馬遼󠄁太郎という悪しき戦後」『表現者』(2005年、西部邁事務所)
固有名詞の分類
- 司馬遼太郎のページへのリンク