京田辺駅
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京田辺駅[* 1] | |
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駅舎(2020年6月) | |
きょうたなべ Kyōtanabe | |
◄JR-H23 同志社前 (1.9 km) (2.1 km) 大住 JR-H25► | |
右は新田辺駅 | |
所在地 | 京都府京田辺市田辺久戸27 |
駅番号 | JR-H24 |
所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
所属路線 | 片町線(学研都市線) |
キロ程 | 12.4 km(木津起点) |
電報略号 | キナ |
駅構造 | 地上駅(橋上駅)[2] |
ホーム | 2面3線[2] |
乗車人員 -統計年度- |
5,748人/日(降車客含まず) -2022年- |
開業年月日 | 1898年(明治31年)4月12日 |
乗換 | 新田辺駅(近鉄京都線) |
備考 |
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概要
京田辺市の代表駅の1つ。学研都市線の快速の各駅停車区間では同市内の松井山手駅に次ぐ利用者数がある。
駅東方約300mに近鉄京都線の新田辺駅があり、徒歩7分程度で到着する。2015年頃から車内放送でも乗換駅として案内されるようになった(ただし近鉄側では新祝園駅のみJR乗換の車内放送を行う)。市の玄関口として両駅の周辺整備が行われている。
歴史
- 1898年(明治31年)4月12日:関西鉄道長尾駅 - 新木津駅(廃止)間延伸時に、同社の田辺駅として開業[4]。
- 1907年(明治40年)10月1日:国有化され、官営鉄道の駅になる[4]。
- 1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定。桜ノ宮線の所属となる。
- 1913年(大正2年)11月15日:線路名称改定。桜ノ宮線が片町線に編入され、当駅もその所属となる。
- 1970年(昭和45年)10月1日:貨物および荷物扱い廃止[5]。駅員無配置駅となる[6]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる[4]。
- 1988年(昭和63年)3月13日:路線愛称の制定により、「学研都市線」の愛称を使用開始。
- 1997年(平成9年)3月8日:京田辺市制施行開始に先立ち、京田辺駅に改称[1]。
- 1999年(平成11年)
- 2000年(平成12年)3月11日:橋上駅舎化工事に伴い、仮駅舎に移転[9]。
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)11月1日:ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
- 2010年(平成22年)3月13日:全区間7両編成での運転開始により、当駅での増結・切り離し作業が終了。
- 2011年(平成23年)3月8日:JR宝塚・JR東西・学研都市線運行管理システム導入。接近メロディ導入。
- 2018年(平成30年)3月17日:駅ナンバリングが導入され、使用を開始。
- 2023年(令和5年)
駅構造
島式ホーム2面3線を有する地上駅[2]。2面4線への拡張も可能な構造で(ただ、今の所2面4線への拡張の動きはないがホームのないアルプラザ方面に線路が存在し、回送列車が使用することがある。)、7両編成に対応している。橋上駅舎を有し[2]、両ホームと、改札外・東西に2箇所、計4箇所にエレベーターが設置されている。東口は陸橋によってアル・プラザ京田辺店(平和堂)に直結している。ホームとは跨線橋で結ばれている。
ICOCA・提携ICカード利用可能駅。また、学研都市線の単線区間の途中駅では唯一の直営駅(四条畷駅の被管理駅)である。自動券売機とみどりの券売機プラスが設置されている[3]。
旧駅舎は平屋建ての昔の民家のような造りで、元を辿れば明治時代からあったという話もある。旧駅は2面2線の対向式ホームで間に中線があり、貨物扱いも行われていた。駅舎は京橋方面側にあり、木津方面へのホームへは同志社前側にある踏切を渡ることになっていた。待合室は旧信号テコ扱い所であったため、その形跡がよく分かる駅だった。1972年(昭和47年)頃から1992年(平成4年)頃までの間は無人駅扱いで出札業務は行わず、運転要員だけ配置されていた。
のりば
のりば | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
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1・2 | 学研都市線 | 下り | 四条畷・京橋方面[13] | 一部3番のりば |
3 | 上り | 木津方面[13] | 一部2番のりば |
上表の路線名は旅客案内上の名称(愛称)で表記している。基本的に1番・2番のりばが京橋方面、3番のりばが木津方面となっている。
3線もありながら発車番線は2010年(平成22年)3月12日までは全時間帯に渡って固定されていなかった。これは構内に引上線がなく、切り離された増結用の車両がホーム上で待機しなければならないためである。昼間時の運用を例として挙げると、
- 2番のりばに増結用車両が待機した状態で、京橋方面行きが2番のりばに入り、増結用車両をつなぐ。同時に木津方面行きが1番のりばに入り、切り離した増結用車両を1番のりばに残して発車する。
- その次の京橋方面行きは1番のりばに入り、先ほど切り離された1番のりばの増結用車両をつなぐ。同時に木津方面行きが2番のりばに入り、切り離した増結用車両を2番のりばに残して発車する。
- 以上の流れを繰り返す。
という、ローテーション的な運用となっていた。木津駅 - 同志社前駅間のホーム延長工事を行った翌3月13日以降は朝の一部を除いて、四条畷・京橋方面は1番のりば、木津方面は2番のりばに固定された(京田辺駅配布の発車時刻表より)。2011年(平成23年)3月12日のダイヤ改正でほとんどが、四条畷・京橋方面の乗り場が2番のりば、木津方面の乗り場が3番のりばとなった。
配線上は2番のりばを上下本線とした一線スルーとなっている。
夜間滞泊が2本設定され、1番のりばと3番のりばに留置されている。3番のりばに夜間滞泊する車両は、翌朝に当駅始発の回送列車となり、松井山手駅の一番列車として運転される。
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駅全景
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改札付近
- ^ a b “奈良線桃山-藤森間 新駅名は「JR藤森」”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 5. (1997年1月20日)
- ^ a b c d e 「JR年表」『JR気動車客車編成表 '02年版』ジェー・アール・アール、2002年7月1日、190頁。ISBN 4-88283-123-6。
- ^ a b “京田辺駅|駅情報:JRおでかけネット”. 西日本旅客鉄道. 2023年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月1日閲覧。
- ^ a b c 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、354頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 「日本国有鉄道公示第394号」『官報』、1970年9月28日。
- ^ 「通報 ●片町線祝園及び田辺駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1970年9月28日、16面。
- ^ 「JR年表」『JR気動車客車編成表 '99年版』ジェー・アール・アール、1999年7月1日、186頁。ISBN 4-88283-120-1。
- ^ “市の玄関口にふさわしい駅 京田辺駅 平成14年春の開業をめざす”. 広報京田辺 第424号 (京都府京田辺市): p. 1. (1999年11月1日). オリジナルの2022年5月12日時点におけるアーカイブ。 2022年11月10日閲覧。
- ^ “JR京田辺駅 3月11日から仮駅舎で営業”. 広報京田辺 第428号 (京都府京田辺市): p. 1. (2000年3月1日). オリジナルの2022年5月12日時点におけるアーカイブ。 2022年11月10日閲覧。
- ^ 「新駅舎(JR片町線)完成祝う 橋上化、線路またぐ自由通路 京田辺」『京都新聞』京都新聞社、2002年2月3日、朝刊、25面。
- ^ a b “学研都市線 高速化・輸送力増強工事など終わる さらに便利に”. 広報きょうたなべ (京田辺市): p. 1. (2002年3月1日). オリジナルの2022年5月12日時点におけるアーカイブ。 2022年10月11日閲覧。
- ^ “京田辺駅|駅情報:JRおでかけネット”. 西日本旅客鉄道. 2023年11月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月27日閲覧。
- ^ a b “京田辺駅|構内図:JRおでかけネット”. 西日本旅客鉄道. 2023年1月23日閲覧。
- ^ 片奈連絡線(未来鉄道データーベース)
- ^ 関西文化学術研究都市の建設に関する基本方針 第8章 公共施設、公益的施設、住宅施設 その他の施設の整備に関する基本的事項(イ・鉄道の項参照)
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