世界銀行 世界銀行の概要

世界銀行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/26 17:58 UTC 版)

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世界銀行
世界銀行ロゴマーク
ワシントンD.C.の世界銀行本部
概要 専門機関
略称 世銀
代表 アジェイ・バンガ
状況 活動中
活動開始 1946年
本部 アメリカ合衆国ワシントンD.C.
公式サイト www.worldbank.org
Portal:国際連合
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世界銀行は、総裁と25人の専務理事、29人の副総裁によって運営されている。IBRDとIDAはそれぞれ189カ国と174カ国が加盟している。米国日本中国ドイツ英国が最も多くの議決権を持っている。IBRDは貧困削減のために途上国への融資を目的としている。また、グローバルなパートナーシップやイニシアティブに参加し、気候変動への対応にも取り組んでいる。世界銀行は多くのトレーニングウィングを運営しており、クリーンエアイニシアチブや国連開発事業とも連携している。また、オープンデータイニシアティブの中で活動し、オープンナレッジリポジトリをホストしている。

世界銀行は、インフレを促進し、経済発展に害を与えていると批判されている。その統治方法も批判されている。世銀に対する大規模な抗議運動もあった。また、Covid-19パンデミックに対する世銀の対応にも批判がある。

沿革

1944年7月のブレトン・ウッズ会議で、国際通貨基金と共に設立が決定された国際復興開発銀行は、翌1945年に実際に設立され[1]1946年6月から業務を開始した。

設立当初、国際通貨基金は国際収支の危機に際しての短期資金供給、世界銀行は第二次世界大戦後の先進国の復興と発展途上国の開発を目的として、主に社会インフラ建設など開発プロジェクトごとに長期資金の供給を行う機関とされ、両者は相互に補完しあうよう設立された。ソビエト社会主義共和国連邦は決定には賛成したものの条約を批准せず、出資金を払い込まなかったために加盟できず、冷戦終結にいたるまで、世界銀行の社会主義圏における活動は低調なものとなった。

最初の融資は、フランスをはじめとする第二次世界大戦で戦災を受けた西ヨーロッパ諸国であったが、こうした先進諸国の復興は、設立間もない世界銀行の資金力では到底追いつかず、1947年にアメリカ合衆国によるマーシャル・プランが開始されると、世界銀行は発展途上国の開発資金援助に特化した。

1948年の世界銀行の融資額は3億7800万ドル、同年度のマーシャル・プランの融資額は40億ドルを超えており[2]、アメリカが直接西欧諸国の復興に資金を供出した方がはるかに有効だったからである。またアメリカ合衆国が主導権を握っていることとソ連の不参加から、世界銀行の融資はそのまま西側の支援の一角となった。世界銀行はこの方針転換のため、一時直接的な融資よりもそのための調査を重点に行うようになり、1958年まで1948年度の融資額を越えた年が存在しないなど、1950年代を通じて融資額は低調となった[3]。1950年代と1960年代を通じて、融資総額の半分以上がインフラストラクチャーへの投資で占められているなど、融資は大規模プロジェクトへのものが中心を占めていた。

1968年ロバート・マクナマラが第5代世界銀行総裁に就任すると、世界銀行の姿勢は大きく変化した。彼は1968年の総会で、融資の額を69年からの5年間で以前の5年間の倍にすると表明し[4]、彼の元で世界銀行は急速に貸付を拡大し、それまでの22年間の総融資額よりも、マクナマラの最初の一期四年の融資総額の方が大きくなるなど[5]大きな影響力を持つようになった。

それまでの財源の中心であった各国の拠出金に変わり、マクナマラは世界銀行債を積極的に発行することで市場から資金を調達することに成功し、以後世界銀行の独立性は高くなった[6]。この拡大路線の中で、それまで融資対象に含まれていなかった教育など社会分野にも融資が行われるようになった。

また国際通貨基金も、1970年代以降為替変動相場制を採用する国が増加したのに伴い、加盟国の国際収支から国内金融秩序安定へその監視助言業務の比重を次第に移し、途上国への融資をその任務に含めるようになっていった。この融資拡大は各途上国の債務残高を増大させ、1980年代以降、開発途上国で債務問題がしばしば発生する原因となった。また旧社会主義諸国が次々と市場経済制度に移行するに至り、開発途上国の金融制度に関する分野では、その業務にIMFと一部重複も見られるようになった。

開発途上国の債務問題に関しては、世界銀行は1980年からIMFと共同で経済危機に陥った途上国に対し、経済支援の条件として構造調整政策の実施を行うよう求めた。これは、肥大化した公的セクターの縮小や各種補助金や公務員の給与の削減によって支出の削減を行うとともに、経済を自由化させて自由競争の下で経済を成長させようというものだった。

しかし、公的部門の縮小によって失業が増大し、教育医療などの質的低下によって社会不安が増大するなどといった悪影響が大きく、特にアフリカにおいては多くの国で構造調整後も経済の沈滞は悪化する一方で、政策は必ずしも成果を挙げていない[7]。さらに民間融資の低迷によって世界銀行及びIMFからの融資が後発途上国への融資の大部分を占めることとなってしまい、さらに先進国も融資条件として構造調整政策の実施を前提として求めたため[8]、この両機関の意向が途上国経済を左右することが可能となってしまい、内政不干渉の原則にはずれるとの批判の声も上がった[9]

また、従来推進してきた大規模プロジェクトにおいて、その非効率性や環境への影響が指摘されるようになり、それへの対応策として世界銀行は各地のNGOと共同でプロジェクトを行うことが多くなっていった。この動きを推進したのが1995年に総裁に就任したジェームズ・ウォルフェンソンであり、またこの時期に組織改革も行われた。2005年にはポール・ウォルフォウィッツが総裁に就任したが、スキャンダルによって2007年に失脚した[10]

世界銀行の規模が大きくなるにつれ、それを補完する機関が必要となっていき、その結果、1956年には世界銀行では融資できない民間企業に融資を行う国際金融公社が設立され、ついで1960年には世界銀行からの借り入れもできない貧しい発展途上国向け融資を目的とした国際開発協会ができ、1966年にはさらに発展途上国と外国投資家との紛争を仲裁する国際投資紛争解決センターが、最後に途上国への投資に対し保証を与え、さらにサービスや助言をも与える多国間投資保証機関1988年に設立されて、現在の世界銀行グループが形成された。

日本との関係

1952年に世界銀行に加盟した後、1953年から日本の借り入れが始まり、合計8億6,000万ドルを借り入れ、その資金は東海道新幹線名神高速道路東名高速道路などのインフラの整備に充てられ[11]るなど、1960年代までの日本は主要な貸し出し国のひとつとなっていた。

やがて、日本の経済成長とともに、それにもかかわらず融資を受け続けていることへの批判が発展途上国から高まったことを受け、1967年には経済成長によって投資適格国から卒業し、以後新規融資は停止されることとなった。その後日本は世界銀行への純出資国となり、出資割合も経済の成長とともに急激に伸びていって、1971年には日本は5大出資国の1つとなって理事一人を自由に任命することができるようになった。世界銀行への残存債務も返済は順調であり、1990年7月には世界銀行からの借金を全額返済することとなった[12]


  1. ^ 国際復興開発銀行 (IBRD):http://www.worldbank.org/ja/country/japan/brief/international-bank-for-reconstruction-and-development
  2. ^ 『世界銀行 歴史・資金・組織』松本悟 (「NGOから見た世界銀行 市民社会と国際機構のはざま」所収) p26 松本悟・大芝亮編著 ミネルヴァ書房 2013年5月30日初版第1刷
  3. ^ 『世界銀行 歴史・資金・組織』松本悟 (「NGOから見た世界銀行 市民社会と国際機構のはざま」所収) p28 松本悟・大芝亮編著 ミネルヴァ書房 2013年5月30日初版第1刷
  4. ^ 日本国外務省 わが外交の近況 昭和44年度(第14号) 第3節 経済協力のための国際協調
  5. ^ 『世界銀行 歴史・資金・組織』松本悟 (「NGOから見た世界銀行 市民社会と国際機構のはざま」所収) p37-38 松本悟・大芝亮編著 ミネルヴァ書房 2013年5月30日初版第1刷
  6. ^ 「緑の帝国 世界銀行とグリーン・ネオリベラリズム」p57-61 マイケル・ゴールドマン著 山口富子監訳 京都大学学術出版会 2008年2月15日初版第1刷発行
  7. ^ 「図説アフリカ経済」(平野克己著、日本評論社、2002年)p22-23
  8. ^ 「ケニアを知るための55章」pp136 松田素二・津田みわ編著 明石書店 2012年7月1日初版第1刷
  9. ^ 「アフリカ経済論」p102 北川勝彦・高橋基樹編著 ミネルヴァ書房 2004年11月25日初版第1刷
  10. ^ ポール・ウォルフォウィッツの早わかり(タイトル自動和訳)”. CNN. 2023年2月23日閲覧。
  11. ^ 「日本が世界銀行からの貸し出しを受けた 31プロジェクト」
  12. ^ 日本国外務省 ODAとは? ODAちょっといい話 第二話 戦後の灰燼からの脱却
  13. ^ 日本国外務省 第67回(2012年)国際通貨基金・世界銀行年次総会の主催国公式ホームページを開設しました
  14. ^ 「世界銀行ガイド」p10 世界銀行刊 田村勝省訳 シュプリンガー・フェアクラーク東京株式会社 2005年9月9日発行
  15. ^ 「世界銀行の次期総裁にキム氏、初のアジア系」日テレNEWS24 2012年4月17日 2017年3月15日閲覧
  16. ^ https://www.afpbb.com/articles/-/2872102 「世界銀行、次期総裁に米国のキム氏を選出」AFPBB 2012年04月17日 2017年3月15日閲覧
  17. ^ http://siteresources.worldbank.org/BODINT/Resources/278027-1215524804501/IBRDCountryVotingTable.pdf International Bank for Reconstruction and Development as of March 2015
  18. ^ http://siteresources.worldbank.org/BODINT/Resources/278027-1215524804501/IFCCountryVotingTable.pdf International Finance Corporation as of March 2015
  19. ^ http://siteresources.worldbank.org/BODINT/Resources/278027-1215524804501/IDACountryVotingTable.pdf International Development Association as of December 2014
  20. ^ http://siteresources.worldbank.org/BODINT/Resources/278027-1215524804501/MIGACountryVotingTable.pdf Multilateral Investment Guarantee Agency as of December 2014






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