世界銀行からの鉄道借款
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 00:00 UTC 版)
新幹線工事にあたり、5年間で総額3千億円という予算問題に直面した十河は、国会で予算を通すために、1959年(昭和34年)に1972億円で国会承認を受け、残りは政治的駆け引きで押していくことにした。こうして十河の傍若無人をよく思わない政治家・国鉄幹部との熾烈な駆け引きが始まったが、旧友吉田茂の鶴の一声で、何とか2期目の総裁続投が決まった。一方、新幹線計画に耳を傾けていた大蔵大臣佐藤栄作の助言により、世界銀行に1億ドルの鉄道借款を申し入れたのである。今後内閣の政策方針が変わろうとも、外圧がかかれば、国は予算変更できず、新幹線計画は続行できるという趣旨のためであった。結果、2年後に8千万ドルの借款を受けることに成功し、「これで新幹線はできたも同然!」と十河は喜んだ。 しかし1962年(昭和37年)5月に三河島事故が発生し、この時は責任処理のため踏み留まったものの、最終的に東海道新幹線の建設予算超過の責任を背負う形で総裁に再任されず、東海道新幹線開通前年の1963年(昭和38年)5月19日に任期満了の形で退任した。在任8年は歴代国鉄総裁の中で最長であった。 だが、十河の退任後に佐藤栄作から大蔵大臣の座を継いだ田中角栄が日本鉄道建設公団の設立を宣言し、新線建設の弾みとする代わりに東海道新幹線のさらなる予算増加を認めるよう働きかけたことで、1963年度の補正予算審議ならびに翌年度の本予算審議で予算増額が承認され、新幹線の予算問題は解決した。
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