ヤングおー!おー!
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/27 14:55 UTC 版)
スタッフ
前期~中期
この他、放送開始当時ディレクターだった竹中文博がおり[1]、のちにプロデューサーも務めた。
後期
- 構成:中村進、大西良隆、大河内通弘、橋本収
- 音楽:名城アバカンパニー
- 作・編曲:橋本允
- TD:高橋泰、小西久男(中継担当)
- SW:中村一夫
- カメラ:塚田清志
- オーディオ:島津正治
- 照明:勝間宏
- VE:北中勝
- タイトル:澤井和男
- 美術製作:つむら工芸
- 製作協力:吉本テレビ制作室、JNN系列局(地方公開録画のみ)
- プロデューサー:岡崎巍
- ディレクター:尾嶋啓憲、今井均(中継担当)
毎日放送のTBS系列へのネットチェンジ後は、関東地区での公開録画ではTBSとの共同制作で収録が行われていた。TBS側のプロデューサーは、のちに『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』を大ヒット番組に育てあげた桂邦彦が担当した。
スポンサー
注意:一社提供番組時代以外、スポンサーの記述は絶対に行わないで下さい。 (PJ放送番組での合意に基づく) |
- ※一社提供時代のみ記述(後述の期間以外は複数社提供)。
- 永大産業(1969年10月5日 - 1971年9月) - 永大産業が提供であった時期は、本編中に磯野洋子と斎藤出演による生CMが行われた。
- 日清食品(1971年10月10日 - 1982年3月) - 遅れネット局も含めてスポンサードネットで放送。提供読み時のキャッチコピーは「おいしさは世界のことば」。同社のCMに出演していたタレントやCMソングを歌っていた歌手もよくゲストに出演していた。代表的な例としてはピンク・レディー、浜田省吾など。
ネット局
1975年3月まで
※系列は当時の系列。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
近畿広域圏 | 毎日放送 | NETテレビ系列 | 制作局 |
関東広域圏 | NETテレビ (現:テレビ朝日) |
1969年9月まで | |
東京12チャンネル (現:テレビ東京) |
独立局[7] | 1969年10月から | |
北海道 | 北海道テレビ | NETテレビ系列 | 1974年3月まで |
北海道放送 | TBS系列 | 1974年4月から | |
宮城県 | ミヤギテレビ | 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
1971年10月から |
秋田県 | 秋田テレビ | フジテレビ系列 | |
福島県 | 福島中央テレビ | 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
1973年10月から1974年3月まで[8] 土曜 16:55 - 17:50 |
福島テレビ | TBS系列 フジテレビ系列 |
1974年4月より[9] | |
新潟県 | 新潟総合テレビ (現:NST新潟総合テレビ) |
日本テレビ系列 フジテレビ系列 NETテレビ系列 |
|
静岡県 | 静岡放送 | TBS系列 | |
石川県 | 石川テレビ | フジテレビ系列 | 日曜 10:30 - 11:25[10] |
福井県 | 福井テレビ | 日曜 14:30 - 15:30[11] | |
中京広域圏 | 中京テレビ | 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
1969年9月まで |
名古屋テレビ | NETテレビ系列 | 1973年4月から | |
岐阜県 | 岐阜放送 | 独立UHF局 | 1969年10月から1973年3月まで |
鳥取県 ↓ 鳥取県・島根県 |
日本海テレビ | 日本テレビ系列 | 1972年9月までの放送免許エリアは鳥取県のみ 相互乗り入れに伴い島根県でも放送 日曜16:25 - 17:20 |
島根県 | 山陰放送 | TBS系列 | 1971年から1972年9月の鳥取県への乗り入れまで |
岡山県 | 岡山放送 | フジテレビ系列 NETテレビ系列 |
当時の放送免許エリアは岡山県のみ |
広島県 | 中国放送 | TBS系列 | 1973年4月から 日曜 16:30 - 17:25 |
山口県 | テレビ山口 | TBS系列 フジテレビ系列 NETテレビ系列 |
日曜 10:00 - 10:55 |
香川県 | 瀬戸内海放送 | NETテレビ系列 | 1971年9月まで 当時の放送免許エリアは香川県のみ |
西日本放送 | 日本テレビ系列 | 1971年10月から 当時の放送免許エリアは香川県のみ | |
愛媛県 | 南海放送 | ||
福岡県 | 九州朝日放送 | NETテレビ系列 | 1969年9月まで |
RKB毎日放送 | TBS系列 | 1971年10月から 日曜 15:00 - 15:55 → 16:30 - 17:25 | |
長崎県 | 長崎放送 | 土曜 15:20 - 16:15 | |
熊本県 | 熊本放送 | ||
宮崎県 | 宮崎放送 | ||
鹿児島県 | 鹿児島テレビ | フジテレビ系列 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
日曜 10:00 - 10:55 |
1975年4月以降
※系列は当時の系列。◎は新規にネットを開始した地域、○は同一地域の他局からネットが移行した地域。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
近畿広域圏 | 毎日放送 | TBS系列 | 制作局 |
関東広域圏 | 東京放送 (現:TBSテレビ) |
○ | |
北海道 | 北海道放送 | ||
青森県 | 青森テレビ | ◎ | |
岩手県 | 岩手放送 (現:IBC岩手放送) |
◎ | |
宮城県 | 東北放送 | ○ | |
秋田県 | 秋田テレビ | フジテレビ系列 テレビ朝日系列 |
1981年3月まではフジテレビ系単独加盟局 |
山形県 | 山形テレビ | フジテレビ系列 | ◎1978年4月から 1980年3月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局 |
福島県 | 福島テレビ | TBS系列 フジテレビ系列 |
土曜 16:00 - 16:55枠 |
山梨県 | テレビ山梨 | TBS系列 | ◎ |
新潟県 | 新潟放送 | ○土曜 17:00 - 17:55枠[12] | |
長野県 | 信越放送 | ◎1982年4月4日から[13] | |
静岡県 | 静岡放送 | ||
富山県 | 北日本放送 | 日本テレビ系列 | ◎土曜 16:00 - 16:55枠[12] |
石川県 | 北陸放送 | TBS系列 | ○1975年4月5日から[14] 土曜 17:00 - 17:55枠[12] |
福井県 | 福井テレビ | フジテレビ系列 | 日曜 14:00 - 14:55枠 [15] |
中京広域圏 | 中部日本放送 (現:CBCテレビ) |
TBS系列 | ○ |
鳥取県・島根県 | 山陰放送 | ○ | |
岡山県 | 山陽放送 (現:RSK山陽放送) |
○当時の放送免許エリアは岡山県のみ | |
広島県 | 中国放送 | ||
山口県 | テレビ山口 | TBS系列 フジテレビ系列 |
1978年9月まではテレビ朝日系列とのトリプルネット局 |
愛媛県 | 南海放送 | 日本テレビ系列 | |
高知県 | テレビ高知 | TBS系列 | ◎1982年4月から |
福岡県 | RKB毎日放送 | ||
長崎県 | 長崎放送 | ||
熊本県 | 熊本放送 | 土曜 17:00 - 17:55枠 | |
大分県 | 大分放送 | ◎ | |
宮崎県 | 宮崎放送 | 日曜 17:30 - 18:25枠 | |
鹿児島県 | 南日本放送 | ○日曜 17:30 - 18:25枠 | |
沖縄県 | 琉球放送 | ◎1982年4月から |
ネットに関する備考
- 関東広域圏では、1969年7月にNETテレビ(現:テレビ朝日)でネットが開始されたが、1クールのみで東京12チャンネル(現:テレビ東京)に移行、1975年4月に毎日放送のTBS系列へのネットチェンジに伴いTBSに移行し、最終回まで放送された。
- 1969年10月にNETテレビがネットを取りやめたことで、一部の地域ではNETテレビ系列局から同一地域の他局へネットを移行したケースもあった。中京広域圏では中京テレビ(当時は日本テレビ系列とのクロスネット局)から岐阜県域局の岐阜放送へ移行したため、1969年10月から1973年3月までは愛知県(当時テレビ愛知は未開局)・三重県では未ネットだった。[16]
- ネットチェンジ初期は日曜17:30よりの放送だったが、TBS系列内で時間帯が違う局があった他(一例として静岡放送は土曜15:00から、長崎放送は土曜13:30から、熊本放送は土曜日17:00からの遅れネット)、1982年3月までは信越放送、テレビ高知、琉球放送では未放送だった。
- ネットチェンジ後の、少なくとも日曜13:00より放送されていた末期は、TBS系列全国ネット(クロスネット局の福島テレビとテレビ山口を含む)で放送されていた。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 読売新聞大阪本社文化部(編)『上方放送お笑い史』 読売新聞社、1999年 pp.277-280「ヤングおー!おー!」、pp.281-284「お笑い歌手、月亭可朝」、pp.290-293「上方落語ブーム到来」
- ^ 毎日放送40年史編纂室『毎日放送の40年 資料編』毎日放送、1991年、p.269
- ^ 日本民間放送連盟賞/1969年度(昭和44年度)入選・事績 日本民間放送連盟
- ^ 斎藤によるタイトルコールと三枝が斎藤へお別れのメッセージを贈るシーン、斎藤が観客席で観覧者とお別れの握手をするシーンを収録。
- ^ a b c 「ブランドニューサウンドBig3」と題して、お互いの楽曲を歌い合ったことがある(世良公則が原田の「シャドーボクサー」を歌い、原田がCharの「逆光線」を歌うなど)。
- ^ 当番組がテレビ初出演。『なめんなよ』はレコードでは元トランザムの西濱哲男の歌唱だったが、西濱が出演を断ったため、本番組では藤タカシが歌唱した。
- ^ 当時はTXN・メガTONネットワークの発足前であった。
- ^ 『福島民報』1973年10月27日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『福島テレビ開局20周年記念出版 福島テレビ20年史』福島テレビ 社史編集委員会、1983年12月25日、258頁。
- ^ 『北日本新聞』1975年3月30日付朝刊テレビ欄より。
- ^ 『北國新聞』1973年6月3日付朝刊テレビ欄より。
- ^ a b c 『北國新聞』1979年7月21日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 1982年4月4日 信濃毎日新聞 テレビ欄
- ^ 『北國新聞』1975年4月5日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『北國新聞』1980年10月5日付朝刊テレビ欄より。
- ^ 愛知県と三重県では、岐阜放送のスピルオーバー制限によって視聴できる地域はごくわずかだった。
- ^ 「ビデオコレクション1982」1981年、東京ニュース通信社、「週刊TVガイド」臨時増刊12月2日号
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