ヤングおー!おー!と超時空
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 00:19 UTC 版)
「高木一見」の記事における「ヤングおー!おー!と超時空」の解説
高橋時代からの長寿番組は多くが継続したが、1982年(昭和57年)10月改編ではNETと東京12チャンネルでも放送され13年続いた『ヤングおー!おー!』を打ち切らせ、日曜日午後にアニメの定番枠を設けるという挑戦を行った。日曜午後アニメ第1弾作品としてスタートした『超時空要塞マクロス』は本放送時の視聴率こそ伸び悩んだが、ファンの圧倒的な支持を獲得し放送回数延長、スポンサーで関連の玩具・模型を販売したタカトクトイスと今井科学、有井製作所に好成績をもたらした。しかしその意気込みが逆に仇となり後にタカトクは倒産、今井と有井もバンダイ(現在のバンダイナムコホールディングス)に金型と関連版権を売却する羽目になった。 「超時空要塞マクロス#反響・影響」、「超時空シリーズ#スポンサー」、「タカトクトイス#概要」、および「マイクロエース#プラモデル部門」も参照
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