ヤングとデモティック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 16:03 UTC 版)
「古代エジプト文字の解読」の記事における「ヤングとデモティック」の解説
ヤングのヒエログリフの研究は1820年代に衰退したが、デモティックの研究は偶然の発見に助けられて続いた。1822年11月、知人のGeorge Francis Greyがエジプトで見つかったギリシアのパピルスの箱をヤングに貸した。ヤングはそれを調べると2つが彼がすでに持っており解読しようとしていたデモティックのテキストであることが分かった。長い間、ロゼッタストーンを補完する第2の二か国語のテキストを取得しようとしていた。これらのテキストを手にし、その後数年間で大きな進歩を生んだ。1820年代半ばには他のことに関心がいっていたが、1827年にイタリアのコプト語学者Amedeo Peyronからの手紙に刺激を受けた。この手紙ではヤングのある主題から別の主題へと動く癖が業績を上げるのを妨げ、古代エジプトに集中すればもっと多くのことを成し遂げることができると示唆した。ヤングは人生の最後の2年間をデモティックに費やした。あるとき、当時ルーブルの学芸員だったシャンポリオンに相談したところ、シャンポリオンは友好的に接し、デモティックに関するメモを見せ、ルーブルのコレクションにあるデモティックのテキストを何時間も見せてくれた。ヤングのRudiments of an Egyptian Dictionary in the Ancient Enchorial Characterは彼の死後1831年に出版された。この中には1つのテキストとロゼッタストーンのテキストの大部分の全訳が含まれていた。エジプト学者John Rayによると、ヤングは「おそらくデモティックの解読者として知られるに値する」。
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