シアバター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/14 19:38 UTC 版)
シアバターの流通
クルードバターと呼ばれる未精製のシアバターは、古くから食用油脂として国内で流通していた。クールドバターはコンバウンドと呼ばれる集落の住民によって、牛や豚の脂身から油を採取する湿式融出法に似た方法でほぼ手作業で製造されている。しかし既にこの国内市場は飽和状態となっている[1]。
1960年代になってヨーロッパへのシアカーネルの輸出が始まり、海外市場が誕生した。主な購入国はデンマーク、オランダ、イギリス、スウェーデンなどで、いずれもチョコレートの製造にココアバターの代用品を使用することを許可している国である。シアカーネルは輸出先の油脂メーカーで精製シアバターに加工され、代用ココアバターとして使用される。この用途としての海外市場も既に安定飽和状態に入っているため[1]、化粧品としての市場を確立するための取り組みが国内外の機関や企業によってなされている。
アフリカの女性達を支えるシアバター
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地元団体や国際機関によるプロジェクト
ブルキナファソで、1990年に女性達に読み書きを教える団体「Songtaab-Yalgre Association」が設立された。だが読み書きを覚えても生活の手だてがないため、団体は彼女達に現金収入をもたらすためにシアバターの製造に取りかかった。現在、女性たちは自身の手で団体運営を行い、シアバターの製造で得た収益を分配している。同国の2004年から2007年のシアバター生産高は年間20トンで、綿に次ぐ主要な輸出品となっている[2][6]。
国際連合開発計画 (UNDP) は2007年、日本政府の支援を受けて、ガーナで特に貧しい地域である北部州のサナリグ地区とワレワレ地区にて「北部ガーナにおけるシアバター産業支援を通じた現地女性のエンパワーメントと貧困削減」プロジェクトを始めた。シアバター産業によって女性の地位や生活水準を向上させることを目的とした活動が2年間行われる[7][8]。2008年、福田康夫内閣総理大臣はダボス会議で特別講演をした際に、この日本政府による支援活動は地方経済を活性化できた好例であると語った[9]。
企業との取引
西アフリカを旅行中に現地の女性の肌の美しさに気付き、シアバターを知ることとなったロクシタンの創業者オリビエ・ボーサンは、1992年にシアバターをそのまま商品として発売した。その後女性協同組合と提携し共同でシアバターの製造を行うこととなった[6][10][11][12]。
ロクシタンがシアバターを商品化した1992年は、ザ・ボディショップの創業者アニータ・ロディックがガーナ北部の市場でシアバターと出会った年でもあった。手作業で作られるシアバターの品質の高さと現地女性の情熱に惹かれたアニータは、2年後にガーナのタマレ地区のトゥンテイヤ・シアバター女性組合と契約し、コミュニティトレードを始めた。また、製粉機とナッツを割る設備を組合に提供した。地域の女性達は安定した収入と、ビジネスの基礎知識、地域社会での発言権を獲得することとなった。また収益によって10の学校が建設され、校内の設備費や教員を確保するための資金にもなった。安全な水道水や公衆トイレの設備向上にも使われた[13][14]。
日本の企業では、生活の木が日本貿易振興機構 (JETRO) による西部アフリカ油脂加工産業育成プログラムに参加。2005年から2006年にかけて同社常務取締役の宇田川僚一がシアバター専門家としてガーナ北部ノーザン州に2度赴き、シアバター石鹸工房の設立を手がけると共に現地の女性グループへ石鹸製造指導を行った[5][15]。また、keinz代表取締役桑原輝明は駐日ガーナ大使館のバフォー・アジェベワ大使より紹介を受けて、シアバターの仕入れをすることになった。その後、keinzは駐日ブルキナファソ大使館のパトリス・カファンド臨時代理大使よりシアバターの取り扱いを依頼され、2020年にはブルキナファソでの生産量の3%をkeinz 1社で輸入している。keinzの販売するシアバターは未精製であることと、直接の輸入販売であるために新鮮であり、それをあえて「生シアバター」とkeinzは銘打っており、「生シアバター」元祖とも言えよう。
他にもシアバターの保湿力に注目した化粧品も数多く誕生し、2008年10月には、オリレワ[16]というシアバタースキンケアブランドがデビューしている。ブランド名のOORILEWA(オリレワ)は、ヨルバ族の言語で「シアの美」を意味し、フェアトレードによって輸入したシアバターを全製品に配合している点が特徴である。[17]
また、オリレワではチョコレート専門店デカダンス ドュ ショコラとコラボレートし、シアバターのチョコレートを制作するなどユニークな活動も行われている。[18]
いずれの企業も現在も取り組みを続けており、現地で作られたシアバターをもとに商品を販売し、現地の女性たちに利益をもたらしている。
生産と輸出の推移
1980年代以降、ヨーロッパ諸国や日本、アメリカへのシアバターの輸出が活発になり、生産が盛んになった。1980年の時点で、西アフリカ7カ国[19]では合計346,713トンのシアナッツが生産され、そのうち81,863トンが輸出されていた[20]。その後、輸出は1985年に102,168トンとなってピークを迎え、1995年には生産が656,465トンまで増加した一方で輸出は47,596トンに減少している。2000年代には生産量は安定するようになり、2002年の生産量は645,000トン、輸出量は70,215トンとなっている[20]。2002年の時点ではナイジェリアが最大の生産国で、世界全体の生産量の57.1%を占める。一方、輸出量が最も多いのはガーナで、世界全体の39.3%を占めている[20]。
- ^ a b c d e (社)日本アロマ環境協会|アロマテラピーワールドマガジン ガーナ編第1回 文・宇田川遼一
- ^ a b AFPBB News 国際ニュース:シアバターで潤うアフリカの女性たち
- ^ a b 中曽根、2005年、P.9
- ^ 生活の木 the Making of 佐々木薫ハーブ気候〜ガーナ編〜[リンク切れ]
- ^ a b c d 生活の木 is コミュニティートレード|ガーナ
- ^ a b AFPBB News 国際ニュース:オーガニックブームでうるおうアフリカ最貧国ブルキナファソの女性たち
- ^ ニュースルーム|UNDP Tokyo 2007年9月18日
- ^ 外務省:分野別開発政策:ジェンダー(日本の取組)ページ最下部
- ^ 首相官邸HP ダボス会議における福田内閣総理大臣特別講演
- ^ ロクシタンHP ロクシタンの世界
- ^ NIKKEI NET 日経WagaMaga:暮らしーショッピング プロヴァンス香る「ロクシタン」
- ^ 歴史から使い方まで、シアバターのすべて | ロクシタン公式
- ^ THE BODY SHOP バリューズ|Vol9シアバター
- ^ THE BODY SHOP 会社案内|創業者アニータ・ロディック紹介
- ^ 生活の木の取り組み
- ^ オリレワ(OORILEWA)公式HP
- ^ オリレワ(OORILEWA)コンセプト|シアバター編
- ^ オリレワ(OORILEWA)|プレミアムチョコレート
- ^ ガーナ、ナイジェリア、コートジボワール、トーゴ、ベナン、マリ、ブルキナファソの7カ国
- ^ a b c 中曽根、2005年、P.10
- 1 シアバターとは
- 2 シアバターの概要
- 3 シアバターの流通
- 4 脚注
シアバターと同じ種類の言葉
固有名詞の分類
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